207 :198:2014/06/20(金) 22:10:55



1906年・奉天。

「・・・」
日本語を筆頭に英語・蘭語・露語・北京語が入り混じる華やかな祝賀会のざわめきに背を向け、テラスで星空を眺める初老の男は憂鬱を吐息の形に固めて吐き出した。

大日本帝国はポーツマス条約でロシア帝国より獲得した東清鉄道と日清戦争において獲得していた朝鮮縦貫鉄道を連結・統合し、さらに満州・朝鮮に日本が持つ他の権益を組み込むことで満州鉄道株式会社を設立した。

日露戦争で活躍した満州総軍鉄道省野戦特別鉄道工作部隊の兵站管理部門を母体として組織編成が行われ、資本金10億円のうち4億円は日本政府、残りは英蘭米が官民共同で2億円づつ出資。
初代総裁には台湾総督府元民政長官の後藤新平が就任し、副総裁に米英蘭からそれぞれ一人。
鉄道及びその付属権益の警備は沿線部が日本陸軍、港湾部が日本海軍陸戦隊、それ以外の資産・権益は満鉄警備部が当たる。

日米英蘭の四ヶ国が出資する日本主導の列強資本共同体とも呼ぶべきこの植民地株式会社は順調に発展していくだろう。

外交に手馴れた英蘭が根回しを担当し、資金を持て余す米国がドルを流し込み、日露戦争でその武威を世界に示した大日本帝国が軍事力を提供する。

植民地政策に長年慣れ親しんだ英蘭と徹底した合理主義の米国が軍事大国・日本と手を組んで遠慮なく利益を追求すると宣言した以上、父祖の大地を好き勝手に切り開かれる清国・朝鮮王国の悲劇など誰の興味も引くことはない。
例え列強である独仏露が不平を申し立てた所で、もはや北東アジアの外野へと押しやられてしまった彼らに出来ることは限られている。

そうなるよう、大日本帝国外務大臣・小村寿太郎が作り上げたのだ。

彼の生涯に特筆されるであろう大仕事を成し遂げた達成感は、しかし未来への憂いを含んで沈みそうになる。

208 :198:2014/06/20(金) 22:11:41
「こんな所で、何ぞ美人でも見繕えるかな?」
「閣下」

背後からかけられた声に振り向くと、白髪の老人が満州風の衣装に身を包んだ芸子達へ手を振って微笑みかけているところだった。

「まだ今回の件で拗ねておるのかね?」
「拗ねているなど・・・」

そう、小村が憂鬱な気分に浸っていたのは満鉄が出来るまでに起きた、短くも深刻な騒動が原因だった。

当初の満鉄は桂=ハリマン協定によって日米共同出資での共同経営が予定されていたが、枢密院・帝国総合研究機関からの『外交関係の強化・安定、投資の拡大と日本の負担軽減の為にも出資国に英蘭両国も含め、経営権の売却も打診すべき』という提言が出されたことで計画は混乱。
元より他国資本導入に反対であった小村寿太郎の強烈な反発を招き、最終的に元老達の調停を経てようやく『日米英蘭共同出資、ただし主導権は日本が持つ』という列強共同資本となる。

「彼らの言う事も判ります。
 日本は本国として豊かな亜大陸群を有し食糧も資源も自給できる。
 新しい技術を購入・開発するだけの資金も、祖国を守るだけの戦力も用意できた。
 ならば海外権益の維持に軍を送り込む必要などない。
 利益だけ得られるよう仕組みを整えて他国に権益を売却し、海を超えて軍を展開させる苦労は回避する方が安上がりだ。
 ・・・実に合理的で、一つの理屈ではあります」
「しかし、それだけでは安心できない」
「世界情勢が安定し経営が上手く回っている間は問題無いでしょう。我が国が一国で抱え込んでしまうより負担も軽いし、最終的な利益だって増える。
 しかし他人に管理を任せた利権に金と口だけを出していくのでは、日本の権益として主張するのに弱過ぎる」

所詮他国は他国の欲望と都合に応じて動くのだ。
ひとたび日本に付け入る隙が出来れば、もしも日本が抵抗できないほど疲弊したら。

「・・・西欧列強は日本人を賢いサル程度にしか扱ってくれなくなるでしょう。
 そうなった時真っ先に奪われるのは他国に管理を任せている海外権益です」

しかしそんな物だけで日本の敵に回った列強は満足してくれるだろうか?
日本が他国に任せていた海外権益だけで、彼らは大人しくなるだろうか?

その権益のすぐ隣には富と資源に溢れた日本大陸があるのに?

日本の外交を担って欧米列強を渡り歩いてきた小村寿太郎には、欧米列強が満足する様など想像もできない。

209 :198:2014/06/20(金) 22:12:23
「だから日本の海外権益を構築する。日本主導で運営し、他国に出資させるが管理はさせない権益を」

小村寿太郎は満鉄を日英米蘭四ヶ国共同出資による日本主導の列強資本共同体という事実上の『大日本帝国・満州朝鮮総督府』として成立させた。

もしも帝国存亡の危機が訪れたとしても列強に差し出せるトカゲの尻尾。
万が一彼らの後継者たちが取り返しのつかない致命的な失敗をしでかしても、祖国たる日本大陸を切り売りしなくて済むほど巨大な。

つまりは気分の問題だ。
苦労して日本から奪った満足できるほどの『日本の』権益が国外にあれば日本本国への欲望を一時的にでも忘れさせられるかもしれないという安心感。
列強が満鉄という尻尾をかじって日本の事を忘れている間に国内で必至に態勢を立て直し、反撃の準備を整えればいいのだ。
      • 致命的な失敗をしでかした後継者たちが祖国を切り売りしなければならなくなるまで何もできなかったら?
その時はもう諦めるしかない。諦めるなどという言葉では済ませられない仮定だが、神ならぬ人間の身でそこまでの責任は背負いきれない。
せめてもの責任としてそんな無能が政治に関わらないよう後進の指導に尽くすのみ、だ。

まあ、勝手に日本の尻尾にされてしまう満州と朝鮮の人間に申し訳ないという感情が無いでもないが、所詮日本にとっては他国に過ぎない。日本の都合が最優先だ。
なにせこの世界は帝国主義が動かしているのだから。

「気に入りませんか?」
「君の言うことも一つの理屈だよ。気に入らぬ政策の為に老骨鞭打ったりはしない」

小村はその言葉が嘘だと知っている。
例えそれが蛇蝎の如く忌み嫌う相手からの唾棄すべき政策であったとしても、日本の為とあらばこの男は命を懸けてやり遂げるだろう。

それが清廉潔白で忠誠無比という政治家に最も不適格な性質を二つも持ちながら政治家として大成した、伊藤博文と言う男なのだから。

独立した朝鮮、信頼できる友邦として自立した隣国。
覇道ではなく王道を歩む大日本帝国の姿を求めていた老人は、己の理想が完膚なきまでに踏み躙られたにもかかわらず一抹の無念さも見せることなく笑ってみせた。

210 :198:2014/06/20(金) 22:13:13


満州鉄道株式会社は都市・炭坑・製鉄所から農地に至るまで満州・朝鮮全域において独占的な開発商業権を所有し、さらに満州鉄道奉天大学・漢城大学といった教育・研究機関から満鉄警備部という軍事力さえ傘下に収めた巨大な列強資本共同体は、計画した人間・参加した国々が驚くほど急速かつ安定した成長を続けていく。

資本と技術を英蘭米が提出し、運営上の問題は外交と植民地統治に長けた英蘭が切り回し、利権の維持に必要な軍事力の行使と開発機械の製造を直近の日本が行う。
小村寿太郎が予測した通り、複数の列強が運営に参画する満州鉄道株式会社の拡大と発展を阻止する事は同じ列強の圧力をもってしても不可能だった。

翌1907年に締結された日露協約によりロシア勢力圏であるモンゴル・ウランバートルへの路線延長・資源開発に参入。1909年にはイギリス権益に乗じて北京・天津・上海への路線延長と乗り入れを行い、さらに間を置かずにシベリア鉄道への乗り入れ・複線化の促進協力が決定され、満州鉄道株式会社は瞬く間に北東アジア株式会社、ユーラシア鉄道ともいわれる世界屈指の植民地企業へと成長してしまう。

自国権益への他国資本の参入という危険過ぎる賭けを日本政府があえて行った理由の一つに、膨大な額に上った日露戦争の対外向け債務償還による財政の圧迫が挙げられるが、日本がかっての敵国であるロシアにまで利権を開放する事で得た北東アジア一帯の安全保障、列強の共同利権としての満州の安定は日本が単独で満州利権を独占した場合以上の国益を日本政府と満鉄参加各国にもたらしていった。
複数の列強が同一の利害関係の網目に編み込まれた事により産み出された成果は単純な経済上の物に留まらず、満州・朝鮮・モンゴル・華北一帯の満州鉄道によって一つの経済圏に纏められた北東アジア全域に波及していく。

朝鮮縦貫鉄道が走る朝鮮半島では両班を買収する事で外交・軍事・税制といった各種主権が端金で買い取られ各国の共同保護国状態へと置かれることになり、鉄道・港湾・電信の敷設権と最優先使用権、関税・炭坑・鉱山の採掘権が満鉄に買収される。
そして最終的に済州島が朝鮮王国から日本に割譲される事で朝鮮半島の『満鉄植民地時代』がスタートする。

中華大陸においては満州・モンゴルが列強の影響下に置かれる事で事実上清国から分離する事となり、それまで清王朝の政策により未開発だった大地に満州鉄道参加国の膨大な資本と技術が投入され、混乱が続く中原からの流民・移民が労働力として稼働することで日本の明治維新をしのぐ速度で一気に近代化が進んでいく。
中でも満州鉄道本社が置かれた奉天の発展は群を抜いており、奉天ヤマトホテルを筆頭に東洋随一とさえ呼ばれた近代建築物が立ち並ぶ計画都市の誕生は、清国朝廷内部で半ば以上本気でかっての満州族の首都である奉天への再遷都論=満州への回帰が議論され、半分近く冗談で語られたその空気が市井に漏れることで反満気運の上昇と共に新たな混乱の火種を生み出していく。


1911年10月10日。
辛亥革命の勃発である。

211 :198:2014/06/20(金) 22:14:57
1911年10月10日。
武昌のロシア租界において密造中だった爆弾の爆発といういささか散文的な現実により蜂起計画が暴露した事を知ると、文学社の蒋翊武は計画の前倒しを決定。
呉兆麟を決起軍臨時総指揮、熊秉坤を参謀長に文学社及び共進会の影響を受けて呼応した清朝兵士は総督府への攻撃を開始。
砲兵隊の支援の下、夜明け前に総督府を占拠する。
翌10月11日には武昌全域が決起軍の支配下に置かれ、全国での決起を促す檄文『安民布告』が発表されると共に、清朝の年号である宣統の廃止を発表。
秦の始皇帝に始まる帝政を否定し、中華民国の設立を宣言する。

当初中華大陸に権益をもつ列強諸国は史上幾度目かの中華革命を傍観し、清国政府と革命勢力を秤に乗せてより多くの国益を引き出せる相手を見定めていたのだが、11月1日に袁世凱が内閣総理に任命されると一部の列強が密やかに動き出した。

日米英蘭露=満州鉄道参加国は満鉄調査部により袁世凱と革命派との間で皇帝退位と袁世凱国家元首就任という政治的取引が行われるとの情報を掴み、自らの利益の拡大を図るべく一気に袁世凱個人への支援へと乗り出したのだ。

袁世凱を支援する事に関して孫文との関係が深い日米両国と英蘭露三ヶ国との間で意見の対立が見られたが、最終的に満鉄を中心にした利害調整を行うとの結論に至り、各国の行動の自由と相互連絡の厳守が原則として締結された。
なおこの『満鉄を通じた支援と国家を通じた対抗勢力への支援』と言う事実上の二重外交はこの後も中華大陸において頻繁に実施される事になる。

満鉄と言う隠れ蓑と調整機関を手に入れた各国は帝国主義国家に相応しい貪欲さを発揮。
袁世凱と孫文双方から自国の利権の保障と拡大を引き出すと共に、各種物資の供給をコントロールする事によって革命が沈静化するまでの短期間に莫大な利益を上げることに成功する。

そして1912年1月末。
宣統帝溥儀の退位が差し迫った北京から奉天へとやってきた一人の清朝皇族の提案により、列強の欲望はさらに加速していく。

212 :198:2014/06/20(金) 22:15:29

奉天ヤマトホテルの最上級のスイートルームから見える街の景色は中原の混乱などと無関係に、未曽有の好景気の喧騒の中にあった。
満州鉄道株式会社とその出資国による庇護の下、日本人的緻密さで計算された都市計画がアメリカ的合理主義で拡大し、英蘭の如き文化的西欧的発展を続けている。

かっての満州族の都であるこの街の姿を見るたび、辮髪を結ったその男は忸怩たる思いを抱かずにはいられない。

何故、我らはこれを成し遂げることができなかったのか。

満州族が満州族の父祖の大地をこのように発展させる事が出来ていれば、彼らは帝国を失うことなどなかったはずだ。
蛮夷と蔑んだ西欧に屈する事も、東龍と畏れた日本に敗れることも。

我らはどこで間違えたのか。

父祖の大地たる満州を日本に引き渡したとき。
アヘン漬けにされて西欧に敗れたとき。
それとも己の物でもない中華思想に浸って諸外国を劣等と断じ、改革する事を自ら止めたとき。

あるいはこの国を作るその時に、中原などへ進出せず騎馬民族の誇りを持って満州の大地にあり続ければこんな事にはならなかったのではないか。

過去に対する問いかけは無限の仮定を呼び起こし、男の思考を際限無く拘束する。

「・・・」
しかし、それはすでに終わった事だった。

愛新覚羅善耆。
清朝開明派にして改革派、親日派にして清国革命派への理解者でもある彼が皇帝の退位を見る事無くこの列強の巣窟へとやってきたのは、中華などと言う過去への幻想を断ち切り満州族の誇りと未来を護るためなのだから。

213 :198:2014/06/20(金) 22:16:00
「殿下、皆様お揃いになられました」
「・・・うむ」
侍従の言葉に短い逡巡を振り払い、善耆は短く頷いて振り返った。

西洋と東洋が融合したヤマトホテルの扉の向こうに、この満州を支配する列強の代表者達が待っている。

満州の中華民国からの完全なる独立と満州王国の建設。
差し出す代償は同じく中華から切り離されるモンゴル・チベット・ウイグル清朝辺境域の全利権。

共和制を信奉する米国は王政の採用に拒否反応を示していたが、目の前に積まれた利権と他の満鉄参加国の説得で消極的賛成に転換した。

何より、帝国の崩壊と革命の混乱に乗じて異民族が分離独立した新国家を樹立する、というシナリオは革命の混乱が続くこの瞬間しか使えない。

モンゴルは部族連合としてより強固にロシア勢力圏に組み込まれ、チベットはダライ・ラマを頂く宗教国家として英国の勢力下へ。

そしてウイグル――トルキスタンはムスリム国家として英露の緩衝地帯と共同市場に。

歴史は彼を売国奴として断ずるだろうか?

一族の平穏の為だけに祖国の権益を列強に売り渡し、臣民に分断の苦しみを味合わせながら借り物の王国で紛い物の玉座を求めた恥知らずの皇族。

構うものか。
未来への希望を手に入れる為、一族に再起の可能性を残せるならば、この世の全てを敵に回しても恥じる事など何も無い。

ましてや彼の帝国は先に臣民から裏切られたのだ。
地位の為に主君を売り渡した者が主になる国に何を遠慮する必要があるだろう?

滅満興漢、大いに結構。
前半分は絶対に阻止するが後ろだけは手伝ってやる。


「――漢族だけの国が欲しいなら、望み通りくれてやろう」


奉天の一室で呟かれた皇族の怨嗟が、中華解体への号砲であった。

次話:中華

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最終更新:2014年06月22日 15:30