342 :198:2014/06/22(日) 11:30:21




1912年3月10日北京。
北京兵乱という短くも激しい政治謀略により、改めて中華民国の首都と定められたこの街の中心で満鉄参加国による新たな謀略が動き出そうとしていた。

「我々と我々の母国は、貴国と共に新たな国家の成立を承認するのに吝かではない、と考えています。袁世凱大総統閣下」
「・・・あなた方はご自分が何を言っているのかお分かりですか?」

中華民国第2代臨時大総統・袁世凱が発した外交上恐ろしく非礼な発言はしかし、公使という名の仮面をつけた満鉄からのメッセンジャー達に何の反応ももたらさなかった。

返ってきた反応と言えば、英国公使が紅茶の香りを嗅いで僅かに頬を緩めた程度の事だ

「我がロシアが得た情報によりますと。モンゴルではジェプツンダンバ・ホトクト8世猊下を中心に各部族による政権の運営が既に始まっており、トルキスタンでも漢人勢力を排除したイスラム法学者を中心に自治運動が活発化しています」

「トルキスタンについては我が英国でも同様の情報を得ています。またチベットでも漢人勢力の排除が完了し、ダライ・ラマ13世猊下を元首とした新たな国家運営が始まっているそうです」

「アメリカは独立を志向する国家と国民を新たな友人として迎え入れたいと考えています。それに彼らと貴国は同じ清王朝の支配を打破し、新国家を樹立した同志ともいえる間柄ではありませんか」

「貴国と我々が共に独立を認め、四ヶ国との間に友好を築き上げれば、中華民国『政府』に更なる発展を約束するのは間違いありません」

「いかがでしょう?武力弾圧ではなく平和裏に彼らの独立を承認してみては?」

熊のようなロシア公使が平然と口火を切り、紳士然としたイギリス公使が話を継ぎ、アメリカ公使が豪快に言い放ち、日蘭公使が結論を告げる。
つまるところ満鉄参加国の公使達は臨時大総統に就任したばかりの袁世凱と独立の是非をめぐる交渉や提案をしに来たのではなく、彼らの決定を通達しにやってきただけなのだ。

「いやしかし、満州王国とはどういう事です・・・宣統帝が再び帝位に就くなど、我が国は決して認められません」
「満州は元々満州族の土地ですから、彼らが彼らの国を満州に建国するのは当然の権利です」

「大体、何の懲罰も無く旧清王朝領域に独立を認めていては、無原則に独立が承認されると誤解した連中が何をしでかすか分かったものでは・・・」
「大総統閣下の御心配は為政者として当然ですが、この場合杞憂と言えるでしょう。
 閣下の武威と政治見識があればそのような事態は起こりえない、と我々は『確信』しています」

「・・・『確信』しているだけですか?」
「勿論、最大限の『支援』を惜しみません。新たに生まれる友好国と共に平和と友好を築き上げていこうではありませんか」

「・・・」

袁世凱が必死に繰り出した反論も、あらかじめ用意されていた回答と差し出された飴の前に封殺された。


『黙って辺境を我々に差し出せ、お山の大将でいたいなら』


決して呟かれない各国の本音が袁世凱には聞こえる気がする。

343 :198:2014/06/22(日) 11:31:10

清王朝への裏切りと私兵による軍事的恫喝で臨時大総統の地位を獲得し、国民からの支持基盤を持たない袁世凱にとって列強の支持と近代兵器・資金の供給は必要不可欠の物であった。

ましてや彼はこれから孫文達主流派が執着する『選挙』とかいう得体の知れない西洋の政治儀式に参加しなければならない。

金と武器を流し込んで彼の北洋軍を維持し、近代インフラを整えて国内の支持を取り付けなければ、年末に予定されている中華初の国会選挙で袁世凱が勝利する事は不可能だ。
中華の大地では勝利し続けなければ容易く権力の座から滑り落ちてしまう。
列強の支援、特に革命の混乱でさらに華北一帯の影響力を強めつつある満鉄参加国の支援は、追い詰められた権力者にとって地獄に垂らされた蜘蛛の糸のようだった。

仏の気まぐれで切れてしまう、最後に残された儚い希望。

僅か三年前に生命さえも危険に晒される失脚を経験した袁世凱にとって、権勢の喪失は生命の喪失と同意義の物になっていた。
ならば中華民国第2代臨時大総統・袁世凱が近い未来に約束された絶望を回避する為に領土を切り売りしたとして、一体誰が非難できるだろう?

アメリカの経済学者とやらが言っていたように、今はとにかく強力な国家を作り、偉大なる中華の力を回復させてから時機を見て売り出した領土を回収すればいいのだ。

それがいつ誰の役目になるかは袁世凱に興味が無いが。

「四ヶ国の独立承認を検討しましょう」
「閣下のご決断を、必ずや世界は称賛するでしょう」

慇懃に頭を下げる公使達の後ろで嗤う幻影を、袁世凱は確かに見た。

344 :198:2014/06/22(日) 11:32:09
同日、南京。
前中華民国大総統・孫文はどう控えめに見ても怒り狂っていた。

「日本人はいつから白人の飼い犬に成り下がったのです!」

机を叩き、口角泡を飛ばし、その伝言を持ってきた相手を面罵する。

「日本の誇りは!武士道は!他国を切り売りして喰い散らかすことだったのですか!」
「落ち着いてください先生」
「これで落ち着けるはずがないでしょう!」

満州から来た日本の支援者の代理人が持ってきた地図を、勢い良く地面へと叩き付ける。
そこには中華民国と呼ばれるべき領域に、いまだ存在していない国々の名前が書いてあった。

「満州王国?モンゴル部族連合?トルキスタン共和国?チベット法国?
 全て中華民国の領土ではないですか!」

理想主義者にしてアジア主義者にして強硬な中華主義者である孫文にとって、旧清王朝の領域は中華民国が引き継いで然るべき正統な領土であり、満鉄参加国が行っている辺境域の分離独立など到底認めらようはずもない事だった。

旧清王朝に所属していた全ての民族が中華民族として対等に中華民国を構成し、強固な国家を作り上げ、アジアに真の独立を。

「犬養大人は決してこんな事を許したりは――」
「犬養先生にも止められません」
「!」

代理人の声の大きさではなく、その内容と衝撃が孫文の怒声をようやく止めた。

大日本帝国はこの謀略の首謀者たる満州鉄道株式会社の筆頭株主だ。その意向は他の満鉄参加国も無視できないはず。
そして孫文が兄弟とも慕う盟友・犬養毅は、日本でも屈指の影響力を持つアジア主義政治家。

その彼をして中華解体を止められない?

「日本にも、もうこの動きを止められないのです」

愛新覚羅善耆が提案し、満鉄参加国が承認した。
帝国主義終末期、複数の列強がそう望んだ事を列強単独で阻止する事など不可能だ。
ましてや列強の末席に過ぎない大日本帝国では、いかに満州鉄道株式会社筆頭株主であったとしても止める事は出来ない。

何より、独立する地域の人間が本気なのだ。
勝手に攻め込んできて支配した挙句、落ちぶれて衰退して衰弱し蛮夷と嘯いていた西欧に半植民地にされて滅んだ国の後継者に支配されるより、多少扱いは悪くでも列強の庇護下で国を作りたい。そう本気で考えて独立に向けた行動をしている。

345 :198:2014/06/22(日) 11:32:57

「彼らは中華からの離脱を選択しました」
「列強植民地としての独立など無意味だ。共に中華民族として・・・」

代理人には、愕然とする革命家へ非情な現実を伝える事しか許されていない。

「満州人もモンゴル人もテュルク人もチベット人も、漢民族のように自分の国が欲しいのです。
 どれほど望んでも漢民族の代表しか選べない国より、満州人の王やテュルク人のムスリムやモンゴル・チベットの活仏を代表に選べる国を作りたいのです」

例え西欧列強の植民地だとしても、その独立がいつになるか判らなかったとしても。
一度破綻した姿を見せた中華などと言う幻想とは、最早共に生きられない。

「犬養先生は、済まないと言っておいででした」

「・・・あなた達は、西欧列強とは違うと信じていた」

慰めにもならぬ伝言を告げると、がっくりと椅子に座り込んだ革命家は怨恨を抑え込んだ目で語り始めた。

「同じアジアの民として、革命を成し遂げた先達として、日本は西欧に対して立ち上がったのではなかったのですか。
 西欧が日本の敗北を予言したあの日露戦争で、アジア諸国民は誰もが日本の勝利を願った。
 バルチック艦隊を見て嘆き悲しみ。
 ツシマ沖の勝利を我が事のように喜んだというのに」

「・・・先生への支援はこれまで通り続けさせていただきます。
 何なりとご用命ください」

懐かしさと愛しさと悔しさを悲しみに混ぜ込んだ声に背を向けて、代理人の男は部屋を出た。
足早に孫文の部屋から遠ざかりながら、嗚咽と共に諦念を漏らす。

「――漢民族が泣いたり喜んだりするだけでなく、我々と共に立ち上がってくれていたのなら。
 日本は西欧列強にならずに済んだのですよ、孫文先生・・・!」

346 :198:2014/06/22(日) 11:34:03

そして様々な国内・国際政治上の駆け引きの産物として、中華民国政府は四ヶ国全ての国家としての独立を承認することになる。
独立承認の政府宣言だけで無く政府として正規の公文書も作成し、『適切な助言』に基づいて明確な国境線の画定と列強各国の勢力圏の確認も行われた。

内外蒙古を統合したモンゴル部族連合ボグド・ハーン政権はロシアの影響下に。
インドから続くイギリスの勢力圏としてチベット法国が。
英露双方の緩衝地帯としてトルキスタン共和国が。
満州王国はそのまま満州鉄道株式会社参加各国が後ろ盾に。

かくして帝国主義全盛の世界で旧清王朝領域に四つの国家が成立する。
列強各国の強い影響下にある半保護国状態でも独立である事に変わりはなく、独立した四ヶ国国民の歓声と中華民国国民の怒声とが中華大陸に飛び交うことになる。

もっとも、中華民国国民の怒声がその後の国会議員選挙に反映される事はなかった。


宋教仁、選挙遊説中に刺殺。


中華民国初の首相になる事が確実視されていた男の死が、辺境の独立より大きく中華の大地を揺さぶったからだ。

現場で捕えられた男は重度のアヘン中毒者であり、まともな取り調べもされないまま獄中で死亡する。

誰もが袁世凱による暗殺を疑う中、1912年末に中華史上初の国会選挙は執り行われ『まったく支持率が無かったにも拘らず』袁世凱率いる共和党が勝利する。

誰を買収し、誰を恫喝し、どんな情報を流すか。
――そして誰を排除するのが一番効率的か。

初めて選挙を行う国民意識の未成熟な国家の選挙結果を書き換える事など、選挙や植民地統治に手馴れた西欧列強から派遣された袁世凱の非公式選挙顧問にとって容易いことであったのだ。

1913年2月末に共和党・民主党・統一党の北洋軍閥政党による中華民国連立政権が成立すると、孫文はこれを列強の選挙介入・売国内閣だと非難して国民党による武力闘争を開始する。

孫文=国民党を叩き潰す機会を手ぐすね引いて待ち構えていた北洋軍閥により即座に国民党討伐が開始され、これを国民党が迎撃。

満州鉄道参加国が支援する袁世凱=北洋軍閥に対し、満鉄利権より除外され華北一帯への影響力を喪失しつつあった仏独墺伊といった列強が孫文=国民党への支援を本格的に開始する。

辛亥革命の終結より一年足らず。
中華民国は中華動乱と呼ばれる大規模な内戦状態へと突入した。

次話:中華動乱とその影響

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最終更新:2014年06月24日 22:39