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ドイツ人的完璧主義


1914年9月11日。
マルヌ会戦で英仏連合軍に戦術的勝利を収めながら、自軍の継戦力の喪失によりパリに手を掛ける事無く前線が後退すると、ドイツ参謀本部は愕然としヴィルヘルム2世は激怒した。

この会戦の勝利とパリ占領による短期的な戦争の終結だけを前提条件として、外交さえも組み込んで構築してきた戦争計画が破綻したのだからそれもあたり前であろう。

しかしながらドイツ参謀本部は諦めなかった。そう、ドイツ軍人は狼狽えない。

西がダメならまず東から。
ドイツ参謀本部はヴィルヘルム2世の怒声を浴びながら大慌てで塹壕線を構築し、長期消耗戦体制を確立しながら開戦で停止していた計画を実行に移す。

10月2日。
いつの間にか反ロシア派連合へと変貌を遂げていたトルキスタンの騎兵レジスタンスの一部がロシア・トルキスタン国境を突破。

開戦によりドイツからの支援は断たれていたが、対青海派の支援の為に満鉄を通じて供給された武器がトルキスタン共和国には溢れており、例えごく少数であっても非支配者と同族の武装勢力が中央アジアに流入するという事態はロシアの悪夢の具現に他ならなかった。

馬に乗って中央アジア全域を逃げ回りながらロシア軍の物資を略奪し、まともな戦闘も行わずにロシアから奪った武器をばら撒いて中央アジア住民の反ロシア暴動を扇動する。
中央アジア各地で続発する反乱未満・暴動以上の武装騒乱を鎮圧して回るためにロシア軍は欧州に投入すべき兵力を中央アジアに割かれ、ドイツに対する主導権を完全に喪失してしまう。

余談ではあるがこのロシアの現状を『サラエボの銃弾で家に火がついて黒焦げになるロシア風美女』と言う風刺画で掲載した日本の新聞社があったのだが、ドレスを焼かれた美女の肢体が扇情的にすぎるとの批判が相次ぎ、謝罪文と共に挿絵がパンチパーマの熊の姿へと差し替えられる事になる。

1915年4月26日。
東西の戦線は停滞したまま両陣営の血を飲み続けて年を越し、ロシアが中央アジアの火消しに奔走する様をドイツ人達が嘲弄していたこの日、イタリア王国がオーストリア=ハンガリー二重帝国に宣戦を布告『未回収のイタリア』の奪還を開始した。

同盟国の裏切りにヴィルヘルム2世はオーストリア救援を参謀本部に厳命する。
日英仏露に加えてさらにイタリアまで敵に回った以上、唯一の同盟国の戦争脱落は絶対に阻止せねばならなかったからだ。
西部戦線への兵力集中がさらに遅れる事を理由にドイツ参謀本部は派兵を躊躇するが、既に一度戦争計画に固執して外交を破綻させた後ろめたさから皇帝の命令を組み込んだオーストリア救援計画を立案する。

そしてこのドイツ人的完璧主義が産み出した戦争計画が更なる動乱を世界に振り撒いていく。

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1915年12月1日重慶。
中華民国国民政府総統・孫文は憂鬱だった。
北洋政府、華南自由連合によって海から切り離され、四川省・貴州省・重慶という内陸部しか支配下に置いていない国民政府はまともに列強の支援を受ける事さえできない。
解体された中華、分断された祖国、そして敵対勢力に包囲された国民政府という現在の状況は、いかな不屈の革命家たる孫文といえど気持ちを落ち込ませるに十分な材料だった。

「ふぅ・・・」

暗澹たる気持ちに押し潰されそうになった孫文は溜め息を一つ吐いて執務机の引き出しから便箋を取り出し、日本へと向けた手紙を書き始めた。

最近孫文の気持ちを唯一和らげてくれているのは日本の犬養毅との手紙のやり取りだけだと言っても良い。

意外な事に、日本政府が満鉄を設立して中華を解体し、満鉄参加国と一緒に袁世凱を支援している状態でありながら日本からの孫文への援助が途絶えたことは無い。
犬養毅と彼に賛同する日本国内のアジア主義者の援助はほとんどが軍事的な物ではなく民生支援が主体であり金額も微々たるものに過ぎなかったが、何よりもその支援自体が孫文には有難かった。

己と志を共にする人間が少しでも海の向こうにも居てくれる、ただそれだけの事実が中華大陸内部に封じ込められた孫文にはこの上なく嬉しい。

「?」
不意に廊下が騒がしくなり怪訝に思った孫文が顔を上げて執務室の扉を見ると、武器を持った男達が次々と室内へなだれ込んでくる。

「・・・なんだね、君たちは」
動乱に生きてきた革命家は突然突き付けられた銃口にも動じる事無く男達を睨みつけ、その後ろから現れた男の顔を見て驚愕した。

「お久しぶりですな、孫文先生」
「白朗!貴様どの面下げて戻ってきたか!」

白朗。字を名心。通称を白狼。
河南省から野盗集団を率いて国民党に参加したこの男は、すでに孫文の手によって国民党から追放されている。

「おやおや、これは随分嫌われてしまいましたなぁ」
「当り前だろうが!自分のした事を覚えてないのか!」

国民党内部の過激な中華思想派を糾合して青海派を結成し、孫文の指示を無視してトルキスタン共和国に攻め込んでいったのはこの男なのだ。
主義主張ではなく私利私欲で行動する餓狼の如きこの男を国民党に入れたのは、少しでも戦力を確保したかったという孫文の打算からだったが、一体どこまで仇を為そうというのか。

「先生、我々は改心したのです」
「ならばこれは何のマネだ」

銃を持った兵士達を指差す孫文を無視し白朗は芝居がかった口調で話し続ける。

「我々は先生の理想を守って生きると決めました。
 先生の理想に従い、我らは中華奪還を開始します。
 西欧列強が遠く離れた欧州で殺し合いに興じている今こそが好機。
 西欧と蛮族に奪われた領土と中華の誇りを取り戻す聖戦を開始します」

両手を広げて白々しく語られるその言葉に、孫文は思わず呆然として白朗の顔を見返した。

列強に領土奪還の戦いを挑む?
トルキスタンですり減った青海派では到底勝てるはずがない。
そもそも白朗とは理想のようなものの為に戦いを始める人間ではなく、青海派を作ったのもトルキスタンへ攻め込んだのも兵達の思惑はともかく、それを指揮した白朗個人はただひたすらに独伊からの支援と個人の権勢を求めての事だ。

どうしようもない絶望が孫文の胸の内を漆黒に塗りつぶしていく。

「貴様ら私を――いや、中華民国をどうする気だ?」
「ご安心を、先生にはちゃんと我々と中華民国を『指導』していただきます」

通名通りに餓狼の如き白朗の笑顔が孫文の問いへの応えだった。


この日、トルキスタン共和国より帰還した青海派が孫文を監禁し、事実上の人質とすることで国民政府の実権を掌握。
中華民国の正当な領土の回復を謳って協商各国とチベット・モンゴル・トルキスタンに対して宣戦を布告する。

欧州で始まった大戦はユーラシア全土にその戦火を広げようとしていた。

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「――しかしなんですねぇ、大尉殿。連中、本気で俺たちのヨタ話を信じたんでしょうか?」
「さて、兵達はともかく。あの指揮官はあんな話信じていないと思うな」

副官に差し出されたコーヒーを手に取りながら、そのドイツ帝国海軍大尉は首をすくめて見せた。

国民党政府が中華大陸で協商国と戦ってくれれば支援は惜しまない。

そう言ってトルキスタン共和国で逃げ回っていた白朗たち青海派をそそのかして国民政府の実権を掌握させたのは、間違いなく彼らドイツ帝国だったが、その話を白朗にした張本人である大尉からしてそんな事は不可能だと判っていた。

大体ドイツ帝国はこの年の初めのドッカー・バンク海戦ですでに制海権を失い始めている。
日英仏とイタリアによってもはや地中海の運行さえままならない国が、いったいどうやってユーラシアの端の、それも港を持っていない勢力を支援するというのか。

それでも大尉が白朗にこの話を提案し白朗がその提案に乗ったのは、所詮白朗が匪賊の頭領に過ぎなかったからだ。
要するに国家規模で殺して盗んで好き勝手してほしいと金を払って大尉たちドイツが依頼し、白朗はその依頼を受けた。
細かい先の事など白朗は考えていないし、大尉もそんなことは気にしない。

「しかしなぁ、私は海兵なんだぞ・・・」

コーヒーを飲み干してぼやく大尉の目の前には広大なるタクマカラン砂漠が広がっていた。

青島からチリへ、大西洋を越えて本国へと帰還した男は参謀本部によってその行動力を生かすべく、中立国ポルトガルの船を使って再びアジアへと送り込まれ、さらにタクマカラン砂漠を越えて中央アジアへと向かって反ロシア運動の組織化と大規模化を行う事になってしまった。

実のところ白朗の国民政府掌握など、この男を中央アジアへ行くついでに作った目晦ましの囮に過ぎないのだ。

欲を言えば仏印ぐらいには乗り込んで蛙食いどもを慌てさせてほしいが、そのまま何もせずに壊滅してくれてもドイツは一向に構わなかった。

「上に目を付けられたんです、仕方ありませんよ」
「やれやれ・・・」

副官から慰めのコーヒーをもう一杯貰って両手でカップを包み込むと、ヴィルヘルム・カナリス大尉は深く深く嘆息した。

次話:匪賊たちの宴

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最終更新:2014年07月12日 01:01