253 :198:2014/07/04(金) 22:31:41


ユトランド沖の弔砲


大日本帝国は欧州で大戦が勃発すると改定された日英同盟に従いドイツ帝国に宣戦を布告。
1914年中に青島を始めとするアジア太平洋からドイツ勢力を排除する事に成功し、その後は主に海軍を中心に欧州へ戦力を進めて地中海や大西洋でドイツ軍Uボートとの攻防を繰り広げていた。

1915年5月にはアメリカ船籍のルシタニア号を攻撃しようとしていたU-20を直前で撃沈する戦果を挙げて日本の海上護衛戦力の高さを示し、英国海軍との船団護衛戦術の技術交流も始まった。
さらに香取型準弩級戦艦4隻を海上護衛戦力として派遣して洋上の安全を確保し、出雲型戦艦・伊吹型巡洋戦艦が就役すると広瀬武夫中将指揮の下に遣欧艦隊を編成し金剛型巡洋戦艦4隻・扶桑型超弩級戦艦4隻を北海へと送り込んでドイツ大洋艦隊へと対抗する。

日本海軍の要望により英国設計らしからぬ重装甲の巡洋戦艦として完成した金剛型と、砲口径こそクイーン・エリザベス級に負けるものの砲門数で凌駕し走攻守のバランスが取れた扶桑型の北海派遣は英国海軍を大いに喜ばせ強大な高速艦隊の増加はドイツ大洋艦隊への圧力となり続けていた。

そして1916年5月30日。
英国海軍は通信傍受によりラインハルト・シェーア中将率いるドイツ大洋艦隊によるイギリス南部の都市サンダーランド攻撃を察知。
日英共同の情報解析によりドイツ艦隊の行程を予測した日英連合艦隊は大洋艦隊を壊滅させる事で制海権を確保する計画を立案する。

21時30分"サイレント・ジャック"ジョン・ジェリコー提督揮下の弩級戦艦28隻と巡洋戦艦9隻を中核とする英国グランドフリートがドイツ大洋艦隊迎撃のためにスカパ・フローから出港。
翌日早朝には4隻の弩級戦艦と6隻の巡洋戦艦からなるデイビッド・ビーティ中将の巡洋戦艦艦隊及び、日本遣欧艦隊がフォース河口を出撃する。

ジェリコーのグランドフリートは北回りに南下、ビーティの巡洋艦隊は東へと直進、そして広瀬の遣欧艦隊は南寄りの曲線を描いてユトランド沖合の戦場を目指す。
接敵予測海域はスカゲラク海峡の西方145km。

速度に勝る二つの艦隊で敵を拘束・誘導し、英国グランドフリートの大艦隊をもってドイツ大洋艦隊を包囲殲滅する。

ネルソンの後継者たる英国海軍が日本海海戦に劣らぬ圧倒的な勝利を!
そう意気込む英国海軍の計画は、皮肉な事にその伝説を打ち立てた日本海軍によってあっさりと破綻してしまう。

254 :198:2014/07/04(金) 22:32:26


5月31日11時25分。
南回りで進む日本遣欧艦隊をシェーアが事前に展開させていたUボートが捕捉し、英国設計の金剛型・日英共同設計の扶桑型が主力を務める遣欧艦隊を英国艦隊と誤認。
『英国巡洋戦艦部隊発見』とシェーアの本隊に通報してしまう。
Uボートに気付いた遣欧艦隊は対潜戦闘を開始し2隻のUボートを撃沈破するも、次々と集まってくるUボートに航行速度を大幅に遅らせざるを得ず、通報を受けた大洋艦隊は日本遣欧艦隊を英国グランドフリートの前衛艦隊だと判断し、北上中だったその進路を遣欧艦隊攻撃の為に南西へと変更する。

15時32分。洋上に立ち込める霧の中でビーティ率いる英国巡洋戦艦艦隊は左前方より南下してくる艦隊を視認。
霧の中の同士討ちを恐れて所属の確認を急ぐ中、南下してきた艦隊は一気に速度を上げる。

相手が巡洋戦艦5隻からなるドイツ艦隊だと英国艦隊が気付いた時にはフランツ・フォン・ヒッパー中将の偵察艦隊はビーティ艦隊の進路に割って入りT字を描こうとしていた。
同士討ちをする味方がいる優勢とその心配が無い劣勢が、英独提督の判断速度に差を付けたのだ。

互いの巡洋戦艦部隊から報告を受けたジェリコーとシェーアは戦場へと急行。
ビーティは急ぎ艦隊を北に旋回させて反航戦を行いながらヒッパーをグランドフリートへと誘導しようと図るも、編入されたばかりのクイーン・エリザベス級4隻からなる第5戦艦戦隊が回頭信号を見逃し戦線から外れてしまう。

15時48分。後にユトランド沖海戦と呼称される海戦の最初の砲弾が放たれる。
回頭中のビーティ艦隊に降り注ぐドイツ製砲弾は次々と英国巡洋戦艦群を痛打し、わずか数分のうちにタイガー、プリンセス・ロイヤルが大破して戦線を離脱。ビーティの旗艦ライオンもヒッパーのリュッツオウに主砲塔を撃ち抜かれてしまう。
そして弾薬庫への注水でライオンが誘爆の危機を脱したとビーティが報告を受けた直後、ザイドリッツとデアフリンガーの一斉射を受けてインディファティガブルとクイーン・メリーが轟沈する。

「・・・血塗れになった今日の我が艦隊は、何かがおかしいんじゃないか?」

呆然と呟くビーティを尻目にヒッパー艦隊も北へ進路を変え、戦列復帰にもたつく英国第5戦艦戦隊を横目にビーティの後方から左手に回り込んで同航戦を開始する。
左後方より飛来する大仰角弾に英国巡洋戦艦ニュージーランドが艦尾を破砕されて戦線を離脱するに及びビーティは砲撃戦を諦めてヒッパー艦隊の味方艦隊への誘導に専念し始め、英国の艦隊行動を見たヒッパーはシェーアの大洋艦隊本隊へと合流すべく霧の中に姿を消してしまった。


18時30分。
ビーティ揮下の軽巡洋艦サザンプトンがヒッパーと合流したシェーアの大洋艦隊本隊を発見、英国巡洋戦艦艦隊はドイツ艦隊をグランドフリート本隊へと誘い出すべく再び接敵するが、誘導時にまたしても情報伝達に失敗し第5戦艦戦隊の回頭が遅れてヒッパーとシェーアの艦隊から乱打を浴びてしまう。
第5戦艦戦隊は一時単独でドイツ艦隊と渡り合う事になり、戦隊を構成するクイーン・エリザベス級各艦は次々と被害を受けていったが日本の設計思想も取り入れた対38cm砲防御の重装甲は格下のドイツ砲弾に十二分に耐え、ドイツ艦隊に打撃を与えてザイドリッツの戦闘力を喪失させることに成功する。

水雷戦隊の報告により英国艦隊接近の報を得たシェーアは戦闘を中断し南南東へと進路を取る。
ビーティは追撃を試みたが英国巡洋戦艦艦隊は舵を損傷したウォースパイトを筆頭に戦力を低下させており、接触を保ちつつジェリコーへと敵艦隊の位置を通報する。

255 :198:2014/07/04(金) 22:33:14

19時30分。
ジェリコー率いる英国グランドフリートが戦場に到着。弩級戦艦16隻巡洋戦艦5隻前弩級戦艦6隻からなるシェーアの本隊にT字を取る形で戦闘を開始するとドイツ艦隊は瞬く間に損害を積み上げていく。
ドイツ大洋艦隊の先頭にいた弩級戦艦ケーニッヒはジェリコーの旗艦アイアン・デュークから数発の直撃弾を受け、ヴェストファーレンは艦橋を粉砕されて大破してしまう。
ヒッパーの偵察艦隊ではリュッツオウ、フォン・デア・タンが主砲塔を1基破壊され、デアフリンガーが中破、無傷なのはモルトケのみとなってしまった。
英国艦隊への反撃に放たれたデアフリンガーの主砲弾がインヴィンシブルの主砲塔を貫通、インヴィンシブルは砲弾の誘爆に船体を真っ二つに裂かれて轟沈する。

インヴィンシブル撃沈に口角を上げながらも、不利を悟ったシェーアは退却を開始。
ジェリコーは雷撃戦を嫌いドイツ艦隊を追跡せずに南への針路をとり、ドイツ艦隊を西方に捕捉し続けようとする。

20時13分。
シェーアはジェリコー艦隊の位置を予測し、日暮れを利用してその後方をすり抜けようと東へ回頭するが、偵察部隊の誤報により南下してくるグランドフリートと遭遇してしまう。
ドイツ大洋艦隊壊滅の危機にシェーアはヒッパーにT字を描きつつある英国艦隊への突入を命令。

北海の遅い夕闇の中、ヒッパーのリュッツオウを先頭にドイツ巡洋戦艦艦隊による「死の騎行」が開始される。

降り注ぐイギリス砲弾への突撃という無謀はインフレキシブル、インドミタブルの英国巡洋戦艦2隻爆沈という成果で報いられ、その混乱に乗じてシェーアの本隊が敵前大回頭を成功させる時間を稼ぎ出すのみならず、ヒッパーの偵察艦隊による英国艦隊突破さえも可能にする。
その代償にドイツ偵察艦隊の各艦は軒並み艦上構造物を屑鉄へと作り替えられていたが、ドイツ大洋艦隊はただの1隻も脱落する事無く戦場からの離脱を成功させた。

前方から飛来する36㎝砲弾がドイツ艦隊の行く手に水柱を立ち上げるまで。


落陽の残照にはためくのは旭日旗――大日本帝国海軍遣欧艦隊が戦場に到着したのだ。

256 :198:2014/07/04(金) 22:33:56

1916年6月1日4時30分リュッツオウ艦橋。
北海の短くも激しい夜を駆け抜けたドイツ偵察艦隊司令部をヒッパーは奇妙なほど清々しい気分で見回した。

日本遣欧艦隊の到着により退路を断たれたドイツ大洋艦隊は決死の抵抗を開始する。
圧倒的な劣勢下にあって自らと共に海底へ沈む同行者を求め続けた結果ドイツ艦隊は戦艦7隻、巡洋戦艦6隻、前弩級戦艦6隻を喪失。
英艦隊に戦艦5隻、巡洋戦艦2隻の犠牲を強いて夜の闇へと逃走したが、一体何隻の艦がドイツへと辿り着けるのか。

フォン・デア・タン、デアフリンガー、モルトケ、ザイドリッツ。
T字戦法を突破するという無謀を成し遂げたドイツ偵察艦隊にはもはやリュッツオウしか残されていない。

「――それでは司令。お世話になりました」
「・・・うむ、ドイツ海軍をよろしく頼む」

苦渋に顔を歪めるエーリッヒ・レーダー主任参謀を敬礼で送り出し、朝日が上る水平線へと目を向けた。
リュッツオウの右手には彼の奮戦を打ち砕いた日本遣欧艦隊8隻が、呆れるほどの几帳面さで整列している。

根性曲りのライミー共が精々はしゃぐであろう『栄光の6月1日』。
その一日に自分の名前が敗者として刻まれる事を忌々しく想像し、ほんの少しの誇らしさを抱いて胸を張る。

フランツ・フォン・ヒッパーはドイツ巡洋戦艦5隻を指揮し世界最大の海戦の最初から最後まで戦い続けた。
指揮下の艦隊で合計5隻の英国巡洋戦艦を轟沈させ、T字戦法を食い破り、味方の撤退を支援しながら一番最後に戦場から離脱した。

なんだ、結構素晴らしい戦果ではないか。

「・・・どうせなら日本の戦艦も一隻ぐらい沈めてやるべきだったな」

砕けた艦橋の窓から見える日本艦隊に対して敬礼を送り、その砲塔がこちらに動き出すのを見てヒッパーは笑みを浮かべた。


ドイツ巡洋戦艦リュッツオウは僚艦が全て離脱するまでドイツ海軍の殿軍を務め、その後夜間戦闘の混乱に乗じて日英艦隊の包囲網から離脱する。
被弾した艦首から大量の海水を飲み込みながらドイツへの帰還を目指すも、艦首へと侵入した海水の重みで艦尾が持ち上がってしまいスクリューが海面上に露出して航行を停止。日英艦隊による鹵獲を恐れたヒッパーにより自沈処理が行われるが、戦闘により破損したリュッツオウはキングストン弁を爆破しても完全に沈む事は無かった。

そこにリュッツオウを追跡してきた日本遣欧艦隊が到着。司令の広瀬武夫中将は事情を確認すると戦艦による砲撃処分を提案する。

「ドイツの騎士を晒し者には出来ぬ、介錯仕る」

この広瀬の提案にヒッパーは愉快そうに笑い総員退艦を命じる。
退艦を勧める参謀達にヒッパーは短く否と答え、ただ一人乗組員達を敬礼で見送ったという。

日本遣欧艦隊の戦艦・巡洋戦艦はリュッツオウに最敬礼を行った広瀬の指示で全艦一斉に射撃。
全80発の36cm砲弾のうち21発が命中し、奔騰する水柱が収まると共にリュッツオウはその姿を海面から消していた。

命中率16.8パーセント。
高貴な無駄弾とイギリス人さえ褒め称える、誇り高き敵手への弔砲であった。

次話:風が吹けば

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最終更新:2014年07月12日 01:31