第六話

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  第六LV <エウレカが泣く恋に>  

 聖暦3353年 -霜月 十二日-

 アシュレイは、寂れた街の通りを独りで歩いていた。
 壊れた家屋が放置される最中、不意にエウレカの咆哮が聞こえる。
「!」
 無人かと思われた一つの家屋から、狼の姿のエウレカが一体、猛然と飛び出してきた。
 彼はそれを軽くあしらい、持っていた炎剣で斬り捨てる。
 斬られたエウレカは、なんと木っ端みじんに四散した。
 それだけならまだしも、空に大きな四ケタの数字が浮かび上がっている。
 さらに今度はアシュレイの妹がどこからともなく現れ、手を叩いている。
「お見事!凄いダメージだったね。今ので二百ジュエルのボーナスだよ」
 アシュレイは炎剣をしまう。
 そして歩み寄ってきたレラの額を小突くと、ぶっきらぼうに言った。
「さ、もう遊びは終わりだ」
 しかしレラは泣き出しそうな顔をするだけで、兄の言葉を聞く耳は持っていないようである。
 両手で兄の右手を掴むと、ぶるぶると首を振っている。
「しょうがねぇな……」
 アシュレイは可能な限り苦々しく言ってやった。
「そうこなくっちゃね」
 だがレラはまるで気にする素振りを見せず、うきうきしながらヴァーチャルタイピングを開始する。

 寂れた街並みは掻き消すようにして無くなる。
 代わって周囲にスロットマシンやポーカーテーブルが、床から次々と生えてきた。
 追従するように壁や屋根も現れて、二人は、今度はカジノの中に居た。
 すぐ傍らに出現した笑顔のバニーガールからコインを受け取り、レラは手近なスロットマシンのもとまで走って行き、遊び始める。
「ささ、兄さんも!」
 レラは腰を振りながら手招きするも、アシュレイは応じようとしない。
 するとすぐに、アシュレイの周りにバニーガール達が集まってきた。
 彼の手を取り、妹のもとまで連れて行こうとする。
「しゃらくせえぞ、立体映像どもが!」
 アシュレイはバニーガール達を手で払いのけると、彼女らはたちまち消えてしまった。
 レラの部下でもない、MSCからダウンロードされたホログラムである。
「……お気に召さない?じゃ、じゃあ、今度は……」 
 レラが懲りずにタイピングすると、次に現れたのは巨大な遊園地だ。
 奥にはジェットコースターのレールが見え、すぐ側にはメリーゴーランドが回っている。
 それらを見て、アシュレイは少しだけ感慨にふけった。
「ほう。これはまた、懐かしいものを引っぱり出したな」
 レラはぱっと顔を輝かせる。
「そうだよ!このプログラムは僕が創ったんだ。ニド戦役はともかく、イド戦役より以前のデータとなると、描き起こすしかないから」
 アシュレイは一人で辺りを散策するつもりらしい。
 説明を続けようとするレラを捨て置き、ぶらぶら歩いていく。
「ま、待って兄さん!」

 二人はそのあと、幾つかのアトラクションを楽しんだ。
 ジェットコースターでは二人して絶叫をあげ、
 続くコーヒーカップではのんびりと回転する景色を眺める。
 アシュレイが満足気に笑うのを、レラは心から嬉しそうに見ていた。
「兄さん。次はあそこへ行こう」 
 レラが指差した先には、ミラーハウスがあった。
 入るなり、二人は無数の鏡に行く手を阻まれる。
 レラがはしゃぐ一方で、そろそろアシュレイは、再度の退屈と焦燥を覚えたようだった。
 先ほどよりもはっきりとした口調で、レラに切り出す。
「……もういいだろう。最初のゲームから数えて、三時間近くは経つ」
「嫌だよ!僕は兄さんを三年探したんだ。もっと僕に付き合ってくれても、罰は当たらないと思うけど?」
 微笑んでごまかそうとするレラに対し、アシュレイの表情は固い。
「お前の部下の調査報告が気になるんだ。お前だって気になるだろう?メロン、だったか。
 自分の側近が下界へ降りていったきり、三日もろくに連絡を寄越さないとあってはな……」
 アシュレイのどうしてもという頼みを受け、レラは城の庭師兼、砲撃手であるメイドシミラー“メロン・ミネルバ”を使いに出していた。

「大丈夫。メロンは射撃の腕も凄いし、間違ってもロストするような娘じゃないよ」
 アシュレイは多少苛立って言う。
「仲間を、心配しないのか」
 レラはしばらく黙り込んだ後、せせら笑う。
「そういう兄さんは、誰の心配をしてるの?少なくとも、メロンじゃないよね」
「なに?」
「あの女。メロンがいま調査してくれている対象。ヒトミ・ラクシャーサでしょ」
 アシュレイは眼を大きく開き、急に押し黙った。
「やっぱり、か」
 レラはアシュレイから眼を逸らした。
 すると今度は、鏡に映るアシュレイが視界に入ってしまう。
 仕方なく、もう一度アシュレイに視点を戻す。
「別に、口に出さなくても分かるんだよ。兄さんが、あの女のことばかり気にしてるってことはね」
「……俺は、別に……」
 困惑するアシュレイの表情が、鏡に連鎖する。
「いいよ。無理しなくていい」
 レラはかぶりを振った。
 眼を閉じてそっぽを向いてしまうレラに対し、アシュレイは迷った挙げ句、本音全てを口にした。

「レラ、お前があいつを嫌うのは仕方ないことだと思う。仔細はどうあれ、
 お前を殺して、そんな身体にさせちまったのは、俺とあいつの責任だ。すまなかった」
 アシュレイはレラがこちらを見ていないのを承知で、深々と頭を下げる。
「妹の死体なんて、怖くて確認出来なかったわけかい」
 レラは呟いた。既に眼は閉じていない。
 アシュレイは姿勢を戻し、向き合って言った。
「恥ずかしい話だがな」
 苦笑するレラ。
「なるほど。……じゃあさ、償おうという気はあるよね?僕が望むのは一つ、兄さんがずっとこの城に居てくれること。
 それだけで、全部許そうと思うんだけどな————」
「……いいだろう」
「本当に?」
 眼を輝かせるレラに対し、アシュレイは静かに言う。
「ただ一つ、条件がある。……ヒトミを、助けてやってくれ」
 ただし、かすれ気味な声で。
 これ以上無いくらい、レラにとっては不快な要求である事は、アシュレイにとっても重々承知だった。
 レラは大きく溜息をつく。
「いいか、レラ!あいつはいま、生きてるのか、死んでいるのかも分からない。俺は、それが耐えられないんだ」
「あぁーあーあー」
 大声を出しつつ、アシュレイの口元を手で遮るレラ。

「確かに、僕は医車として、ヒトミという女を助けてやることはできる。けれど、僕だって考えるわけさ、兄さん。
 あの女が僕に対してやったことは、百歩譲って我慢してやるとして。本当にあの女は、生き返らすに値する存在なのかな、ってね」
「俺にとっては、間違いなく大切な女なんだ……。レラ、お前だって知ってるはずだ。俺があいつのおかげで、
 どれくらい変わることが出来たか」
「兄さんは、兄さんだ!三百年前からずっと、あくまで、僕の兄さんだ!」
 レラは突然、いきり立って叫んだ。
 彼女の声が、狭いミラーハウスの中にこだまする。
 レラの想いを計りかねるアシュレイは困惑するばかりで、そこに彼女の残酷な笑みが舞い込んだ。
「やっぱりさ、兄さん。言おうかどうかずいぶんと悩んだんだけど、この際だから言っておくね」
「……なんだよ」
 レラは、一歩アシュレイとの間合いを詰める。

「僕や反教会機構の学者が最近になってようやく発見したことなんだけど、
 エウレカには、見る者に合わせて姿や性質を変える習性があるんだ」
「……俺も、噂程度でなら耳にしたことがある。こちらが敵対心を持っていれば、彼らは猛獣の姿を象り、
 そうでなければ小鳥の姿で現れ、優しい歌を口ずさむこともあると」
「イエス」
 レラは人差し指を立て、冷たく笑う。
「そこまで知ってるんなら、気付いてよ。
 ヒトミ・ラクシャーサもね。所詮、…………兄さんの創り出した、幻想なんだよ」
「な、に……?」
 さらに一歩、アシュレイに近付くレラ。
 二人の距離はほとんど密着している。
 レラはアシュレイを見上げながら、自らの胸を押し当てるようにして、話を続ける。
「エウレカは、微小な生命の集合体。かつて人だったものの細胞全てが、イド戦役で生じた過酷環境で突然変異した……
 自由に姿を変えられる不定形な生き物になってしまったんだ、シミラーに成り損ねた旧人類は。
 さて、兄さん。“シミラーであった頃のヒトミ”って……見たことあるの?」
「…………!」
 考えた事も、無かった。
 ヒトミをあの忌まわしき教会の施設、“クゥライド・ドラクロア研究所”より助け出した時。
 それが“シミラーだった女、ヒトミ”との出会いだった。
 既にヒトミは、エウレカと化した後だったのである。
 より以前の彼女となると、人づてに聞いた情報しか、アシュレイは持ち合わせていない。
「……だ、だがな……!」
「想いは本物、とでも?」
 レラは眼を細めてから、ぷっと吹き出す。
「そんなの、三文芝居でも使われる台詞だよ!」
 アシュレイの両肩にそれぞれ片手を乗せ、アシュレイの身体を揺らしながら、レラは言葉を紡ぐ。

「兄さん、少しは自覚して。兄さんは、夢見て……いいえ、夢見せられているだけ。それも、悪い夢をね」
 アシュレイは、息を呑んだ。
 レラの瞳が不気味な紫色に染まるのを、見たのだ。
「僕なら、もっといい夢を見せてあげられるんだけどなぁ………良かったでしょ、薫月亭」
 レラが指を鳴らすと、辺りはフェードアウトし、舞台は無人の薫月亭となる。
 だが、妖しげな曲はどこからか流れてくる。
 レラはアシュレイの首に両手を回し、さらに兄の眼を覗き込もうとする。
 アシュレイは、反射的に妹から眼を逸らしていた。
 構わずにレラは言葉を吐く。
「エウレカの力って凄いよねぇ………僕の友達を、みんな殺してしまった!
 ヒトミがエウレカを褒めたたえるような女だって気付いたときは、どうしても許せなくて……殺そうと思ったけど、
 逆に僕が殺されて。笑い話だよね。でも、おかげでさ。僕もね、大いなる力を得たんだ」
 レラは己の右手を、アシュレイの目先に持っていった。
 いつかのように、いまは灰色に染まっている。
「綺麗でしょう、この手。実はね、兄さんの大好きな女の腕なんだよ」
「…………は………?」
「ふっふっふっふ!僕もただでは死ななかった、腕の一本奪ったのさ。もうとっくに再生してるだろうけど。
 まさかあの女も……自分の細胞のせいで僕が生き返っただなんて、夢にも思ってないだろうなぁ。
 エウレカになったシミラー。僕はまるであの女とそっくりじゃないか!」
 レラは自嘲気味に笑った。
「でもね、兄さん。いまの僕なら、もっと兄さんの望み通りになれる。本当だよ?だって付き合った時間の長さが違うじゃない。
 このティルミン・レラの姿でも物足りないなら、僕はもっと、努力する」
「レラ。おまえ………」
 健気、と本来なら解釈すべき妹の発言は、しかし明らかに狂気の声色を孕んでいる。
「例えば———————こういうのはどうだい?」
 レラは、右手で自分の顔を覆った。
 彼女が右手を外すと、レラの顔は消え失せ、別の女の顔へと替わっていた。
 ニヤ………
「ッ!」
 今度こそ、アシュレイは驚いた。
 恐怖した。
 声にならない叫びをあげて、妹から離れた。
「どう、兄さん?」
 その女の顔は、
 金髪である事はレラのままだったが、
 長いまつ毛に大きな瞳、
 他は全て間違いなく、
 アシュレイが最も愛する———————

「あはは。その様子じゃ、いま僕の顔は、きっと………」
 次にレラは、頬に両手をあて、肩と声を震わせて、泣き出した。
 そして輪郭すら変えてしまった顔を、烈しく掻きむしり出す。
 自虐。
「そうかぁ………やっぱりなァ………兄さんが、一番好きなのは………う、うっう………ううぅぅ、はッ、ははははははッ!」
 かと思うと、突然狂ったかの如く、腹を抱えて笑い出す。
「あははははッ はっはっはッ ハハハハハ!」
 あるいは、本当に狂ってしまったのかもしれない。
 辺りの景色が、再び崩れだす。
 今度は、家具など無い、壁も床も、真っ白な部屋へと変わっていた。
 あるのは壁にある、杭のような装置だけ。
 それこそ、MSCに常時接続していたブリュッセン城一室の、真実の姿である。

「敵わない………僕はあいつに………敵わない………」
 叫び疲れたのか。
 レラは両膝をついて、ぺたんと座り込んだ。
 さらに彼女は、もとの容姿に戻っていた。
 だらだらと、額から赤い血を流しながら。
 何とか部屋に踏み止まっていたアシュレイは、かいた冷や汗を手で拭い、近付いて懸命に声をかけようとした。
 けれども。どんな言葉が相応しいのか。
 彼が幾ら思考を巡らせても、答は出なかった。
 再会した直後よりも、ずっと重い沈黙が部屋を支配している。
 このまま時が止まってしまうかのような錯覚を覚え始めたアシュレイに対し、レラは消え入りそうな声で呟いた。
「………出て行って」
 アシュレイはさらに悩んだが、結局、その言葉に従った。
 去り際に「すまん」という言葉を残して。
 それからレラはまた、独りで泣いた。
 白い部屋に聴こえた嘆きは、確かにレラのものだった。

 部屋をあとにしたアシュレイは、ブリュッセン城の廊下を歩く。
 レラの最後の言葉を反芻させながら。
「………」
 ブリュッセンは城といっても外観ばかりであり、その内部は城とかけ離れた、極めて単純な構造をしている。
 また大きな特徴として、全階吹き抜けであることが挙げられる。
 二十四階層もありながら、廊下と部屋の配置は階層ごとにほぼ全て同じ。
 一階から屋上までを貫くエレベータと螺旋階段を中心にして、四角の形状に長い廊下が広がり、各階に二十は部屋が存在。 
 そのうちの半分は、レラの部下であるメイドシミラー達にあてられている。
 残りは重要な機関があるか、もしくは使われていない。
 これは、もともと教会が巨大地下牢獄として使用していたものを、レラが囚人を建物ごと奪還したエピソードに起因する、
というのはトレマルが城に滞在中のアシュレイに教えたことだ。
 最低限の体裁が整えられた後は、趣味性の強い部屋が次々と増えていったという。
 アシュレイの向かう先に、あては無い。強いて言えば、トレマルの部屋を目指していた。
 自分より知識のある人間ならば何か助言してくれるだろうという、安直な考えに基づいたもの。
「……情けねぇ」
 せめて、自責の念から独り言。
 窓の外に広がる青空が受け取ってくれるだろうか。

 何気なくアシュレイは、廊下の手すりから身を乗り出し、十三階から一階を見下ろした。
 一階のみ、ホテルのロビーじみたホールとなっている。
 アシュレイのアイカメラは、そこに何かを見つけたのだ。
 それは、よろよろと歩く、“メロン・ミネルバ”の姿だった。
「!」
 しかも彼女は、螺旋階段の手前でばたりと倒れてしまった。
「おいおい、どうなってやがる……!」
 アシュレイは大慌ててでエレベータへと向かった。
 なかなかエレベータがやって来ないので階段を使い、それすらじれったさを感じたので、二階層ぶん下りた後は、
廊下の手すりを飛び越え、直接一階へと降り立った。
 メロンとはほど遠からぬ所に着地したアシュレイ。
 メロンの姿を探そうとすると、一階には既に他のメイドシミラー達も集まってきていた。
 衣装こそ同じだが、髪型も目つきも様々な彼女達は、口々にメロンの容態を確かめているようだ。
「メロンどうしちゃったの?」
「何があったの!」
「誰か、レラ様にお伝えして!」
「それが、レラ様に繋がらないの!」
 だが彼女達は騒ぐばかりで、パニックに近い様相となっている。
 アシュレイが人だかりに手をこまねいていると、大急ぎで螺旋階段を下りてくる、オレンジ色の髪をしたシミラーが現れた。
 手には大きな道具箱を持っている。
「み、みなさん!どいて下さい!」
 メイド達をどかし、アシュレイさえも押しのけやって来たのは、メロンの弟“マロン・ミネルバ”。
「お姉ちゃん、しっかりして!」
 マロンは道具箱を開けると、床に突っ伏しているメロンに対し、手首と二の腕に幾つかの機具を取り付けた。
 アシュレイは眼を見張った。
 手際の良さはもちろんとして、機具はいずれも医車が使用するものだったからだ。
「うぅん……」
 わずかに呻くメロン。どうやら意識を取り戻したようだ。
「良かった。大丈夫みたいです……」
 マロンの言葉に、安堵する一同。
 マロンもまた嬉しそうに微笑んでいる。
 彼は集まった者達の中に、髪を逆立てた戦士の姿を見つけ、お願いする。
「あ、アシュレイさん!お姉ちゃんを部屋まで運ぶの、手伝ってくれませんか?」
「おう。いいぜ」 
 近くの柱によりかかっていたアシュレイは、快諾した。
「……ちょうどおまえら姉弟に、色々と聞きたい事が出来たとこだ」



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最終更新:2006年09月30日 16:02