Z:第一章


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『いずれ、太陽の出ている時間が完全に無くなるのではないか?』
そんな報道がニュースキャスターの口から飛び出して、
居間でテレビを見ていた両親はシュンとなったみたい。

「これから……この国はどうなるのよ」
「夜になるまで、精々がんばって働くしか無いだろうな……」
「何を言ってるの!あなたはもっと自分の心配をして。それに……あたしは嫌ですからね。会社でゾンビに混じって働くなんて」
「別に、身体の弱いおまえにまで働けとは言わないよ」


ただ夜が長くなるだけなら、まだ救いはあったのに。
政治家や、あるいは科学者の皆様方がなんなりと対処しましたでしょうよ。

ところが、夜間に『ゾンビ』がはびこるようになったからさあ大変。
昼から夜への移り変わりは、現実がファンタジーへ傾く現象となりました。
これじゃどこも慌てるばかりで、まだまだ政府もろくに援助してくれない。
対策が追いつかないのも納得です。


それでもまだ、夜は増していく。
病的な勢いで黒い時間が増えていくから、世界も人も、病んだだけ。
そう。ゾンビというのは差別用語で、所詮は思いっきり病んでしまった人のこと。
眼球が飛び出し、肉がただれ、皮膚が緑色になって理性が幾らか飛ぼうと人は人でしょう。
彼らが人であるから問題なのよ。
もはや傾く、なんて言葉では生温かった。
少しづつ日常が取って代わられる感触、それがわたしには心地良いのだけど、ね。


「いいか。『腐臭病』は完治しない病気じゃないんだ」
「そう言うあなた自身、政府を信じているようには見えないけど……」
「信じるしかないじゃないか!」
「……ごめんなさい。そうね、きっと治るわよね。個人差があるもの」


眼鏡をかけてちょっぴり禿げ気味なのはうちの父で、ゾンビ候補のほう。
痩せて、鬱気味なのがうちの母。化粧も髪型も中途半端だ。
二人は居間の質素なソファに座っている。どっちもまだ若いのに、このところ情緒不安定。
つまり、いたって正常なの。
ゾンビが日常的に現れる社会でまともだったらまともとは言えないでしょう。
わたしは少し離れた食卓の椅子に座り、左手にもったフォークで突き刺した海老フライをくわえ、両親のやり取りをじっ、と見ていた。


母がついに『ゾンビ』という単語を口にしたのが何より新鮮。
『あんな状態』の男性は、そう呼んでしまったほうがしっくりくるのだ。ついに認めたか。
さらに愉快なのは、夫もそうなるかもしれないのに、ってこと。
ニヤリと独りで笑う。本当は声をあげて笑いたかったけれど、
哀れみのある目で見られるのはこの上も無く癪。それなら笑う労力ってものが惜しい。
わたしはぺっと、たいらげた海老の尻尾を皿へ吐き出した。そのまま窓のほうへ視線をもっていくと、
外がもう薄暗くなってる。居間の天井近くにある時計はまだ午後三時だっていうのに。
あ、そうか。もう三時なの。

ややあって、美人のニュースキャスターは緊張気味に喋り出した。

「間もなく、夜時間となります。『腐臭病』の恐れのある成人男性の方は、
最寄りの『聖診病院』へと足を運んで下さい。繰り返します、腐臭病の恐れのある……」


母は苛立気味にリモコンでテレビの電源を消し、それを合図に父が立ち上がる。
さぁ、電話が鳴る頃だ。

リリリリリ リリリリリ

我が家では、テレビの上に置かれている電話。そいつがけたましく鳴り出す。
恐らくはお隣の山田さん宅も、そのまた隣の佐藤さんだったか鈴木さん宅もそうであり、
今頃は電話がうるさく鳴っているはず。

電話の音は不吉の調べ。これに出さえすれば、政府の人の指示がある。

父は電話に出ると、はい。はい。と、数回頷いた。
そして受話器を置く。
ガチャリ、再び静けさを取り戻した居間に、父の言葉が響いた。

「……病院に行って来る」

父の言葉は重い。溜め息まじりだろうとそれは仕方の無いこと。

「いってらっしゃい。……ちゃんと戻ってきてね」

そんな父に外套を着せてやる母の言葉には、いつものことながらほのかな愛情がこもっている。
おえぇぇ。
わたしは盛大に顔をしかめた。
だってさ。以前は考えられなかったもの、こんな光景。
外でゾンビ達がうごめく事態より信じらんない。


父と母は玄関へ向かう途中に、食卓のわたしに声をかける。
「照美。父さん、行って来るから」
「…………」
わたしは空になった皿を無表情で見つめたまま、顔も合わせてやらない。
「テルも病院まで来る?」
母の言葉は付き添いに来い、という催促です。
いいや、いかない。
病院の人に、ついでに母まで軟禁してくれるように頼んでいいのなら考えるけど。
片手を左右に振って、無言で愛想の無い返事をつくっておく。

この行動が仇になったか、母はまたわたしへの評価を低くしたようだ。
母は忌々しく溜め息をついた。残念ながら、彼女はわたしの感情が分からないらしい。

「しかたないさ。照美は照美で、蔵土が死んでまだ立ち直れてないんだろう」
父が困ったフォローを入れてくる。

それを聞いたわたしはあざ笑うついでに、思わず叫んでいた。
「兄さんは死んでないわ! 死ぬわけないじゃない!」

半年前の『あの日』を境に、愛しの蔵土兄さんは居なくなった。
病死した兄さんの死体が、搬送先の病院から消えた。
だ・か・ら・こ・そ、よ。根拠として、わたしには充分過ぎる。
死んでも死んでいない、すなわち生きていると仮定することになんの問題があるでしょう。
わたしのほうに問題ありとする時点で、この両親は確実に狂っている。
あれほど愛し合った兄妹の片割れの想いが届かないなんて、口には出さないけどありえない。


こんなやり取りしたあとは、両親は決まって困ったような顔をして笑う。
そして、会話は切り上げられる。
なにせ父も母も、自分たちのことで精一杯。
だからこそ、かつては離婚だのなんだの騒いでた家庭が。
ほら。手を繋ぎ合って、お互いの心配をしあうほどに回復している。
そもそも一歩この議論に足を突っ込めば、じゃあ夜時間の父(など)は「生きているのかどうか?」と、
専門家が繰り広げている無駄なカオスの繰り返しになっちゃうから。


ところが、この日の両親はしつこかった。
母は突然思い出したように手を叩くと、にこやかに微笑む。
「そうね。クラも、病院に居るかもしれないわ」
「!」
たったその一言でわたしは。全身が凍るような心地になった。
母が言うところは要するにこうだ。最近になって完成したゾンビ収容兼・保護施設である『聖診病院』、
そこに兄さんが居るんじゃないか、ということは即ち。

「兄さんが……ゾンビになったっていうのッ?」
次の瞬間には身体中の血が沸き上がるのを感じた。
椅子を蹴るようにして立ち上がって、母をうんと睨みつける。
「兄さんは生き返った!どうして……ゾンビにならなきゃいけないのよ!ゾンビは、生きた人間がなるものよ!」

けれど母は、わたしの主張にびくともしない。
ちょうど先ほどのわたしのように片手でいなすと、こう続けたのだ。

「テル。母さんもね、クラが生きているとしたら素晴らしいことだと思う。クラが帰ってこないのも、
本当に何か事情があるのかもしれないわ。最悪の可能性は、テルがいま言ったように、クラは悪い病気になってる」

悪い病気というのは、もちろん『腐臭病』のこと。
わたしは歯軋りしながら聞いていた。

「でも、一番いい可能性だってある。クラは病院でいまも治療を受けていて、
本当はかなり回復してるかもしれないじゃない。テルの願い通りにね」
途中まで黙って聞いていて父も口を開いちゃう。
「そうだな。母さんの言う通りだ。照美、病院に来れば何か分かるかもしれないよ」

なぁんて父にまで駄目押しをされ、不覚にもわたしはちょっと考え込んでしまうんだ。

わたしが、兄さんがあの綺麗な姿のままでどこかで生きている、そう信じ込んでいるのは
絆による推測でしかない。そんな推測に絶対の自信があるのなら、
絶対をさらに確かなものにするため、病院くらい見学しに行ってもいいかも。
わたしが絶望してしまうケースは億に一つも無いのだから臆すことは無いじゃない。
腕組みをしつつ思考はぐんぐん進む。
うん。悪く無いんじゃない、実は。

「いいわ。わたしも行く」
少し間をおいて、結局わたしはOKしてしまった。
「ありがとう」
両親の嬉しそうな顔がにくい。
別に、あなたたちを喜ばせるためじゃないんだから。

「わたし、着替えてくるから。ちょっと待ってて」
そう言って自分の部屋へ行こうとするわたしに、また母が余計な一言。
「ところでテル。右手にまいた包帯はなんなの?」
冷静に応える。
「……ちょっとね。怪我をしたの」
嘘ではない。ちょっとした八つ当たりで、変な色の血が出ただけだから。

そそくさと自室に戻るわたし。
別に、勘付かれたわけでは無さそうだけど。

本当に病院へ行かなければならないのは、わたしだってことにね。



数分後。


母が運転する車に父と乗り込み、すっかり夜になった街の大通りを走っていた。
二十四時間営業のお店、レストランなどにはしっかり灯りがともっている。
一見すると変わらない、いつもの綺麗な夜。

けれど、普通の夜ではないことは、匂いでわかる。空気で分かってしまう。

「テル。窓はしめておきなさい。……臭いから」
はいはい。
母に言われ、わたしは仕方なく、車酔いするタチだが窓をしめた。
すると、何かが腐ったような匂いはぱったり無くなる。
鼻のいい人なら夜は出歩けないでしょうね。
もはや夜に出歩くこと自体が論外なんでしょうけど。

これでも繁華街の大通り。だのに通行人の姿はまったく無い。
明かりさえ無ければゴーストタウン?
いいえ、うちの他に何台かの車なら見かける。車の様子と目的地はどれも似たようなものだろう。
お似合いの言葉は「焦り」。

うちの場合、後部座席には父とわたし。
家族で出かけるときは父が運転していることが殆どだったのに、これはかなり珍しい。
父は、運転できないほど体調が悪いというわけではない。
政府の病院に行くのなんて始めてだろうから、うんと緊張してるんだ。ずっと俯いている。
そんな父を病院に送り届ける母の心境は、察するにあまりある……といったところかしら。

でもわたしには、例えこれが今生の別れになろうと、大した感慨も無いのだけどね。
かつて両親から虐待の憂き目にあった身としては、どうにもネガティブな発想ばかりつきまとうの。

目の前で人がゾンビ化する瞬間を見れたら面白いけどさ。こりゃあポジティブ。
患者である父の容態は?ちっ。いまのところ特に問題無さそう。
三十代前後の成人男性という条件をクリアしているのに、幸か不幸か(わたしにとってはそれを不幸と呼ぶ)
父は一度もゾンビ化してくれたことがない。

密かに父の様子を伺ってみる……やっぱりノーリアクション。あぁ、退屈だ。
何か、おもしろいことはないのかしら?
病院まであと少しのはずだけど、車酔いする女には辛いのよ、時間が。

するとラジオが、タイミング良くわたしの好奇心をこちょこちょくすぐる話を始めてくれた。
『臨時ニュースです。沙惰(さだ)市の中央区で、腐臭病患者の集団が暴れているとの情報が……』

「なんですって!」
母は、運転しながら舌打ちをした。
わたしは口笛を吹いた。面白いことになったものね。
「……参ったな。道が、通れないかもしれないぞ」
と、顔を上げた父がぼそり。
なにせ向かっている『聖診病院』があるのが、他ならぬ沙惰市中央区にあるの。
ラジオは詳しく説明しなかったけど、ひょっとして病院から脱走しちゃったのかしらね。
ゾンビの一団が。

果たして、わたしたち家族の予想は当たっていた。
道を変えようかと両親が思案していた矢先、大通りでは沢山の車が立ち往生してる。
してる、だけではない、何台かは強引な急カーブを行ってうちの車とすれ違っていく。
何かから、逃げるようにして。

うわあぁ!ひいいいぃ! 正体は、そんな人々の甲高い悲鳴と共にありました。

重度 腐臭病 患者、俗称『ゾンビ』。
理性が半分飛んだ、外見もぶっ飛んだ方々が、あろうことか路上で大勢暴れている。
彼らの体臭というのがン百メートル離れていても臭うもので、
いまは窓を開けていなくとも、凶行が悪臭と共にリアルタイムで行われているんだ。
ゾンビを前にして動き出さない車は、ドライバーが恐怖に怯えて失神でもしているか、
はたまた運悪く車の中で発病した人間が現れたのかもしれない。


いずれにしても、これは”未曾有の事態”ってやつ。
母は四、五秒の間絶句してから、思い出したように絶叫した。
「きゃあああ!」

直前にブレーキを踏んでいたのは上出来。でも、出来ればハンドルから手は離さないで欲しいかな。
「に、逃げろ!引き返すんだ!」
父が焦って叫ぶが、母はそれどころじゃあない。
「ほ、本物よ!あれは本物の、化物よ!」
身動きのとれない車に、集団で頭や拳を打ち当て続けているゾンビ達。
あちゃあ、壮絶だわ。

襲っているのはうちの車からは少し前方にある車だけど、車が潰されていくのが目に見えて分かる。
そして、ゾンビの足はとっっても早い。
うちの車を”身動き取れない系”だと判断した数名が、ご丁寧に狙う相手をこちらへ変更したようよ。
足早に歩いてくるのが見える。
マズイんじゃないの、かなり。

わたしはここで、父が素早く運転を交代するようなカッコイイところをわずかに期待した。
ところが父ときたら、焦りながら「なにをやってるんだ!」と母を罵るばかり。
あんたが一番何やってんだ。まったく、わたしが小学生だった頃の醜い両親の姿とダブり始める。
お互いが何とかして、何とかしろと言いながら、何も決まらない何も進まないんだ。

この後に及んでもわたしは何故か恐ろしいまでに落ち着いていて、冷静に独りで車を降りた。
あきらめの心地より先にあるのは達観なんでしょうね恐らく。
すると両親もわたしに倣うようにして車を降り、走って逃げようとする。
やれやれ。
本当なら、今度はわたしが両親に従って走り出すところだったんだけど……

わたしの小さな口が溜息を吐き出し、次に口と鼻が吸いこんだのは、
……あれ?
あれれ。妙に、懐かしい、匂いだった。
ぴくりと五感が反応する。


ゾンビの方々が近付いているようなのに、思わず足が止まった。
信じられない。
もちろん、ゾンビの発する嫌な臭いも十二分に混じってるんだけど。

ああ、この感じは。

兄さん、だ。

昔よく枕元で嗅いだ、兄さんの匂いだ!


ついに頭がおかしくなってしまったんでしょうか、わたしは。
でもこの匂いは間違い無い。間違えようが無い……


立ち止まったわたしに気付いた母が、少し遠くから何か叫んでる。
ゾンビのやかましい叫びに紛れて聞き取り辛いけど、
何してるの、はやく逃げるのよ!あたり?

そうするつもりだったけど、わたしはくすりと微笑みを向けただけだった。
吹っ切れた、という言葉は、いまこの瞬間わたしの為にある。
ここまで両親をはねつけたのは初めてかもね。
わたしの足はもう、ゾンビ達の居るほうへと向いていた。
さよなら。
両親に背を向け、わたしは、歩いて行く。
混乱の渦中へ。
大切なものを探しに。



最初に出くわしたのは、先ほどからこちらに向かって歩いてきてた人達。
会社員の方でしょうかスーツ姿、建築業っぽい作業服、
そして若者にありがちな乱れた服装のお三方。
いずれもゾンビのようです。顔面蒼白だ、文字通りの。
他の特徴として顔の皮膚がただれているあたり、ついさっきホラー映画から抜け出てきたような生々しさがある。
本物は一味違う。


「やあぁお嬢ちゃん、コンチワ!何しにきたの?」
三十センチくらいの距離で向かい合う。
ありがちなゾンビと化した若者が、流暢な日本語でわたしに語りかけてきた。
てか、普通に日本語なのかい。
相手の姿もわりとまともなほうだけど、まるでナンパのようなノリだわ。
わたしは腰に左右の手をあてて吹き出した。

「センス無いわね……」
冷めた感想が思わず口をついて出てしまうわたしなのよ。
「あ、ああ?ん。んだとォ!」

威勢良くグーを振り上げられても気にしない。

「いまは、”こんばんは”、でしょ?」
しかしわたしが指を突きつけるようにして言ってやると、
わたしの頭に迫っていた拳を中心とした風圧はすんでのところで止まる。
もとから案外こんな顔じゃないのって感じなゾンビの若者は、崩れた顔をさらに崩して笑い始めた。

「いやいや……厳しいね嬢ちゃん、参ったな、俺コレ!いいわ、イカスイカス」
両手をだらだらふって応えられ、心なしか好印象を持たれたっぽい。

「な、ななな!ところでその服、ゴスロリってやつだろ!」
「あら。見るの、初めてなんですか?」
「テレビで見る!漫画で見る!でモ、実物すげえ!」

ゾンビとのファーストコンタクトに成功を収めたようです、わたし。
ゴスロリファッションが世代とゾンビを繋ぐ。
素晴らしきゴスロリコミュニケーション。


「ねえね、きみは、おじさんたち、こ、コワくないんだ?」

横からは作業服をきた小太りの中年ゾンビが、口から変な汁を流しながら問いかけてくる。
こちらには涼しい顔をして言い返しておく。

「コワくないわ。だって、わたし好きだからね、死体」
「うっひゃあ!すげえ!」
「ネット上で画像を集めて、自分のサイトに載せたりしてるんですよ」
「そ、それ、ヤバくねえ?」

先ほどの若者ゾンビと抱き合って喜びだす。
破壊活動とはなんて無縁な行為を始めるのですかあなたがたは。
こうも話が通じるとは思わなかった。
病気の人だってことは分かってるけど、暴徒じゃなかったの?

それにも増して、どうして自分がこうも平然としていられるのか。
ほんとは胸の高鳴りを押さえられないんだけど。
兄さんは、どこかな?
恋はわたしを完全に盲目にしてる。

いつのまにか、完全にゾンビの群れに取り囲まれていた。
百人くらい?
といっても幾らか、距離は取られている。

ゾンビにまで距離を取られるとはっ……不覚よね。
ニュースで聞いていたり、患者は男性だらけで、女の子の姿は自分を除いて一切無い。
真っ当な人間はわたしの半径十メートル以内に一人もいない。

兄さんは、どこ?

あれほど暴れていた皆様方が、わたし一人を囲うようにして、
ダラダラ緑色の血を流しながらフラフラ立っている。
ただ、視線は定まらないように見えて、どうやら正確にわたしを見ているようだ。
視姦ってこういうのを言うんでしょうね。
好奇に溢れた、プラスの感情で見られるぶんには悪い気がしない。
ギャラリーが血まみれなのはこの際、ほうっておきましょうか。

ねぇねぇ、どこなの、兄さん?

皆さんの血は誰かに傷つけられたわけじゃなく、好き勝手に街や車を破壊したときに出来た傷だろう。
何しろ皆さん、自分の体だけを使ってあらあら、街路樹は薙ぎ倒され、ガードレールはへし折られ……
彼らが本気を出せばわたしなんかきっとイチコロってやつ。
ところがそうはしない。これもゴスロリ保身術なのだろうか。 
ゾンビはわたしを観察し、逆にわたしはこの集団の中から、見返すようにたった一人の男性を眼で探した。

どこ、か、な?

じっくりと冷静に。舐め回すように視線を配ったところで……駄目だ。衣服とお顔が乱れた並の男ばかり。
誰も、兄さんの毅然(キゼン)とした格好良さにかなう人はいないのかい?
ゾンビに囲まれてしまったせいか、あの懐かしい匂いも今は感じない。
なに、嗅ぎ違いだった?
……いいえ。まだ、ちゃんと香りは残っている。
逆なんだ。近過ぎて気が付きにくくなってた。


結局、わたしの視線は一巡して、もとのお三方へとカムバックした。
その三人の中でも最初っから一言も話さない、七三分けサラリーマン風ゾンビにね。

わたしは灰色のスーツを着たゾンビを見つめた。
向こうも、先ほどから眼鏡越しにじーっとわたしを見ている。
この人はとっても綺麗な顔立ちだ。兄さんには劣るけど。
何故か腐臭病患者にありがちな、皮膚の変形がどこにも起きてないみたい。
なんとか、という名前のアクション俳優に似ているような気がする。
やせ形で面長なところとか、そっくり。
眼が細過ぎるかもしれないけど。

「ひょっとして、変形した結果そのようなお姿に?」
あとで思い返せば、わりと失礼なことを最初に言っちゃったものね。

サラリーマン風ゾンビ。
わたしにとっては重要過ぎる事実……どういうわけか兄さんの匂いをもったゾンビは、笑いながら答えてくれた。

「実はそうなのですよ。なんでもお見通しですね、照美さん」
優雅に颯爽と礼。さっと空間を切り裂くような手の動き。
うわ、なにこの人。
顔色悪いを除けばとんでもなく格好いい……
あれ。
何かわたしは肝心なことに対して驚いていないような。

……あぁ、そうだ!
「どうしてわたしの名前を知ってるわけ?」

言わなくてはいけない質問を口にしておく。
聞いたサラリーマン風ゾンビはにこりと微笑むと、
まるでゾンビ達の代表であるかのように集団から歩いてきて、わたしのすぐ側で立ち止まった。

「竹墮さん、や、やっぱりその娘がそうなんですかい?」
うしろのほうで若者ゾンビが叫んでいる。
タケダ、そう呼ばれたサラリーマン風ゾンビは振り返らず、わたしに向き合ったまま手で返事を送った。


わたしより十五センチは高いタケダは、じっとわたしを見下ろしている。
見つめられると、なんだか心臓が暴れ出しそうだ。
うぅ。これでもわたしは女の端くれなのよ。

「……竹墮さんというのね。答えてもらえますか? 貴方がわたしの名前を知ってる理由。そして、」
深く息を吸い込んで続ける。
「兄さんの空気をまとっている理由を」

タケダさんが口を開くまで、一時間はあったような気がした。実際はせいぜい五分くらいだったんでしょうけど……
彼は自嘲気味に高笑いしてから、喋り出した。

「やはり、借り物の効果は大きいなぁ。私なんて、今まで女性にまともに眼を合わせてもらったことが無い。
 キモイ、ウザイの繰り返しでね。こんなに私の視線を長く受けいれてくれた女の子は君が初めてですよ!」

……はぁっ??

「いや、素晴らしい素晴らシイ。私はこれほどまでにこの腐臭病に感謝しなくてはいけない身であるのだなあ。
 集団を率いる力、無能な部下にも理不尽な上司に悩まされることもない……ブラボー。おぉ、ブラボー!」

な、なにを言い出すんだこの男は。
まるでオペラでも歌い出すかのように、タケダは夜空を仰いで楽しげに狂っている。
わたしがドン引きしていても気にしないようだ。
もっと早くドン引きすれば良かったのでしょうか。

「申し遅れました。私は竹墮ランディ、こういうものです、いいや」

くるりと一回転後に差し出される名刺。
なになに、某社勤務の中間管理職?
わたしが文章を読み取ろうとするが、しかしさっさと自ら差し出した名刺を、むしゃりと食べてしまう。

「こんな肩書きは今となっては必要ない!より素晴らしき世界を築くため戦う、
 ”新しきヒューマン党”の総帥だと考えてもらうと良いでしょう」

独壇場はどっか別のところに設けてくれえ〜。
わたしが本気で狼狽を始めたにも関わらず、さらにタケダは……

「そして!”あの女”すら恐れる存在である貴方には、是非、我々の母になって頂きたい」

ひざまずいて、わたしの両手をしっかりと握ってくる。
周囲のゾンビから歓声が巻き起こり、
やったな竹墮さんのコールが夜の街に響きわたる。
今度は見上げてくるタケダの視線、うぅ、顔はそれなりに良いのだけど、
こいつは……キモイ!イタ過ぎる。

「嫌よ!いいわけねぇだろうがッ、この変態!」

咄嗟に悪寒発祥の本音が暴露されました。
わたしはタケダの手をふりほどき、ゾンビ集団の輪の中で絶叫しといた。
わたしの声もまた響き渡り、ゾンビ達のざわめきを掻き消すように轟いた。

ついさっきまで会心の笑みまで浮かべていたタケダは、立ち上がり片手で眼鏡をかけ直すと、
もとのポーカーフェイスに戻る。うん、そっちのほうがだいぶいいわ。

「あいにく。私には女性に罵られる趣味は無い」

ぼそり。だけど、沸き上がる敵対意識。
あ、マズイ。
ゾンビ集団の中に飛び込んでから、ようやく身の危険を強烈に感じた。

どうして、いつもこうなるんだろう。
わたしはわりと人から好意をもたれることはよくあるのに、
ある程度会話が進めば毎度のように破綻が訪れてきていて、
回想する限り相手のほうが悪いと納得出来ることのほうが多いのだけど、
これはマズイわ。

「死体になってでも我々に付き合って頂きますよ、照美さん」

恐らく並の女性ならノックアウトされそうな言い回しのテクニックと美形を誇りながら、
正真正銘の殺し文句を与えられてしまった。

再度ぎゅっと握りしめられた手は、凄まじい力。
わたしが振りほどく事をかけらも許してはいない。
じりじりと、他のゾンビさんまでわたしとの距離を縮め始めた。
み、みんなで嬲るおつもりですか、このわたしを?

(いたっ……!)

あまりにも強く手を握られているせいで、手が炎に焼かれているように熱い。
そのまま骨までぐぎりといってしまうのではないか、恐ろしい感覚までやってきてる。
いたい、いたい!
タケダは苦しむわたしを見ても無表情。喜べ、とはいわないが、こんなサディスティックな趣味は勘弁して……!

わたしの手からは、包帯での手当もおじゃんにされたのか、緑色の血がどくどくと流れ始めていた。
まるで緑色のゼリーのような血液は、妙にぶよぶよしていて気持ち悪い。
「……ん?」
それをタケダは、自分から流れ始めたものと勘違いしたらしい。
ひとまずわたしの手を離して、自分の両手をよく確認する。
「妙だな?」

ようやく逃れたわたしは(といっても状況的には囲まれたまま)、手をいたわりながら泣き叫んだ。

「ううううぅぅ…………痛いよぉう!」

いたって本気の言葉だった。
知らぬうちに眼からしずくまで出ているあたり、氷点下の気分は間違いではなかったらしい。
こわい。
こわいよ。

もう友好なんて言葉はどこにもない。
わたしの様子を見て、ゾンビ達はもう反応すら示さない。
無言でわたしをどうにかしようと動き出している。

兄さんの匂いはタケダのものだった。
兄さんはここに居ない。ここには居ないんだ。

けれど、叫ばずにはいられなかった。

「助けて!お兄ちゃん!」

すると。

願いを聞き届けてわたしのお兄ちゃんが、駆けつけて……はくれなかった。
街灯の上、レストランの看板の上、ヒーローが剣を携え立てそうな場所を目で探したが無駄だった。
いや、お兄ちゃんはナンにでも正面から素手で特攻して行くような人だからなあ。見た目理系なのに。
このゾンビの壁じゃ、居たとしても無理だよなあ……。
両親。うぅん、あいつらじゃもっと駄目……。借りを作りたくないし……。

タケダがわたしを抱き寄せ、不敵に笑う。

「いいですか照美さん。お約束を期待していいのは悲劇のヒロインだけなのです。貴方は自分がその類だと思いますか?」
「ぐぅ……」

の音もでない。
どうせわたしは僅かばかりキャラが立った、二,三面のボスですよーだ。
くそぅ、なんたる侮辱か。

「あくまで貴方には驚かされっぱなしです。この血、まさか”貴方までそうだった”とは……」

タケダは流れ出るわたしの腕を掴み、舌を伸ばす。
血を飲むという行為にどんな意味があるのか分からないが、絶体絶命。
ばいばい、わたしの色んなもの。
覚悟を決め始めたちょうどそのとき。

「ちょっと待つんじゃ。乙女はなんでも明け渡すもんじゃないよぅ!」

「……ぬ?」
「い、いえ」

わたしは、喋ってないよタケダさん。

急に可愛らしい声が、降って沸いた。
まるで角砂糖を入れ過ぎたコーヒーのように場違いに甘い声が、何処からか。
声の質からして、明らかに若い女の子のようである。
でも、女の子なんて辺りにいましたっけ?

母が若返り刀剣でも持って舞い戻ってきてくれた可能性をいちおう考えたが、
万歩譲ってもそれは無い。むしろやめてくれ。被害妄想になる。

「こ、この声は!」
「さっそく来やガったのか!」

おや。わたし以外の皆さんは、謎のスゥイートボイスに心当たりがある模様。
タケダは眉間をぴくぴくさせたあと、相手の姿が見えないからか、周囲全体に言い聞かせるようにしてこう叫んだ。

「もう、手遅れですよ!我々は確保したのです、我らの母をッ!」
汗が頬をつたいながらも、タケダは山に登りつめたように甲高い声を出している。

「そいつぁ、ご苦労でござったよ」
応える少女の声。
「ではでは。さっそくだけど、その娘を拙者のほうに引き渡してくんない?そうすれば今日のことは取り繕ってあげるからサ」
その娘とは、わたしのことだろうか?
そして、拙者とか言った?
タケダは青い顔を人並みにまで赤くして叫ぶ。

「貴方の詭弁には惑わされませんよ、総理! 我々は、自らの手で新しき世を築くのです」
そうだ!と、続くゾンビ集団。わたしには何が何やらさっぱり!

「りょーかいりょーかい。みんなの意見は尊重せねばな。 では、少数決に基づき、」
「そ、そんなものは認めませんよ、総理!」
「拙者、とっとと私刑を実行しちゃうよん」
「く、来るぞぉ!」

タケダの悲痛な叫びを聞き、周囲のゾンビ達は臨戦態勢をとった。
思い思いのカラテポーズに、あれは柔術、あっちは……オタク拳法なのかしら。あちゃあ。
わたしはというと、タケダによって腰に手を回されている。
踊るのではない、いわゆる人質じゃん、これって。
まぁ、このあとの展開からして、本当に踊らされる事になりそうだけど。

どのゾンビも、大通りの左右、特に空によく気を配っていた。
ヒーローないしクリーチャーは上から来ると相場が決まってる。
やはり初登場時のインパクトというのは、重要人物達がそれとなく気にするものであろう。

でも、”総理”とか呼ばれたあの娘は違ってたの。
早い話が、彼女はわたしたちの予想の真下をいき、
そうそう。あの声も実は地面を振動して伝わってきていたということに、誰か気付く事ができれば、
タケダと、わたしの悲劇は無かったのでしょうに。

「ミ ド ガ ル ズ オ サ ゲ !」

必殺技名(らしき)ボイスが聴こえると、とーとつにわたしとタケダが立っていた所に丸い穴が二つあいた。
バガッ という擬音通りの音がして、地の底から黒い縄のようなものが二つ、しゅるるるると出現したのである。
それは、漆黒の大蛇。
そうとでも表現するしかない生き物だった。
不思議なことに顔は無いようで、紙を切り裂いたときのような鳴き声を、口も無いのに発している。
目も無いのに、睨んでいるということが分かる。
辺りをうねり、周りのゾンビを威嚇したあと、すぐにわたしとタケダの足下に絡み付いた。

「ば、馬鹿な!下からだとォ?」
この世のルールが破られるとき、人は絶望するという。
上から来るだろうから気をつけなきゃいけないというのは都市伝説でした。

タケダが舌打ちしている最中に、今度はさらに大きな音がして、道路が割れた。
突き破るようにして、何かが飛び出る!
人影……?
そいつはそのままはるか上空まで飛んで行き、

「ぐわぁぁ」
「ぅきゃああああっ?」

大蛇を使って、わたしとタケダを一緒に上空までご招待する。
あぁ、景色が逆行して高速巻き戻しで下って行くのはわたしが逆さ吊りでこのスピードはギネス認定の
あのジェットコースタァー並みにぃぃぃぃ!
わたしたちは彼方へと連れ去られる。交錯する悲鳴、錯綜する運命!
わたしとタケダは何度も頭をごっつんこし、彼は眼鏡を落っことしわたしは酔う。

近くのデパートの垂れ幕『ルーセしく尽り売・店閉』を読み終えたのは本当に一瞬のことだ。
あっという間で十三階建てのデパートを見下ろせる所に移動。
先にここまで辿り着いていた謎の人影をばびゅんと通り越し、いったいどこまで昇るんだぁっと思っていると、
唐突に移動は止まった。

わたしとタケダの命綱は、片足に巻き付いている黒い蛇だけ。
天地が真逆になった状態でぶら〜り。
左右へ身体を揺らしても落ちてしまうことは無さそうだけど、全身に吹き付ける冷たい風が、
そのままわたしから臓器を持ち逃げするんじゃなかろうかという、嫌な嫌ーな引っ張られる感覚がある。
視線の先、はるか下に地面、その中間に、わたしは黒い女の子を見つけた。

「……えぇっ?」

ここで、わたしの驚いたポイントを整理しよう。
ひとつ。その女の子は腕組みしてわたしたちを見上げているが、黒いタキシードに灰色の袴というわけわからん出で立ちである。
ひとつ。なんか知らないがその女の子は空中に平然と立っている。
ひとつ。黒い蛇は、女の子の頭に繋がっている。

あの猛り狂った大蛇は……どうやら彼女の黒いおさげ髪のようでした。
ここで追加驚きポイントが発生。
なぬー?あの娘の髪、自由にものを掴めるのかあッ!
……っていうどころじゃないぞ。
もしもーし、いまわたしは一体どんな世界に迷い込んでいるのよ?

左右の長過ぎるおさげ髪をS字型にくねらせ、五メートルほど高い位置で逆さ吊りにした獲物を見上げる少女は語る。

「さぁて、拙者が泉に落としたのは女子高生だろうか。それとも、リーマン男性であろうか?」
にんまりとした笑みを浮かべてる。
自問自答してるのか。死刑囚にでもなった気分だわ。

「ね、ねェ!早く下ろしなさいよ!」
わたしは金切り声をあげたつもりだけど、実際はしなびた声が出ただけだった。
だって逆さ釣りで、おまけに下着丸出し警報になっているのが頂けない。
フリル付きのスカートが、スカートが……
わたしはそわそわして、数メートル横で吊るされてるタケダをちらと見やると、

「よくも、私の眼鏡を……眼鏡、眼鏡!あれが無いと……」
良かったあ。見られる余裕無さそう。
滴り昇る、額の汗を拭うわたし。

「ふぅん、赤色かぁ。やるでござるねえ」

不敵な視線。ぎゃあ。女の子に覗かれてる!
あんたもしやそれで笑ってたのか!

「総理!貴方も基本的人権くらいは知っているだろう!不当な拘束が許されるものでないくらい!」
「そうだ、そうだぁ!なんでわたしがこんな羞恥プレイ受けなきゃならないのよ!」

今だけタケダと同調する。

「どうやらお二方は分かっておらぬようだな。まず、照美女史。拙者は今おさげで鯛を釣った気分。
 分かる、この意味?」

わかんねえよつーかあんたもわたしのこと知ってるんだへぇわたしってそんなに有名人?

「それに対し、竹墮ランディ氏」
「な、なんです」
「まな板の上で鯉になってくるがいいでござるよ!」
「相変わらず貴方はまた日本語を変な風に解釈して……ぬぉうッ」

タケダを捉えていた黒蛇、もといおさげ髪が真っすぐにぴんと伸ばされると、びゅおんという風を凪払う音がして、
タケダは地面へと凄まじい勢いで投げ捨てられた。
遅れて聞こえてくるドシンという音。はるか下で、ゾンビ達がざわめいているのが見える。哀れね……

「竹墮氏にはしばらくは外で反省しててもらうでござる。さぁて、と」

つ、次はわたしの番ですか?

「照美女史、すっかり遅くなったしまったが、これから共に病院へ行こう。
 色々とスッキリするでござるよ」

はぁ。そもそもわたしはこれがドッキリでないかと最後まで疑っていたのだが。
タケダが総理と呼んだ謎の女の子は、片方のおさげでわたしをぶら下げたまま、月夜の街をビル伝いに空中散歩。
闇夜に浮かぶ、高空を跳ねる少女のシルエット。
きっと、遠くから見れば幻想的な光景だろう。
髪の先っぽにもう一人女の子が巻き付いたりしてなければね……



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