ゼロの保管庫 別館

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降臨祭の第七日・昼(クリスマス特別編・シリアス) ボルボX氏

 ハルケギニアの新年となるヤラの月。年明けから十日間続く降臨祭も、七日目。  トリステインの各市町村において、お祭りさわぎが繰りひろげられている。

 村落を見おろす丘の上。領主の館の広大な庭。  庭の一角に高くそびえる鐘楼から、七つの鐘の音がひびき、正午の到来が告げられた。

 厚くたれこむ雲が冬空をおおい、そこから幾万幾億もの白い花が降ってくる。  若い村役人は雪の舞う庭にたたずみながら、昼でもほの暗い空をあおいだ。  村役人が歯ぎしりをこらえたのは、にやにやしながら彼を見つめる眼前の男のためである。この地の領主であるカンシー伯爵の息子であり、彼の主筋だった。

(あの行商人、ついに間に合わなかった。てめえが被告だってのに)

 正午の鐘を合図として、裁判がはじまるはずだった。  出廷義務のある者――領主の名代であるその息子と家令、提訴人である商人たち、村人からなる陪審団、村役人をふくむ証人……  領主の家臣である十数名のメイジ兵たちや、裁判とは直接関係ない剣の試合のための平民の剣士約三十名まで、庭には多くの者が集っていた。

 被告である行商人のみが、出廷していない。

 カンシー伯の家令である〈赤騎士〉が、赤い甲冑を鳴らして椅子から立ちあがり、愉悦まじりの毒をこめて言った。  ことさらに村役人のほうを見て。

「さて皆さん、街道の〈黒騎士〉からたったいま手紙で報告が入りました。街道において、被告の姿はついに見なかったとのことです。  つまり被告は出廷しないようです……欠席理由の申し立ては今日にいたるまで行われておりません。  これはカンシー伯の名でひらかれた法廷に対する、深刻な侮辱とみなしてよいでしょう。被告もしくはその家族は、後日罰金をこの法廷にたいして支払うように」

 〈赤騎士〉の得々とした宣告とともに、その横でとつぜんの笑声がはじけ、不快と恐怖に村役人をつき落とした。  野外に運ばせたテーブルの上につっぷして、領主の跡継ぎが肩を震わせている。

 カンシー伯爵の息子がこぶしでテーブルをたたくたびに、銀製の食器が揺れてがちゃがちゃと鳴った。  七面鳥の脂で唇をてらてらと光らせたその男は、勝ちほこるように笑いながら、端正だが酷薄そうな顔をあげた。  横の〈赤騎士〉と意味深長な笑みを交わしてから、並んだ人々を見渡して、領主の跡継ぎは宣告した。

「なあおい、だらだらとこの寒い中、わかりきった判決のために裁判を続ける必要があるか?  煩雑な手続きはうんざりだ、陪審団の名前読み上げなんぞ省略しちまえ。結論を言ってやる。  被告は逃げたんだ! これははっきりと、有罪の証に見えるぞ。『提訴人の訴えを認め、被告は逮捕さるべきであり、その財産は没収される』という判決を陪審団は下すべきだ」

 (そんな無茶な)と思ったにしても、それを口に出して言った者はほとんどいなかった。  十二、三歳ほどの一人の娘以外には。

「待ってください、欠席の咎は罰金刑だけのはずです!  父さんは来ますから! 以前の手紙でちゃんと帰ってくると言っていました。もし、もし今日は来れなくても必ず後日には!  遅れているだけです、きっと雪で馬車が通れなくなって……」

「ほう? まあ、ありえないことじゃないな。この辺の雪は深いからな。  だが、それなら交通不能と見た時点で、欠席理由を記した手紙をメイジに頼んで、空の便で送ってもらえばすんだことだろう?  やはり逃げたんだよ。あるいは盗賊や狼に襲われて、永遠に来れなくなってるのかもしれないがな」

 領主の跡継ぎの楽しむような声に、娘が赤ぎれになりかけているこぶしを握りしめて、小さな体を震わせた。  いまにも爆発しそうな激情が、その目の奥にちらちら見えた。  それを隣ではらはらしつつ見ながら、村役人は心中で何度もののしらずにはいられなかった。

 ここ数年帰らないカンシー伯の名代として土地を統治し、ますます横暴をきわめる伯爵の息子と家令の〈赤騎士〉を。  裁判に間に合わず罪をかぶせられることになった、あのとんまな行商人を。  目をそらし耳をふさいで安全だけは確保しているはずだった自分を、こんなところに引っ張りだした行商人の娘を。  それを突っぱねられなかった、自分自身の馬鹿さ加減を。

(弁護の証人なんてやるんじゃなかった、これで俺の未来も終わったも同然だ。  あのどら息子は、俺が被告を弁護する側の証人として出廷したことを、自分に逆らったと見なしてるだろう。  今からでも「被告は素行不良の人格破綻者で、以前から有罪を確信していました」と口をきわめて罵る方向に転じようか。そうしたら見逃してくれるのなら試すべきだな)

 それに、あの忌々しい行商人は実際に有罪なのである。「被告は商いにおいて禁制品を扱っていた」という訴えは、間違いなく事実だった。  ――とはいえ、領主の跡継ぎも共犯者である。  父の名代として領主特権を利用し、被告となっている行商人をこれまでは保護して、その儲けの多くをおさめさせていた。  役目柄、領地の経営状況をかなりの程度知る村役人は、それに感づいていた。

 提訴人たちのほうを見る。  訴えでた商人たちは、あからさまに喜色を面に出していた。

(ああ、儲けてた同業者を排斥できて満足だろうよ。  実はあんたらの目の前にいるそいつが、あんたらが妬んで訴えた奴をいままで働かせてたんだと知れば、どんな顔をするだろうか?)

 村役人は皮肉をこめて内心そう考える。  だが、それをうっかり口にして言えば、今度は自分が危なくなるだろう。  横にたたずむ少女をちらりと見る。

(この小娘が助けてなんて泣きついたからだ。こいつら姉弟に面倒かけられるのはいつものことだったが、こんな厄介な話でまで頼ってくるんじゃない。  ああ、あの時しこたま酒をあおってさえいなければ、こんな馬鹿なことを引き受けなかったのになあ……)

 ふとその小娘が村役人を見あげた。青年は黙って目をそらした。  見あげてくる目は、必死に彼にすがる色を捨てていなかったので。  もうできることは何もない、父親は救えないよ――とはとても言えなかった。

(おまえの親父が悪いんだぞ、あんな馬鹿貴族の口車にのって禁制品を扱ったりしたんだから。……切り捨てられたからってどうだってんだよ?)

 そう念じようとはしても、村役人はやはり釈然としない思いを捨てきれないのだった。  ずっと人質がわりに村に住まわせられていた行商人の娘が、父親の弁護を頼んできた日も、それを思って鬱々とワイン二瓶を空けていたのである。

 娘には「自分の知るかぎり、被告はそんなことをする人間ではなかった」とだけ裁判で言ってくれればいい、そう頼まれたのだ。  領地の裁判では、被告をよく知る証人がそう保証するだけで、かなり陪審団の抱く印象が左右される。村役人は村内のまとめ役であり、証言の重要性はさらに増す。

(……けどな、俺以外に弁護しようっていう証人が一人も出てこないんじゃ、話は別だぞ!  その反対の印象を語る証人は、提訴人側に山ほど並んでるんだ。同業者にこれほど恨まれてる馬鹿も珍しいよ。  いや、それどころか、陪審団ふくめ村人がまとめて骨抜きにされてるんなら、こんな裁判ほんとうに茶番でしかなかったぞ)

 村役人は恨みをこめて、広場の一角の陪審団席を見やった。  おどおどと村出身の陪審員たちが視線をそらす。苦々しい思いが胸の奥から突きあげた。

(あの行商人はともかく、俺までずいぶんあっさり見捨てるんだな。村のみんなは、貴族の目の届かないところではぞんぶんに呪いを吐いていたのに)

 それは仕方ないといえば仕方ないのだった。だれも自分たちの領主の跡継ぎににらまれたくはないのである。そんなことはわかっていたが……

(俺だって村役人なんてやりたくなかったんだぞ。あんたらが勝手に投票して、厄介な役目をまだ若造の俺に押しつけたんだろ。  そのくせ俺がお貴族さまに逆らったら即座に見て見ぬふりかよ。  こんな土地、いっそ捨ててしまおうか。それがいい、今日が無事に終わったら別の領地に逃げて……)

 心の中で、陪審団のひとりひとりを先祖にさかのぼってまで罵り倒しながら、もうひとつの思考軸で彼はこの窮地を脱する方法をけんめいに探していた。  目立たないようにそっと周囲を確認する。

 前方、領主の跡継ぎの周囲できらめくのは、数名のメイジ兵の全身をおおう甲冑と、杖を装飾する金銀の鎖。  カンシー伯の家臣、または跡継ぎ自身の子飼いである。当然、跡継ぎの命令にしたがうだろう。

 後方には半端な鎧や鎖かたびらを身につけた、鋼の剣や戦用ハンマーを持った戦士が三十名ばかり。こちらは平民身分の者たちである。  この後もよおされる武芸試合のために集められた、傭兵出身の剣士や腕におぼえのあるならず者などである。かりに跡継ぎの命令をきく立場になくとも、見ず知らずの自分たちに加担して貴族にさからうような真似はまずするまい。

(この庭には人が多い。目をぬすんで逃げるのは無理、突破は論外だ……  ……なぜ今すぐ逃げることなんて考えるんだ、俺は?)

 村役人の脳裏になにか、不吉な予感が浮き上がってきていた。  領主の跡継ぎが口の端にあらたな笑みをきざむ。彼は村役人から目をそらして銀のフォークで、テーブルのそばに立っていた七、八歳ばかりの男の子の頬をつっついた。

「おい、めくらの坊主、おまえの親父はおまえたちを見捨てて逃げたのかな、それとも狼に食べられちゃったのかな。どう思う?」

 目を閉じて、寒さと恐怖で震えていた男の子が、びくりとした後、べそべそと泣き出す。  それを見て、行商人の娘が「弟になにもしないで」と叫んだ。

 領主の跡継ぎがそれを聞いて表情を消したときに、村役人は即座にその娘に向きなおって突きとばした。  本気に見えるほど力をこめて、ただし方向を選んで。  驚きの悲鳴とともに、娘が横手の厚く積もった雪のうえに倒れる。彼はその上から怒鳴った。

「若様になんていう口を利くんだ、小娘! 失礼いたしました若様、あとでよく叱っておきますんで。  この娘は、父親が犯罪人と決まりそうなんで気が動転しているんですよ。  あのう、ただもし、被告の馬鹿野郎の財産を没収して牢に入れるとなると、これらの子供たちはどうするんで? 来月にパンを食べていられる金のあてもこいつらには無いですが」

 卑屈な笑みをうかべつつそう切りだした村役人に対し、領主の跡継ぎは疑わしげに眉をよせて彼を凝視していたが、少ししてそっけない口ぶりで答えた。

「だからこの坊主をうちで働かせてやるんじゃないか、うちの道化の一人として。  こいつは、自分から金が欲しいと言って館にやってきたんだぞ。たまたま、前の盲人が一人死んでしまってたんでな。  心配しなくても給金はちゃんと払うさ、これは立派な雇用だからな。その金をそこの姉に渡すのはこいつの勝手だ」

 (なにが雇用だ)と村役人は内心毒づきながら、顔ではにこにこして言葉を続けた。

「ええ、まったくおっしゃるとおりで。しかし、この娘にしたら、それは弟が勝手に交わした契約ということでして、寝耳に水だったと……  その子はまだ小さいですし、こういうことは身内が納得するに越したことはないような」

 必死に言いすがる村役人に、うるさそうに跡継ぎが手を振る。

「もういい。こいつはとうに、一生ぼくに仕えるということで契約したんだから、それを勝手にとりやめさせるというなら違約金を払え。  おまえも口先だけでどうにかなると考えている薄っぺらい人間だな。ぼくの慈悲につけこもうたって無駄だぞ、ぼくはそんな言葉で簡単に心を動かされるような弱い人間じゃない。  おまえら平民は、もっと自分で努力して道をひらくべきなんだよ。そうだな、今からの武芸試合に出て優勝してみろよ」

 村役人は声をのんだ。  恐怖で一瞬、足元の地面が消えたような感覚をあじわう。詰まりかけたのどを無理に押しひらくように声を発した。

「武芸試合に? 剣をもって闘え、と?」

「そうとも、闘えばいいんだ。チャンスはいつでも転がっている。ぼくはそれを果敢につかもうとする人間を寛大に遇しているつもりだ。これから開催する試合に、飛び入りエントリーして出場することを許してやる。  優勝すれば被告が裁判に欠席した罰金、捕らえられたあとの保釈金、このめくらのガキの雇用契約を取り消すにじゅうぶんな金が、まとめて手に入るぞ。  ……それどころか知ってのとおり一年間、わが家中で貴族のように扱ってさえやる。この平民どもだって、〈黒騎士〉の後釜に座るためにここに集まってるんだからな」

 自分の考えがよほど気に入ったのか、ナイフとフォークでリズミカルに皿を叩きながら領主の跡継ぎは幾度もうなずいた。

「そうしよう、もうこの武芸試合で優勝した金以外は受け取らないぞ。血と汗で稼がれた尊い金なら、平民の手からでも気持ちよく受け取れそうだ。  自分で出るのが嫌なら、代わりに戦ってくれる奇特な奴を見つけろよ。ただし急ぐことだな。  ああそれと、この庭から出るなよ……目くら、おまえは館の中に戻っていい」

 村役人はしばしの逡巡のあと、「わかりました」と承諾した。  また気まぐれに思いついた遊びであろうが、これを断れば領主の跡継ぎはいたく機嫌を損じるにちがいない。  そうなればどんなことになるか知れたものではない。

(畜生、どうしようもない。代役をたてることが出来るならまだましだ。  ……ちょっと待てよ、代理といっても要するに、自分が闘って勝ちとった金を俺たちにくれるという役回りじゃないか。それになんの得があるんだよ。そんな聖人がこの剣士どもの中にいるわけないだろ?  くそ、とにかく、こいつの目の前から離れて考えよう)

 呆然と雪の上にへたりこんでいる行商人の娘の腕をつかみ、雪まみれのその小さな体を引き起こす。  引きずるようにしてテーブルから離れながら、村役人は小声でささやいた。

「貴族に、とりわけあの男みたいな奴に『平民に生意気な口を利かれた』と思わせるんじゃない。  お前の父親のことも置いておけ、いま騒いだってどうにもならない。たのむから、弟と同じようにおとなしくしてろ」

 ずっ、と鼻をすする音が聞こえた。かたわらを見下ろして、村役人は渋い顔になった。  こちらの子供も泣き出したのである。ずっとこらえていたものが溢れたのではあろうが。

「だって……あの子は目が見えないのに、あんな扱い……なんで、できるんですか……  父さんだって、あの子の目を治すのに、たくさんのお金と腕のいい医師への口利きがあればなんとかなるかもしれないって、あの人たちに言われたから……」

「それを人に決して言うなよ。口をすべらせば本当に殺されかねないんだぞ」

 厳しくいましめてから、村役人は肩越しにテーブルのほうを見やった。  男の子は盲いた目をしょぼしょぼさせて涙をぬぐい、召使につきそわれて館のほうへ歩きだしたところである。  あの坊主はこの数日でそこそこひどい目にあわされたし、今さらちょっとくらい変わるかよ、と思いながらもげっそりため息をついた。

(坊主、助けてやりたくてもこの状況は俺にはちょっと荷が重すぎる。  余計なことを気に病むからだ。村内でちゃんと便宜をはかってやってただろうが)

「何だったんだ?」

 第三者の声が自分に向けてかけられたと気づくまで、数瞬が必要だった。うつむいて娘を引っ張ったままその声をきき流して歩き、ぶつかりかけてはっと顔を上げる。  村役人の目の前に、二人の若い人間が立っていた。どちらも旅装で、防寒用の分厚いマントをまとっている。  問いかけてきたのは、剣を吊った凛々しい剣士のほうである。武芸試合に出るため集まってきた一人かもしれない。

 どう答えればいいのか村役人がとまどっているうち、二人組のうち背の低いほうが、剣士のそでをひいて「ちょっと、そんな簡単に首をつっこんでいいの?」と咎めるように言った。  少しきつい印象があるが相当に整った面立ちの、桃色がかったブロンドの髪の少女である。

「いや、なんだかワケありのよう……」

「人様の領地にはね、いろいろあんの。  あんたは領地を持ってないからそのへん知らないんでしょうけど、貴族同士では、領地の統治には互いにノータッチが基本なの。  よけいなおせっかいは、下手すりゃ紛争や決闘に発展するのよ。呼ばれもしないわたしたちがこんなとこにまぎれこんでるだけでも、ほんとはあまり良くないんだからね」

 その二人の話を聞きながら、(あまり良くないどころか、あのどら息子なら激怒するだろう)と村役人はぼんやり思った。  平民を集めての武芸試合はあの男にとって、最高権力者として君臨する楽しみを味わう場でもあるのだ。  「他の王様」になりうる、しかも自分がまねいた覚えのない貴族など、場に存在してほしくあるまい。

(だけど待てよ、これはチャンスじゃないか?)

 どうやらこの桃色髪の少女は貴族らしい。服装は二人とも貴族のそれとは見えないが。  それならば領主の跡継ぎも、自分たち領民を扱うようにはけっして扱わないだろう(腹は立てても)。あたりまえの話だが、貴族は平民とは違うのだから……  急流にかけた水車のように思考が回転し、ひとつの打算をはじき出した。

「助けてくれ!」

 恥も外聞もかなぐり捨て、小声ではあるが彼はそう叫んで、ぱっと地面にひざまずいた。  村役人に袖を引かれてうながされ、行商人の娘が同じように雪泥にひざをつき、手を組みあわせて祈りの姿勢をとる。  とつぜんの困惑は、こんどは剣士と桃色髪の少女の側にあった。

「な、なによいきなり……立ちなさいよちょっと、周りに見られるじゃない。やめてったら」

「助けてくれ! 俺たちは武芸試合に出ることを強要されてるんだ」

 押し殺した声で、よどみなくぶちまけていく。  背中に、離れたところにいるはずの領主の跡継ぎの視線を感じるが、それも無視する。聞こえてはいないはずである。  場の「他の王様」に、つまりべつの貴族の庇護にすがる。それは、賭けるに値する道だった。

「聞いてくれ。この領地のいまの支配者であるあいつ、カンシー伯爵の息子であるあの若様は、なにかを闘わせるのが好きなんだ。  最初は猫で、犬で、山の獣で、それらを同種あるいは異種間で闘わせるのを好んでいた。それはここ数年で人間におよび、獣と人もしくは人同士を、競技というかたちで闘わせて楽しむようになった。  この武芸試合はその一環だ。一年に一度、腕に覚えがあるという平民の戦士を集めて、優勝が決まるまで戦わせ、優勝者には〈黒騎士〉という家中での称号と特権をあたえる仕組みだ」

「それは聞いてる。変わった嗜好だけど……他人の趣味だし、とやかく言える立場には」

「あいつはなんでも面白半分に闘わせて楽しもうとするんだ! 貴族間の決闘が禁止されていなければ、家臣のメイジ同士を闘わせるだろうよ!  この館には数人の盲人が雇われてる。めくらを数人、囲いの中に入れてから、殴りあわせるのはあいつの好みとするゲームのひとつだ。  目が見えないやつらが殴り合うから展開がどうなるかわからなくて、『最後に立ってられる奴は誰か』って賭けをすると面白いんだとさ」

 村役人が吐き捨てた直後、隣にひざまずいている行商人の娘が顔をあげて、涙で曇った目で剣士を見た。

「おねがいです、助けてください、おにいさん。  うちの目の見えない弟が、あの若様に仕えなきゃならなくなってるんです」

 ぼそぼそとつむがれる涙声はたぶん、同情を引くには最適だろうと村役人は思った。  まさしく貴族の同情こそ、いまの自分たちには必要なものである。

「あの子は自分が何の役にも立たないなんて気にしてて……わたしが、お金のことばかり話してたから……馬鹿なことに、自分からお屋敷に行って……  ……弟はここ数日で、おなじ盲人だけどずっと体が大きい人たちと殴りあわされて、もう前歯を二本なくしました……でも、前歯だけならまだいいです。  あの若様は、囲いのなかに野豚を入れて、それを殴り殺すよう命じたことがあるそうです。その混乱で、盲人が一人死んだって」

 言葉もない態で聞いている二人組が、目と目を見交わした。  話の途中から不快そうに眉をしかめていた剣士が、おもむろに発言する。

「……それで、『助けてくれ』とは? なにをしてほしいんだ?」

 連れの剣士に桃色髪の少女はちらと目をむけたが、今度は制止しようとはしなかった。

………………………… ……………… ……

 雪の舞う庭、木の柵にかこまれた長方形の試合場。武芸試合への出場者がそこにつどっていた。  村役人は、行商人の娘と手を握ったまま、これから始まる予選試合を待っている。  彼らのために出場することを承諾してくれた剣士は、一本の木の棒のみを装備している。最初の試合ではみな棒を使わされるのだった。防具は自由だが。

 その最初の試合は、全員参加の混戦である。  出場する全員が、首に赤い布を巻いていた。  他人の布を一枚だけ奪って柵の外に出れば合格である。自分の布を失えば失格、布を奪わないまま柵の外に逃げても失格だった。  最初のこの一戦で半数以上がふるいおとされる。混乱の中で、重傷を負うものも出るだろう。

「どうかあの方に、始祖の恩寵がありますように……」

 行商人の娘が食い入るように試合場を見つめつつ、祈りをつぶやいている。  村役人は気まずくなった。本当なら、自分があの危険な場に立たされていたのだ。

(しょうがないだろ、俺はまっとうな生き方してるんだ。武器なんて振り回したことがないんだよ)

 気炎をあげつつ試合場にむらがった戦士たちは、腕自慢の男たちとあって多くが体格に恵まれている。  村役人の代理として出場してくれた剣士は、そう大柄ではない。周囲とくらべて頼りなくさえ見えた――にもかかわらず、その剣士の闘志にみじんも曇りはないように見えた。

「遊びがすぎるわ」

 村役人から少し離れて立っていた桃色髪の少女が、冷ややかな声で評した。  ぎくりとして彼は試合を見ることも忘れ、その貴族らしき少女にあわてて「申し訳ない」と謝る。彼女の機嫌をそこねてはおしまいなのだった。  うんざりしたようにその少女が首をふった。

「あなたたちのことじゃないわよ。この馬鹿馬鹿しいちゃんばらごっこ自体もそうだけど、あそこに立って妙に生き生きしてるあの人のことよ。  ほんともう……いつも姫さまに言いつかった仕事でさんざん剣を振ってるんだから、たまの非番でまでこういうことをしなくてもいいじゃない」

 妙に不機嫌そうな声である。  首をちぢめるように聞いている村役人と行商人の娘に対し、少女は安堵させるように声をやわらげた。

「あなたたちを放り出したりしないわよ。  後からあらためて詳しく話を聞かせ――」

 試合開始の鐘が鳴り、少女も口をつぐんだ。

………………………… ……………… ……

「密集しての乱戦では、転んだらまず終わりなんだ」

 剣士は短く、それだけ言った。  額の傷からたらりと一滴、血が流れた。  その頭に包帯を巻きながら、桃色髪の少女が怒鳴りつけた。

「心臓が縮んだわよ! なに一発もらってんのよ」

 まったく心臓がちぢむ光景だった。村役人は慙愧の念にたえず頭をたれる。  乱戦の中で、やはり優位にたっていたのは、左右に薙ぐように棒をふりまわしていた数人の大男だった。  その猛威の陰でよく見えなかったが、どうやら剣士は最初は試合場の隅のほうに引っこんでいたらしく、転倒した者にすばやく駆け寄って頭部を一撃し、気絶した相手の布を奪ったようである。  しゃがんで相手の首から布をほどいていたときに他のだれかに攻撃されたと見えて、柵を身軽にとびこえて戻ってきたときには、額から鼻梁にかけて鮮血をしたたらせていたのである。

「そう心配するな、次から一対一だ。剣を持てるならこっちのものだ。  重傷者も除外して、残った勝ち抜き戦参加者は総勢十六名か。ちょうど四回勝ち抜けばいいわけだ。  ふむ、選手番号は十一番、と……」

 ぎゃんぎゃん騒ぐ桃色髪の少女を軽くいなして、包帯を巻かれた剣士が立ち上がる。  言うとおり、このあとは一対一の試合である。くじ引きで対戦相手が決められ、勝ち抜き方式でただ一人が残るまで続けられるのだ。  領主の跡継ぎの意向により、飛び道具以外でおのおの得意な武器を使うことが認められる。真剣で殺しあうのと変わらず、剣呑このうえない。

「あの、なんといって感謝すればよいか……」

 申し訳なさに消え入りそうな声で頭をさげた村役人に、剣士は手を振った。

「礼は勝ち残ったあとに言ってくれればいい。  そんなことより、もっとはっきり事情をつかんでおきたい」

 詳しく話せ、と言われて村役人は言葉に詰まった。  思わずかたわらの行商人の娘を見下ろすと、こちらも動揺した表情である。  この娘にとっては、親の恥でもあるのだ。

 うろたえる二人の様子を見ていた剣士が、「いや、やはり今はいい」と首を振った。

「とりあえず何戦か勝ってからにしよう。  事情を聞いておいて、初戦でいきなり負けたりしたら格好がつかないからな」

 冗談めかしてそう剣士がそう言ったとき、「三番! 十一番! 試合場へ上がれ!」と〈赤騎士〉の声がひびいた。  自分の番号を呼ばれた剣士が舌打ちする。

「いきなり最初の戦いか。まあいい、なるべくさっさと決着をつけてくる。  ……そうだ、連絡文をハトには仕込んでおいたからな。持ってきておいてよかった。  だれもが試合場に注目しているときに、気づかれないように飛ばすんだ。さいわい野良のハトもそこらにいるから、放つところさえ見られなければ目立つまい」

 剣士が桃色髪の少女の耳元でささやき、自分のものらしい背嚢を渡した。  少女が「わかったわ」とうなずき、ごそごそと渡された背嚢をまさぐる。  村役人の耳に、気のせいかクルッポーと鳴き声が聞こえた。「えっとコレ?」「ばか、いま鳴かせるな!」

………………………… ……………… ……

 もう幾度目かに、熾烈に動きつづける両者の間合いが重なった。  対戦者の振り下ろしたハルバードが、剣士の頭上に剛猛な勢いでふりおろされ……紙一重でかわされた。

 代理の剣士は、地面を噛んだハルバードの先端をすかさず踏みつけ、柄にそって滑らせるようにみずからの剣をはしらせる。  閃光のように鋭い、そして繊細な一撃をうけ、対戦者の右手の親指からわずかに血がとびちる。  剣士はとびのいて叫んだ。

「骨に届いたぞ、降参してはやく治療を受けろ!  後遺症がのこれば、得物をうまく握れなくなるぞ」

 対戦者は剣士をにらみつけ、どくどくと血を雪泥の上にこぼす自分の手を見下ろし……ため息をついた。  その大柄な男から急速に敵意がしぼんでいくのが、村役人にも感じられた。  「そうしよう」とその男はつぶやき、背をむけてのっそりと試合場の柵の外に出る。メイジ兵に一人、水魔法で怪我を治療する役がいるのだ。

 ただ、代理の剣士は治療してもらえない。  走りよってくるメイジたちは、代理の剣士だけには目さえ向けないのだ。間違いなく領主の跡継ぎの差し金にちがいなかった。  剣士もこだわらず、さっさと木の柵をこえて戻ってくる。

「なんて狭い了見なの、あいつら! 治療くらい受けさせてもらうべきよ、もう三人目抜いたんだから! 決勝の前に、  あんた最初の戦いの前に『さっさと決着をつける』とか楽勝そうなこと言っといて、もう四つも傷こさえてるじゃないの!」

「しょうがないだろう、槍やハルバードなんて使われては。これでも自分でも驚きなほどぎりぎりで、うまくかわしてきたんだぞ。  こんなのは全部かすり傷だ。出血にさえ気をつければいい」

 苦笑する剣士の腕の傷に、服の上からかたく布を巻きながら、桃色髪の少女が怒りをまきちらしている。  はらはらさせられたのがよほど不機嫌なのか、「人の領地にはいろいろある」とか言っていたくせに矛先があっさり領主の跡継ぎに向いた。

「だいたいこんな武芸試合、おかしいわよ! 貴族主導のスポーツ大会開催はわりとあるし、『貴族同士の戦い以外なら決闘にあたらない』という屁理屈だってできるけど!  それにしたって普通は木剣とかでしょう!? この一対一でも何人か重傷者が出てるじゃないの、あの赤い髪のやつとか死んでるわよ間違いなく!  この地の領主は何やってるのよ、あんな馬鹿息子を野放しにして留守してるなんて!」

「まったくだな。だが実は、木剣より真剣の立会いのほうがこっちには有利だったりする。さっきみたいに小手先の技を存分にふるう余地があるからな」

 受け答えのあいだも、剣士の傷口に巻いた白布にはじんわりと血がにじんでいく。  ……いたたまれなくなり、村役人は何か言わざるをえない気分になった。

「領主さま、カンシー伯爵は数年前に、ゲルマニア方面へ長い旅に出たのだが、以来音沙汰がなくなってるんだ。すでに死んだと考えてる者も多い。  留守を任されたあの若様は、それまでは領主さまの顔色をうかがって大人しくしてたんだろうが……  数年待っても連絡が何もなかったからか、これで羽根を伸ばせるとばかりに好き放題するようになったんだ」

 流される血を見つつ、やましさから口早に語りつづける。

「〈赤騎士〉と名乗る家令はいさめるどころか、これまた悪知恵を吹き込むときてる。  あの二人組は風車小屋とかの使用料をつりあげたりして、金を領民からしぼりとってた。それでも金が足りなくなるような遊び方をしてたらしいが」

 若い貴族仲間をあつめての賭けトランプや丘の下にある歓楽街での遊蕩が、肝をつぶすような額の出費を強いたらしい。そのしわ寄せは領民にきた。  あのころは領民たちは、本気で集団での逃散を考えたほどにしぼりとられたのである。  が、領民にとっては幸いなことに、領主の跡継ぎはべつの金の卵を見つけたのである。それは親子連れの、ある旅人を利用することだった……

「被告にしたてられてる男は、もともと都市の商人だったらしい。  あるとき市の有力者の妻に迫られてことわったんだが、恥をかかされたと怒ったその女が『私を無理やり手ごめにしようとした』と夫に告げたため裁判沙汰、財産を没収されたうえに判決で都市から追放の刑をくらったという悲惨な奴でな。  娘と、目の見えない息子をかかえて流浪してたのが、この領地に物乞いにきた」

「ちょっと待て、そんないっぺんに早口で話すな。  たしかに何戦か勝ったら話せとは言ったが、いきなり素直にとうとうと話しだされるとちょっと不気味だ」

 村役人は首をふった。

「あんたは、次は決勝というところまで戦ってくれたんだ。いまさら隠すことなんてない」

 そこにこめた感謝は嘘ではなかった。ただ、それ以上に罪悪感と恥ずかしさが言わせた言葉ではあるが。  それに、どうせ頼るなら弱い腹を見せて、何もかもを投げ出してみせるほうが好感を与えられるという打算もある。  行商人の娘に「言うぞ」と彼は確認した。娘はしばし迷いを瞳にうかべてから、あきらめの色をそこに宿して閉じた。

「被告の罪科の焦点だったのは……媚薬の原料などの、一般での売買が禁じられている禁制品を密売したことだ。  そういったわずかでも高価な闇の品は、ここの近くにあるわりに大規模な都市で売りさばくことができる。あそこには歓楽街もあるからな。  正直に言うと、被告はここ以外の法廷でも有罪判決をくらうと思う。  だがおそらく、この話をもちかけたのは若様自身だ。ここの『裁判』は、茶番以外の何者でもない」

 桃色髪の少女が、小さなあごに手をあててうなった。

「なるほど、たしかにね。  領主に特別に庇護されていれば、一般への禁制品だって買いつける道はある。一度この領地に入ってしまえば、積荷あらためも怖れることはない。  政府の役人にでも嗅ぎつけられれば別だけど、まず安泰だわ。当の領主……この場合は名代か……に切り捨てられないかぎりは」

 そしてじっさいに切り捨てられたわけである。港町のほうに買い付けに行っている間に。  理由などいくらでも思いつく。あの商人は最近、あまり領主の跡継ぎに従順とはいえなかった。  また、長年一人の人間が特権を駆使して商にたずさわっていれば周囲の疑いをまねく。  切り捨て時、だったのだろう。

 行商人の娘がこらえきれずに首をふって嘆く。

「父さんは、目の見えない弟をメイジの医師に診せて治してやりたいと……薬だけでも信じられないほど大金だと言われたからって」

「出まかせを言われたに決まってるでしょ。生まれつきの盲人なら無理よ、メイジのどんな薬でも」

 気の毒そうに、しかし断固として桃色髪の少女が言った。娘が深くうなだれる。  そこに気づいたからあの商人は反抗的になっていたのかもしれない、と村役人はこめかみを揉む。  剣士が天をあおいで嘆息した。

「『領主の名代の横暴というだけなら、いざとなれば王政府に訴えればよかったではないか』と思っていたが、そういう裏があったか。  それはかなりまずいな、訴えられなかったのはわからなくもない」

 禁制品の密売となると、塩の密売や貨幣の偽造ほどでなくとも王政府が看過できない罪である。  かりに王政府の役人がこれを知ったとして、領主の息子を牢にぶちこみたくなるのは当然だろうが、行商人ももちろん許されるわけにはいかないだろう。  たとえ利用されていただけとしても。

「厄介だな。あの領主の息子とやらは、そんな自分の弱みを知っている被告を自由にする気は絶対にないだろう……被告以外に知っている者も」

 そう言うと、剣士はちらりと意味深に村役人を見る。  彼はぎくりとする。これまで、そのことは考えないようにしていたのだ。  だが先ほど「ここから出るな」と言い渡されたことといい、不安は急速に色濃くなっていくばかりだった。  べつの貴族の庇護さえあればどうにかなる、と思っていたが、それさえ跡継ぎの害意をとどめられないとすれば……

「決勝をはじめる。十一番、八番、試合場に上がれ!」

 〈赤騎士〉の声がとどき、一同のつかの間の重苦しい沈黙はやぶれた。  だからといって、明るい気分にはむろんならない。  試合場に上がってきた最後の対戦者を見て、剣士が表情をひきしめた。

「やはり、まずすべて終わってから考えよう。  相手も剣か。けっこうだ、負けるものか」

………………………… ……………… ……

 流れるようなゆるりとした動きで対戦者が剣を繰りだすたびに、剣士がぱっと後ろに跳ぶ。あるいは村役人の目に、ゆっくり見えているだけかもしれなかった。  その対戦者、壮年の男は背も剣士とかわらず、目に見えて激しい攻めかたをしているわけでもない。  だが、おそらく相当に強いのだろう。代理の剣士がまったく表情に余裕を見せていない。開始数分だと言うのに、額に汗が流れている。

 剣士が足をフルに使って、前後左右に跳びまわっているのに対し、対戦者は腰を落として重心が低い状態のままじりじりと進んでいた。  そうかと思えば、一瞬だけ前にとびだし剣をひらめかせてすぐ元の位置に戻ったりしている。

「剣なんてわたしも知らないけれど。  なんて言えばいいのか、相手は安定してるわ」

 桃色髪の少女が、ためらいがちにそう批評した。  食い入るように試合場をみつめるその表情に、落ち着きをよそおっていても抑えかねる焦燥の色がある。  村役人は答えることはせず、黙って試合場を見ていた。代理の剣士が苦戦するさまを見て、心臓が絞りあげられるように痛い。

 剣士は負けるかもしれない。傷をおわず負けることはないだろう。死ぬかもしれない。そのときは桃色髪の少女はともかく、自分たちも終わったも同然である。

(心臓を痛めてまで見てどうする? 俺が見てなくても、決着はかならずつくんだ)

 それに俺に武芸などわからないんだ、と村役人は首をふる。  彼は剣さえ知らない平民であり、他人の力を利用して自分の身を守ることしかできない。  それでも、増すばかりの恐怖そして罪悪感に、目をそらすことはできなかった。ふと、横顔に視線を感じるまでは。

 テーブルから領主の跡継ぎが村役人を見つめていた。  自分の靴にはいずっていた虫を見下ろすような冷酷な目で。  彼が唇をひらいた。距離は離れていたが、その声は雪ふる空間をとおしてはっきり伝わった。

「ほんとうに代理に出る物好きがいるとは思わなかったよ。  ぼくは本当はおまえが戦うのを見たかったんだが」

 村役人はわれ知らず後じさった。  理屈以外のなにかがはっきり知らせたのである。

(やっぱりこいつ今日俺たちを、特に俺を殺す気だ)

 彼は職分上、領主の跡継ぎがおこなっている不正に気づいていた。  領地の経営にかかわっている彼は、その気になれば領主の跡継ぎに不利な証拠を探しだすこともできる。  自分自身の命のために、それを告発する気などさらさらなかったが、すでにこの男に敵として認識されているなら……この男は、行商人に手をかけたように自分もこの機に殺すだろう。

(まずい、極めてまずい! ここから出るなとあいつは言った、ここはすでに火にかけられる前のフライパンの上だ。  そうと知っても、いまさら逃れるすべなどあるはずがない)

 …………村役人の焦りをよそに、試合場では代理の剣士もまた苦吟している。  じりじりと距離をつめようとする対戦者に、わずかながら剣士は押されはじめていた。  先の試合での出血、そして今しがたつけられた新たな傷。体力は限界に達しつつある。

 この対戦者は執拗に、剣士の手足を狙っていた。少しずつ、少しずつその剣が速くなっていく。  幾重にも分かれた蛇の舌のように剣の残像がおどり、剣士の手首、前に出ているほうの脚、鎖かたびらから露出したすべての無防備な部位を正確にねらった。  いまやはっきりと見える形でその男は、剣士を追いこむように前進しはじめている。クズリを思わせる執拗かつ獰猛な戦い方。

 …………突然のラッパが鳴り響き、館の木造りの門が開け放たれた。  試合場であらそう二人をのぞき、群衆の視線のあつまる中を、二頭の馬が人をのせて門をくぐってくる。  村役人はほぞを噛み、(やはり来た)という思いでそれを見やった。  最悪にかぎりなく近い展開だった。

 その者は馬をすすませ、領主の跡継ぎから二十歩という地点で止まった。あぶみに体重をかけて、重々しい動作で馬上から地面に身をうつす。  黒い鎧で全身をかため、黒い兜で頭部まですっぽりと覆った完全防備の甲冑姿の……剣士だった。騎士の格好だが、メイジではない。  その後ろでは、フードをかぶった従者らしき者もまた下馬している。

(こんちくしょう、やっぱり勝ち抜き戦の後にもう一試合して〈黒騎士〉を負かさなければ優勝はないわけか)

「カンシー伯爵の息子がやとってる平民の戦士って、あれがそうなの?」

 桃色髪の少女が一瞬だけ試合場から目を放してその甲冑の男を見たあと、苦々しげに表情をこわばらせている村役人にたずねてきた。  村役人もはっと気づいたように少女を見かえして、うなずく。

「……ああ、この二年連続で〈黒騎士〉をつとめている奴だ。  年に一度の武芸試合で勝ちぬいた者は、〈黒騎士〉に挑戦する権利が与えられるんだ。あいつに勝てば優勝者となり、望めば新しい〈黒騎士〉になることができる。  今日を締めくくる試合のために、ここに来たんだろう」

 村役人の見ている前で、黒い甲冑の剣士はがちゃがちゃと甲冑の音をたてながら歩き、テーブルの数歩手前にたたずんだ。  冷えかけた七面鳥の肉を切り分けている領主の跡継ぎが、ナイフを休みなく動かしながらちらとその姿を見て問いただす。

「どうだった?」

 その質問に、数度咳ばらいしてから黒い甲冑の男は答えた。

「あなたの予想通りでした。今朝方、全部片付きました。  まったく寒い、動かないでいると鎧が氷のように冷たくなる……待っているうちに風邪をひいて、のどをやられてしまいましたよ」

「ご苦労だった」

 にんまりと笑みをたたえて、領主の跡継ぎが称賛する。  違和感のある受け答えに、様子をうかがっていた村役人は眉をひそめる。

(なんだ? 待てよ、なにか……)

 ことさらに考えようとしたわけでもないのに、さまざまな疑問が一瞬で頭をめぐった。

 被告はついに来なかった。その娘には、帰ってくると約束していたはずなのに。  待機させられていた武芸試合の挑戦者たち。まるで領主の跡継ぎは、すぐ裁判が終わって試合を始められると確信していたようだった。  人がまばらな、つまり目撃者の少ない大雪の街道。「盗賊や狼」の脅し文句。どこかに出かけていた〈黒騎士〉。

 突然にして、村役人は答えをつかんだ。  けっして難しい謎ではなかった。もともと、どこかでそうではないかと疑っていたのだ。  それでもやはり愕然と目をむいて立ち尽くす。

(あいつら、あの行商人の乗った馬車を襲ったんだ)

 禁制品密売の罪を押しつけたうえで、余計なことをしゃべらないように裁判の前に口を封じる。  被告が裁判に出るためこちらに帰るこの日。どの街道を通るかを予測するのは簡単である。おそらく〈黒騎士〉は、命令を受けて襲うべく兵を伏せていたのだろう。  そこまでやるのか、と村役人は歯噛みした。

 領内の通行安全を保障するはずの領主権が、本気でみずからの土地に罠をしかければ、その領地に踏みこんだ者はまず確実に逃れえない。  主君の命をうけた〈黒騎士〉が馬車を襲い、一人残らず殺したあとで、盗賊のしわざに見せかけることなど造作もないのだ。  いや、死体も馬車ものこさず隠蔽され、被告はそもそも来なかったように見せかけられているのかもしれない。

 提訴人たちのほうを見る。  訴えでた商人たちは妙に居心地わるそうに庭の隅にかたまっていたが……一人が村役人の視線に気づいて、たちまち目をそらした。

(おまえらは裏の事情を知らず、儲けてる同僚をやっかんで訴えただけだ、と俺はさっきまで思っていた……でも、本当は違うんだな?  どら息子に話を持ちかけられて一芝居うったんだろう? あの行商人の後釜におさまって、新たに自分たちが庇護を受ける密約でも交わしたのか?  だがそうだとしたら、その貴族はあの行商人を計画的に使い捨てたように、いつかおまえらも捨てるんだぞ)

 苦虫をかみつぶしながら、村役人は暗く目を落とした。

(だが俺たちはその前に、今日死にそうだな)

………………………… ……………… ……

 試合場の激闘は、まさにたけなわとなっていた。  とうとう試合場の隅、まだあまり踏みこまれていない雪原のある場所まで剣士は後退している。  これまでの対戦者の武器とはほとんど触れることもなかった剣が、火花を散らして敵の猛攻を受け、かろうじて食いとめていた。  踏み荒らされていく雪に赤い点がぽたぽたとついていた。代理の剣士が出血している、と一目で知れた。先の試合のものが開いたのか、新たな傷かはわからなかったが。

「まずいのかしら」

 舞う雪より顔色が白くなっている桃色髪の少女が、ぽつりとつぶやいた。  銀光が繚乱する中、必死の形相で刺突をくいとめた剣士が、驚きの声をあげて体勢をくずした。氷のように硬くなっていた雪にすべったとみえる。  対戦者の剣がその頭上にきらめき、落ちかかった。

 まともに受けようとしていればたぶん死なずとも重傷はまぬがれなかっただろうが、この刹那に剣士は地面に身をなげて転がっている。  幸いにして自分の剣でわれとわが身を傷つけることもなく、雪をけって剣士は距離をとることに成功した。  対戦者が淡々とそちら側に体の向きをかえる。

 呼吸はこれ以上なく乱れ、体は雪まみれで血と汗に汚れていたが――代理の剣士の瞳からは不屈の闘志がいまなお見えた。  が、その瞳が対戦者の背後をみとめて、一瞬揺れたように見えた。その視線の先は、テーブルの方面である。  見るまに汗みどろのその顔が、不敵な笑みを浮かべて対戦者のほうに戻った。

「攻められるのは好かん。ムッシュ、そろそろこっちが攻めさせてもらおう」

 体勢はともかく呼吸はそう簡単に治められないはずだが、油断なく構えを取った剣士の息が、荒いながらも一定のペースを急速にとりもどしていく。  じり、と再度距離をつめようとした対戦者が、ぎょっとしたように動きを止めた。  さきほどの対戦者顔負けの勢いで、剣士が苛烈に攻撃の剣をふるいはじめたからである。  相打ちを狙っているかと思われるほどの、捨て身にちかいやり方だった。

 一剣を送ってまた一剣。  集中力を極限まで高めているらしく、手首をひるがえして送りだす刺突は、迅いながらも精密に対戦者の顔面や手首を狙っていく。  こんど必死に払いのけようとしているのは対戦者だった。  たとえ相手を殺しても、引き換えにこっちの目でも刺されてはたまらないとばかりに切羽つまった様子である。

 対戦者は歯をくいしばり「この気ちがいめ」とでも罵りたそうな顔をしていた。  村役人もぼんやりと的外れなことを頭のどこかで考える。

(あんなに近寄って、刺されるのが怖くないんだろうか?)

 剣士の手にある刃が激しく動きはじめ、雪の光を反射して鮮やかに銀の光芒をはなった。  孤をかいて円転し、その幻惑するような円の中から突きが繰り出される。その刺突がいよいよ速度と数をまし、必死で食い止める対戦者をたじたじと後退させてゆく。  ここが先途とばかりの猛烈な攻めは、尽きる前に火勢をもっとも激しくする炎のようだった。

 力をふりしぼって攻め立てる剣士の、息もつかせぬ矢継ぎばやの刺突についに対処できなくなったのか、対戦者の男が一瞬ひるんだように動きを鈍らせた。  刹那、しゅっと送られた剣尖が、対戦者の手首をつらぬいて冷たさを伝え、「ぎッ」と激痛のうめき声をあげさせた。  とびすさった剣士の前で、勝ち抜き戦最後の対戦者が武器をとりおとし、手首をおさえてひざをつく。

 とうとう代理の剣士が、武芸試合に出た者のうちでただ一人勝ち残ったことになる。

 ……ただし控え目に見ても、剣士は限界だった。  肺が破れそうなほど呼吸を荒げ、頭上からは湯気がたちのぼっている。  喝采を浴びせることも忘れて、村役人は立ち尽くしていた。

 だが、この勝負が決まった次の瞬間に、すぐさま次の戦いを望む声が投げられていた。

「〈黒騎士〉、さっさとお前の役目を果たしてこい。  挑戦者が待っているだろ」

 試合場にたった一人が残った時点で、領主の跡継ぎがそう命令を飛ばしたのである。  黒い甲冑の男は軽くうなずき、身をかえして試合場のほうへ歩いていく。  薄刃の大剣をすらりと抜き放って。

 試合場でいまだ呼吸を整えている汗みずくの剣士が面をあげた。  甲冑の男の剣をまじまじとよく見つめてから、不敵な笑みがまたしてもその顔に浮かんだ。

 そのとき村役人の横から、行商人の娘が涙声をはりあげた。

「不公平じゃないですか、あの方はさっきまで闘っていたんですよ!」

「黙れよ、娘。〈黒騎士〉だって今戻ってきたところだ。  ……不平か? うん不平なのか? よし、もう少しおまえらに得な条件をつけてやろう。『決闘裁判』だ」

 視線を行商人の娘にうつした領主の跡継ぎが、さらに面白いことを思いついたという表情になった。  朗々と言う。

「喜べ娘、父親の有罪無罪をかけてもう一度裁判をさせてやる。なんなら弟の身柄もつけてやるぞ。  決闘裁判、『始祖ブリミルの名にかけて戦われ、その恩寵あって勝ったほうの言い分が正しい』といういにしえの裁判だ。どうだ、わかりやすいだろ?  提訴人側の代理人には〈黒騎士〉を提供しよう。〈黒騎士〉が負ければ、優勝金を持って弟ともどもどこかに消えればいい。ただし負けたら多少、課される罰金に色がつくかもな」

 口をあけて、行商人の娘は動きを止めた。破格といえなくもない条件に、逡巡の色が見える。  「惑わされるな」と村役人は大声で言ってやりたかった。  試合場の代理の剣士が勝ったところで、この目の前の残酷な貴族がそんな約束を守るわけがない。

(どうあってもこいつは俺たちを料理する気なんだよ。  いまは猫が捕らえたねずみに食いつく前に、いじくりまわして遊んでいるだけだ)

「面白い提案だな、おい。聞いたぞ。  まがりなりにも貴族なら、自分の言葉に責任を持つんだろうな」

 試合場の剣士が、血と汗をぬぐいつつ声をテーブルのほうにかけた。  どうにか村役人は領主の跡継ぎから目をそらし、試合場のほうを見る。  剣士は傷がひらき、流れる血で体を朱に染めていた。呼吸も荒い。

(そうだ、それ以前にあんたが、〈黒騎士〉に勝てるとは思えないぞ。傍目からもわかるほど、あまりに疲労し、消耗しすぎているじゃないか。  〈黒騎士〉は一昨年の武芸試合でも昨年でも、対戦した相手の息の根をとめたんだぞ。それを見て、どら息子はことのほか喜んだから、今年もきっとそうするつもりだ……  だのにあんたは、なんでそんなに怖がってないんだよ? 挑発するようなことを言わなくてもいいじゃないか、ただでさえ死の際なのに)

 頭では、そう考えていた。  だが彼の手足は、このとき思考と関係ないかのように動きだしている。  彼は先ほどのように、行商人の娘をひっぱっていた。強引な力に、娘が何か言っている。

 立ちどまり、戸惑ったように見上げてくる娘の小さな肩を抱きよせて、その耳元に口をつける。娘が体を硬直させた。  村役人は、誰にも聞かれないよう密着した体勢のままささやく。

「もう少ししたら混乱になる、その間になんとか逃げろ。父親も弟もあきらめて一人で逃げるんだ。  村にはけっして寄らずすぐ他へいけ、できれば遠くの自由都市へ。そうでなければ、ここよりずっとましな貴族が治める領地へ」

 それだけ言うと離れ、試合場の木の柵を乗りこえる。  行商人の娘が、横から叫びながら手をひっぱるのを振り払い、彼は試合場に降り立った。  剣士と黒い甲冑の男が対峙している試合場の中央まで、体をひきずるように近寄っていく。  恐怖と昂揚で、五体が麻痺したようだった。

 目を丸くしている代理の剣士が、「……何しに来たんだ?」と声を発した。  村役人は、どうにか言葉を震える歯のすきまから押しだす。

「じゅうぶんだ、よ、よくやってくれた、あとは俺がやるから。も、もともと俺が、頼まれてたんだ。本来あんたらは、かか、関係ない。  剣をこっちに貸してくれ」

 領主の跡継ぎをこれ以上刺激すれば、たとえ貴族でも消しかねない。  外壁にかこまれた庭にいるよそ者すべてを、家臣のメイジたちに命じて掃討させ、永遠に口を封じればよい。そんな粗暴で短絡的な判断をしかねない異常性が、あのカンシー伯の息子にはある。

「あ、あんたはさっき覚悟を見せてくれた。  平民だって、覚悟すれば戦えるよな。お、俺だってずっとこうするべきだと思ってたんだ」

 領主の跡継ぎが行ってきた不正を、わが身かわいさに見てみぬふりをしてきたこと。  嘲笑されてもへつらって平伏し、自分の身を守るかわりに誇りを殺してきたこと。  たった今まで、「剣を知らないから」という理由で、自分の代わりに他人を闘わせていたこと。  それらが心をちくちくと刺していた。

 なにをしても逃れられないのなら、もうこの剣士と桃色髪の少女を巻きこむ意味はない。  責任くらいは取っておくべきだった。

「そ、それにあんた、途中ではっきり気づいたけど女だろ。  戦わせといて、いまさらだけど、や、やっぱり男の俺が見てるだけで、女だけ戦わせるってのは違うよな。  だから、もういい、俺がやる」

 心はようやく伴っている。だから剣さえ手に取れば。  そして試合場で〈黒騎士〉の攻撃に耐えながら、テーブルのほうに近寄ることが出来れば。  領主の跡継ぎは、間近で観戦するためにテーブルを試合場の柵ぎりぎりまで近づけている。剣を手にすれば、柵をとびこえて打ちかかれないことはない。

(どうせ最後なら、自分で猫に噛みついてやる。  剣を持ったら〈黒騎士〉に向かうふりをして、あのどら息子に打ちかかってやるぞ)

 その輝くような金の短髪をもつ剣士は、意表をつかれたようにあごを引き、珍しい生き物でも見るかのような目で村役人を見た。  それから、年頃の娘とも思えないうなり声を発した。

 村役人の覚悟を聞いて、領主の跡継ぎは疑いなく大喜びした。  ナイフとフォークをカンカンと鳴らして、その男ははしゃいだ笑みをこぼした。

「おう、選手交代は認めてやるぞ! 勇気には敬意を払おうじゃないか」

 跡継ぎの歓声が聞こえた方向を、耳でしっかり確かめる。あえて目は向けない。  恐怖に目がくらみ、手が震える。この寒さの中、まだ激しく動いてもいないのに汗が背をつたう。

(どら息子を狙えば、混乱が起こるはずだ。あの娘が逃げられるくらいの騒動にしなくては。  最悪なら試合場から出た瞬間に魔法を食らう、最高に運がよければあの腐った頭を叩き割れる……ちっ、最高の結果でも俺が死ぬのは確実か)

 剣士が小声で、ため息まじりに呼びかけてくる。

「やめておけ、馬鹿」

「いいから、は、はやく剣を渡して、柵の外に出ろってば!  ただ、できればあの娘だが、守って外に出し……」

「聞けよ。目の前のやつは味方だぞ」

「……えっ?」

 村役人ののどから、間抜けな声がもれた。  やれやれと肩をすくめんばかりの剣士が、汗まみれの顔に笑みをにやりと浮かべ、「おい」と黒い甲冑の剣士に声を投げた。

「こいつはまともに戦えそうか? おまえの意見を述べてみろ」

 村役人が呆然と聞いている中、答えはすぐさま返ってきた。

「無理でしょ、意気込みは買いますけどね。戦う決意をしても初めてではなかなか体がついていかないものです。まして死の危険があると思えばとくに」

「ああ。足から震えてる奴に、女は引っこんでろみたいなことを言われてもな。  お好きに殺してくださいとアピールしているようなものだ。おまえの言うとおり、意気込みだけは買ってやるべきだが。  ……ところで、遅いぞサイト。そんなごてごてした鎧を着こむ暇があったら、さっさと駆けつけてこい」

「この甲冑であいつらの一味だと思わせてないと、門をすんなりくぐれませんでしたよ。  ……アニエスさんが試合に出てるなんて知らなかったんだから、しかたないでしょうが」

 〈黒騎士〉だと今の今まで思われていたその者が、すっぽり頭部をおおっていた兜を脱ぐ。  あらわれた顔は黒髪、黒目の若い男だった。むろん〈黒騎士〉ではない。  どう反応すればいいかわからず、サイトと呼ばれた少年をまじまじと見つめている村役人に、その少年はにっと唇をひいて笑いかけた。

「いい覚悟だったけど、モチはモチ屋というだろ。  剣の腕なんて一朝一夕でどうにかなるものじゃないんだから、この場合人に頼っても恥じゃないさ。  だから、あとは俺に任せてもらえねえかな。だいたいの事情はわかってるから」

「なにを偉そうに……  まあいい、後はおまえに任せる。万一にも不甲斐ない負けなど見せてくれるなよ」

 剣士が少年に毒づきながらきびすを返し、試合場からおりようとする。  アニエスという名らしいその金髪の剣士に肩をつかまれ、村役人も急展開に追いつけないまま、引きずられるように柵の外に退場した。  その首を絞めるように腕をまわし、涙をためた行商人の娘がとびついた。

 ぐったり息をついた金髪の剣士の肩を、桃色髪の少女がたたいて声をかけている。

「最後のはすごかったけど……ああいう戦い方は危なすぎない? 相打ち狙いに見えたわ」

「試合で戦う者は、たいていは経験をつむほど無茶な戦い方をしなくなる。  平民だと貴族ほど名誉にこだわりもないから、皮肉にも技量があるぶん命を大切にする傾向があるんだ。ああいった手合いにとっては、相打ちなんてもってのほかだな、そこにつけこんだ。  あとは、まあ、こっちの覚悟だな。二度とやりたくないが」

………………………… ……………… ……

 試合場に残った少年は、テーブルに座している領主の跡継ぎに向きなおり、剣先でその胸を指して宣告した。

「決闘で決めるんだろ? 代理も認めると、いま言ったよな?  それなら俺が、被告の擁護者になる。誰だろうと相手になってやる」

 領主の跡継ぎも〈赤騎士〉こと家令も、村役人とおなじく予想外の事態にとまどいの表情を見せていたが、このとき泡を食ったような勢いで跡継ぎがたずねた。

「おい、〈黒騎士〉はどうした! それはぼくがあいつに与えた鎧だぞ」

「たまたま街道を通っていたら、馬車が襲われていたのを見たんでな。  あんたらに利用された商人は傷を負ってる。重くはないが念のため下の街に行かせて養生をすすめたよ。  で、盗賊まがいのあの連中なら縛って転がしておいた。もっとも、この鎧は俺のほうが盗賊よろしく拝借したんだけど」

「あの役たたずが!」

 跡継ぎの罵声をよそに、〈赤騎士〉のほうは静かに目を細めている。  そのメイジは、確認するように慎重な声をだした。

「なるほど、〈黒騎士〉は自分の手で片づけたと言いたいのだな。それなりの腕はあると見ておこう。  声が違うことを怪しまれないよう、風邪でのどの調子うんぬんと言ったり小ざかしいことだ。  ……決闘裁判を要求するとな? だが、あいにくこっちに平民の剣士はもういないんだ」

「誰だろうと相手になると言ったろ? メイジならそこに並んでる。  俺とそっちの貴族たちのうち誰かが一対一で戦い、俺が勝てば被告は無罪。  あんたらが勝てば、俺の身柄もふくめて全面的にそっちの好きにしていい」

 これを聞いて、得たりとばかりに〈赤騎士〉が間髪いれずうなずいた。

「よし! その条件をのもうではないか。  だが、おぬしは本来まねかれざる客だ……こっちも条件をつけくわえさせてもらおう」

 〈赤騎士〉は横むいてかがみこみ、領主の跡継ぎの耳元にささやいた。  怒りからか蒼白になっていた跡継ぎの顔に、たちまち血色が戻る。ナイフとフォークを皿に打ちつけて音を鳴らし、跡継ぎは声をはりあげた。

「一対一形式にはしてやる。ただし、おまえは本来ならいくつかの試合を勝ち抜いてそこに立つべきだった。  だから、最低でも四人に勝ち抜かねばならない。  それとその鎧はいますぐ脱げ、ぼくの物だからな」

 柵の外にもどっていた村役人は、これを聞いて行商人の娘ともども真っ青になった。

(どれだけ腕がたつ剣士だろうと、メイジ一人に勝つことさえおぼつかない。  あの少年は死んだも同然じゃないか)

 何と言えばいいのかわからないが、とにかく制止しようと声をあげかけたとき、村役人の袖をだれかが引いた。  見ると、灰色のフードをかぶって顔を隠している者がいた。〈黒騎士〉に扮していた黒髪の少年についてきた、従者らしき服装の者である。  その者は、静かに、というようなそぶりをしてみせた。

「そうとも、騒ぐことはない。見ていればいい」

 淡々とつぶやきつつ、金髪の剣士がマントをはおった。  行商人の娘が前にでて、恥ずかしそうにうなだれた。

「すみません、おねえさまだったのに、わたしったら最初に『おにいさん』などと呼びかけてしまって。  ……あのときは涙で目が曇っていて……そうでなければ、こんな美人なかたを見まちがえなかったのに」

「褒めてくれるのはありがたいがやめてくれ、私は武人だ。男と間違われても、過度に女あつかいを受けるよりましだ」

 げっそりと金髪の剣士が手を振った。  と、村役人の前にいた従者が身を返し、金髪の剣士に近づいて何事かささやいた。  見るまに剣士が狼狽する。

「いえ、そうは言われますが……いえ、いえ、お言葉なれどそれは……待ってください、か、可愛い服など任務に必要ありません!  ああ、傷ですか? こんなものはかすり傷でございます。今はまだ治療の必要はないかと……  はい、事情はかくかくしかじかの次第で……」

 離れたところでこそこそと小声で交わされている会話に、なんとなく耳をかたむけている村役人だったが、桃色髪の少女が間にたちふさがった。

「余計なことは知らないほうがいいわよ。というか懲りたら?」

「……そうだな」

………………………… ……………… ……

 風雪はいよいよ猛威をふるい、試合場は冷煙うずまく様を見せている。

 衆人の注目のなか、黒髪の少年は篭手をはずし、胴鎧を脱いでいく。  甲冑に慣れていないのか、たどたどしい手つきだった。通常は人の手を借りて着脱する物だからでもあるだろうが。鎧の下から現れていくのは、村役人が見たこともない服である。  試合場に上がってきた〈赤騎士〉が、少年に嫌味っぽく声をかけた。

「そう慌てるな、待ってやる。もう少しゆっくり脱ぐといい」

「今はせっかちな気分なんだよ」

 自分の体から黒い甲冑をおしげもなく取り去っていく黒髪の少年は、そう答えながらも油断なくしっかりと大剣を手につかんでいる。  〈赤騎士〉はふふんと鼻で笑い、言葉をつづけた。

「若様を安心させるためにああは言ったが、平民相手に貴族が四人も必要ないのはおまえでもわかるだろう?  私が家令を任されたのは、家中最強の騎士であったからだ。おまえの相手は最初の私で終わりだ。だからゆっくりこの命ある時間を味わうがいい、と言ってやったのだよ。  まったく、いくら腕に自信があるか知らないが、馬鹿なことを言ったものだな。  ……一応訊いてやるが、若様に仕えてみる気はあるか? 今なら頭を地にすりつけて慈悲を乞えば許してもらえるかもしれんぞ」

「鐘が鳴ったら試合開始なんだよな?」

 鉄靴を地面に放りだして、底に鋲を打ってあるらしき布の靴をはきながら、少年がそう確認を求めた。  長広舌を流されて鼻じろんだ〈赤騎士〉が「ああ」と答え、杖を引き抜いて準備に入る。

 横からかん高い声が飛んだ。「無駄なおしゃべりはいらないぞ、さっさとその無礼者を刻むんだ」と。  すっかり冷えているであろう七面鳥の残りを切り分けている領主の跡継ぎが、いらだったように命令を飛ばしたのである。

「いや待て、街に隠したという被告の場所を吐かせるため生かしておくべきだな。だが腕や足はいらん、何本か切ってやれ。  さあ鐘を鳴らせ!」

 その命令にこたえて、鐘楼の上で七つの鐘がいちどきに鳴らされた。

 鐘が冬空をどよもしたその刹那に、雷電のような一撃で〈赤騎士〉は地面に斬りふせられている。

 領主の跡継ぎの手が、ナイフとフォークを持ったまま凍りついた。

 黒髪の少年がやったのは、雪を蹴立てて敵の前にとびこみながら袈裟がけに剣をふりおろす、それだけの単純きわまる動作である。  ただ、異常なほどに迅かった。  傍で見ていた者の目には、稲妻がひらめいたかと映っていた。

 雪塵を巻いてふりおろされた一剣は、まさに魔法を放とうとしていた〈赤騎士〉の杖を途中から断ち切り、鎖骨のあたりを鎧の上から強打していた。  それによって〈赤騎士〉は、雪と泥のまじる地べたに這うことになっていた。  猛烈な斬撃の勢いによって叩きふせられた格好である。鎧にまもられていたため、直接の傷はついてはいないだろうが。

 ほかの平民の見物人たちと同じく声も出ない村役人の横で、「あのしゃべる剣は頑丈だな、あんな乱暴な使い方をしてよく折れないもんだ」と金髪の剣士がぶつぶつ言っている。

 先手必勝の模範例をしめした黒髪の少年は、信じがたいものを見る目で顔を起こした〈赤騎士〉の鼻先に剣をつきつけた。

「せっかちな気分だと、さっき言っただろ」

 鐘はいまだに鳴っていた。  ひん曲げた唇を震わせている領主の跡継ぎが、テーブルの後ろでざわめいているメイジ兵たちをふりむいて怒鳴った。

「次の奴!」

………………………… ……………… ……

 四人目が下された。  それなりに善戦したばかりに他より重傷を負ったそのメイジが、もっとも不運といえた。杖をふった瞬間、光の矢をかわした少年にわき下の甲冑のすきまを突かれたのである。  軽く息をみだしながら、黒髪の少年は無造作に大剣をふりはらう。赤い血が点々と、それほど荒らされていない雪面に散った。

 武芸試合で敗退したあと、見物していた平民の武芸者たちがわっと沸いた。  いっぽうで、領主の跡継ぎがかかえるメイジ兵たちは動揺のきわみに達しているようだった。  無理もない、と村役人は思う。剣士がメイジを、子供同然にあしらっているのだ。このような光景は常識にはずれている。

 貴族の血にぬれた霜刃と、サイトと呼ばれた黒髪の少年が放つ鮮烈な気迫が、あきらかにメイジ兵たちをひるませている。  異様なほどに使い手自身の速度がきわだっている。範囲の狭い魔法ならやすやすと避けるのだ。  軽捷霊妙の剣さばきと、雷を秘めているような四肢。

 古今に名だたるメイジ殺しの誰であれ、この黒髪の少年ほど恐怖の的になりはしないだろう。  最初の〈赤騎士〉戦の瞬殺は意表をついたゆえにしても、それ以降の三戦もあっけないほどすみやかに勝ってみせたのだ。  アニエスと呼ばれた金髪の剣士もじゅうぶんに強かったが、この少年の強さは根本のところから質が違った。

 自分にしても夢を見ている気分で、たぶんあっち側の陣営は悪夢の気分だろう。

「こうして見るとサイトの奴、目立つな……」

 金髪の剣士が感心したような、微妙に悔しがってもいるような声を出した。  なぜか得意げに薄い胸をそらしているのは桃色髪の少女である。  従者姿の、顔を隠した者がぱちぱち手をたたいた。こちらも喜んでいるらしい。

 行商人の娘が呆然とした表情のまま、村役人の手をとってくるくる踊りはじめた。  振ってわいたような幸運に混乱し、踊りでもしないとどうやって困惑混じりの歓喜を表現していいかわからないのは村役人も同じである。  彼もとりあえずつきあって踊るのだった。

 周囲に苦笑されつつちゃんちゃか続行されていたその踊りがストップしたのは、向こう側でどん、とテーブルを叩いた領主の跡継ぎが、四度目に怒号したからである。

「次だ!」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、サイトは四人抜いたわよ!」

 看過できないとばかりにこちら側の陣営から大声をはりあげたのは、桃色髪の少女だった。  ぎろりと血走った目が返る。

「最低でも四人、と言ったんだ。五人だろうと十人だろうと闘わせてやる。  できないというなら、ぼくが勝ったってことだ!」

 殺気をこめて吐き捨てた跡継ぎが、振り向いて残ったメイジ兵たちに命じた。

「全員まとめて試合場に上がれ!」

「この、貴族の面汚し……!」

 桃色髪の少女が激怒に眉をつりあげ……みずからの杖をひきぬいた。

………………………… ……………… ……

「なあルイズ」

「な、何よ! わたし絶対悪くないからね!」

「いや、俺だって助かったわけだから、いいんだけどさ。  もう少し人目を気にして、エクスプロージョンの威力を抑えるとかだな……」

 黒髪の少年がまじまじと、破壊されたテーブルの周辺を見た。  領主の跡継ぎ以下、そのあたりにいたメイジはそろって虚無に吹きとばされ、気絶して地面に転がっている。  テーブルの惨状はより正確に言うなら、木っ端微塵になっているのである。クレーター状に地面がえぐれていた。

「ラ・ヴァリエール殿の魔法を見ると思うのだが、これで直接の死者が出ないというのが信じられんな」

 金髪の剣士が嘆息し、従者の格好をした者は苦笑をもらしたようである。  庭にいた残りの者は、苦笑どころではない。青くなって桃色髪の少女から距離をおいていた。  村役人も、正直ドン引きしている。

 ルイズと呼ばれた桃色髪の少女が、うつむいた。

「存在自体が、貴族の理念を馬鹿にしてるような奴だったのよ……我慢できなくなって」

「それはわかるよ。よくわかるけど、ここまで来て爆発されたら、アニエスさんや俺の苦心は一体……まあ、ほんとはスッとしたけどな」

 黒髪の少年が笑った。引きこまれそうな晴朗な笑顔に、桃色髪の少女が「……ふん」と横を向く。  一方、庭の隅では爆発に巻きこまれなかったメイジたち、〈赤騎士〉ならびに数名が顔を土気色にして立ち尽くしている。

「さて、後始末はどうしたものか?  すべてを表沙汰にするとなると、カンシー伯爵家の名に傷がつくのはもちろんだが、この娘の父親も結局は処罰されるな。  私の意見では、法は基本的には厳格であるべきだと思うが……」

 金髪の剣士が首をひねりつつ、行商人の娘を見やった。娘は泣きそうな顔になったが、けっきょくは黙りこむ。  だれもが考えこんだが、その思案はすぐ中断された。

 なぜなら、鐘楼の鐘が鳴らされたからである。  試合も終わり、もう響くことはあるまいと思われていたその音色が、またも大気をどよもしていた。  むろん何者かが鳴らしたのである。それはこの場の面々以外の、外から接近した者だった。

「開門!」

 重々しくがなりたてるような先触れの声がそう伝わった。

 まず最初に馬に乗り門をくぐって現れたのは、壮年の痩せた男である。今しがた死神の顔をのぞいてきたというような陰鬱な気配をただよわせていた。  その後に列となって続いた数名の騎士たちは、毛皮や分厚いウールの服を身につけている。いずれも旅の塵埃に汚れたみすぼらしい服で、統一性もない。  だがこのくたびれた外見の連中は、規律と危険さを周囲に感じさせていた。全員同じきらきらしい服にととのえたまま、地面に倒れている跡継ぎの護衛たちよりよほどに。

 『先ほどの四人は、最初の奴以外ラインだったが』とつぜん黒髪の少年の持っていた剣が口をきく。『あれは全員トライアングル、それも歴戦だな』  少年もまた列を見てから、慎重にその剣に答えている。「あいつらが相手なら、二人以上とは同時に戦いたくねえな」  剣が持ち主と会話したことに、村役人はあまり驚かなかった。もっと驚くことがあったので。

「……あれは領主さまだ……カンシー伯爵だ。  帰ってきたのか?」

 村役人の驚嘆の声をうけ、金髪の剣士が目をみはった。

「あれが? ほう、息子とぜんぜん違うな。  いやな奴には変わりなさそうだが、馬鹿には見えない」

 陰々とした雰囲気をただよわせるその男は、馬をとめて馬上からあたりを睥睨した。  周囲を見渡していたその視線が一箇所でさだまる。倒れている者のなかから、みずからの跡継ぎを確認したようだった。  カンシー伯爵は、前触れもなく「私は帰ってきた」と宣言した。

 領主は、緋の裏地のマントをひらめかせて馬からとびおり、侮蔑をこめているとはっきりわかる表情になった。

「わが領民であるなしに関わらず、最初に伝えておくことがある。  旅先でその愚か者の所業が耳に入ってきた。その時点で、そいつを跡継ぎから外すことを私は決意していた。  私は近々再婚する。ゲルマニアから花嫁を連れてきた。その女が、もう少しましな子供を産んでくれるだろう。  なお、当然ながら家令も罷免する。彼は息子ともども、私に恥を存分にかかせてくれた」

 聞く側の耳が凍てつくような、冷酷な声である。

「お館さま……」

 顔色を失ってたたずんでいる〈赤騎士〉が震え声を発した。  霜が降りたような顔でカンシー伯爵はその家令を見た。

「君にはたった一つ礼を言うべきだな。よくぞわが家を潰さないで残しておいてくれたものだ。  伝え聞いた乱脈ぶりでは、いつそうするのも簡単そうだと思われたが」

 強烈な皮肉を言ったきり、〈赤騎士〉をもはや一瞥もせず、帰ってきた領主はふたたび歩き出した。  同じく馬からおりた護衛の兵たちが、その周囲をつつむように規律のとれた足並みで移動する。  試合場を横切るように歩き、その中央でぴたりと足をとめ、カンシー伯爵は向きなおった。  視線の先に、今度は黒髪の少年がいる。

「さきに斥候に出した使い魔の目で、今日開かれた裁判の一部始終は確認している。  わが領地で密売に関与したという商人を引き渡してもらおう。それとその娘、そして村役人の職にあるという若者はすみやかに名乗り出よ。  これは領主としての命令だ」

 村役人の心臓が、のどから飛び出しそうになった。  サイトという少年が、あからさまに難色をしめす。

「ちょっと待ってくれねえかな。一部始終を確認したならわかるだろ、その件はさっき片がついたんだ」

「何も片づいてなどいない」

 カンシー伯爵は、当然という表情で言ってのけた。

「この領地において裁判権を有するのは本来、カンシー伯爵である私のみであり、留守のあいだは指名した名代にそれを委任していたにすぎない。  さきほど言ったとおり、そこに倒れている男は今日の時点ですでにわが嫡子ではなく、〈赤騎士〉はわが家令ではなくなっていた。  どちらもとっくに、わが名代たる資格を失っている……したがって、今日行われたどんな種類の裁判も正式なものではなく、無効だ。裁きは後日にあらためて私がくだす」

 これを聞いて村役人の顔は、たちまち血の気を失った。

(冗談じゃない! 領主さまは、禁制品の密売にカンシー伯家がかかわったという証拠を、可能な限りもみ消す気だ。  俺たちごとまとめて内々に始末しようとしているぞ。裁判なんかに応じればまた有罪、どころか牢内で暗殺されかねない)

 家名を汚したかどで元・跡継ぎが父親からどんな酷烈な罰を受けようが、彼はざまあみろとしか思わない。だが、自分たちにも累がおよぶとなると願い下げである。  カンシー伯爵はその息子と違い、ことさらに残酷な統治者というわけではない。だが、温かい人物とも言えなかった。領民の命と家門の名誉では、後者をためらいなく優先させるだろう。  村役人たちに対してカンシー伯爵が押しつけるであろう運命は、その息子とは動機こそちがえ、結果は似たり寄ったりのものになるはずである。

(どうすれば……)

 だが、このときも救いは訪れた。  黙っていた金髪の剣士が、村役人の横でふんと鼻をならした。  冷たい視線をそちらに向けたカンシー伯爵に、彼女ははっきりと言った。

「裁判権を有する大領主なら、ちゃんと同席していたよ。  トリステイン全土の、本来の領主が」

 カンシー伯爵はじめ、意味をつかめず眉をひそめる者たちをよそに、彼女は振りかえって声をかけた。

「陛下」

 ……サイトという少年はここに来たとき〈黒騎士〉の甲冑を身に着けていた。そして従者の格好をした者を連れていた。  その、フードを目深にかぶっていた従者が、このときそれを払うように脱ぎ捨てた。

 やわらかい栗色の髪が、白い風に逆巻いた。盲いたようなほの白い空の下、冷たく舞い散る雪華のなかで。  湖水のような青い瞳が、しずかにカンシー伯爵を見すえている。  「彼女」は、あっけにとられている多くの目のなか、庭の半ばまですすむと、その朱唇を開いた。  銀の鈴を転がすような声が名乗った。

「アンリエッタ・ド・トリステインです」

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 ルイズをともなって女王が試合場に上がると、さっとアニエスがひざまずいた。才人がデルフリンガーを地面に刺すようにして待機の姿勢に入る。  カンシー伯爵は一瞬眼を見ひらいてからまばたきを何度かくりかえし、やがて眼を細めた。同時に、彼もひざを折っている。  聴衆は度肝を抜かれた様子で静まりかえっていた。

 この日の変装は、貴族の子弟が身に着ける乗馬服のような衣装。  つねの公式の場での落ち着いた動作からは想像しにくい、おてんばなほど軽やかに動きまわるための格好。  けれどもこのときの彼女は、私人ではなく、女王としての威厳をおもてに出していた。

「女王つまりわたくしの保有する裁判権において、今しがた行われた決闘裁判とその結果を認可します。  言っておきますが、そのような重大な裁判を認めうる権利は本来、国王のみが有するはずです。あなたのご子息は王のみの権利を侵そうとしていました。  無罪となった被告、また当然のことながらその家族には指一本触れぬようお願いしますわ、カンシー伯爵」

 ひざまずいて眼をふせていたカンシー伯爵が、ぴくりと反応した。  顔を上げずに彼は、トリステインの領主にして彼の主である、年端もゆかぬ女王に反論する。

「陛下……いかにも裁判権において、王権はすべての貴族の上位に位置します。  しかし陛下、国王裁判所、高等法院でもない場でそれを適用されるのですか?  ましてや決闘裁判は、とうの昔に王令によって廃止されております。まさかそれをご存じないわけでもありますまい」

「ええ、いろいろと強引ではありますが、今回はわたくしの独断で特例を認めることにいたします。  不服そうですね。ですが領主が跡継ぎを廃嫡し、家令を罷免するときも、まず王政府にその旨を届ける必要があるはずでは?  横紙やぶりを行っているという点で、あなたとわたくしは似たようなものですわ」

 にこりと、アンリエッタは笑みをうかべた。  女王の皮肉に、カンシー伯爵は顔色を変えるでもない。

「これはおそれいります。確かに先ほどの宣告は、いささか拙速にすぎました。  ……ですが、密売の罪をうやむやになされるつもりですか?」

「この件はうやむやにするとわたくしが決めたほうが、あなたの真意にも合致するのではありませんこと?  カンシー伯爵、わたくしはことを大げさにする気はないのです。  約束します。あなたの息子の関与した『禁制品密売』の犯罪を王政府が公に追及することはなく、あなたの家門にその咎をおわせることもないと。彼の処罰はあなたに一任します。  そのかわりあなたも、王の庇護下にはいった者に手出しは無用です」

 アンリエッタのこの言葉は、たしかにカンシー伯爵にとっても願ったりかなったりだったろう。  カンシー伯家に王政府の咎めがなく、ことが決定的に表沙汰にならなければそれで彼には問題ないのだから。  彼は主君に頭をいっそう下げた。

「ではこの話は、もはや持ち出しますまい。  あの愚か者については、『王政府に逮捕されていたほうがましだった』と思うような目に合わせることを約束します、陛下」

 冷え冷えとした声に、アンリエッタは寒気を覚えた。  この領主であれば、肉親の情けとは無縁と思われた。

………………………… ……………… ……

 館の庭を出て、雪の路上。

 行商人の娘は、アンリエッタの顔を見るのさえ怖れおおいと思っているようだった。  がちがちに固まりながら、足元に視線を落としたまま顔をあげられないでいる。  村役人も相当に身をかたくしていたが、行商人の娘のあまりの緊張ぶりにかえって余裕を取り戻したらしい。

「しっかりしろよ。せっかくだからちゃんと女王陛下の顔を拝させていただけって」

 その青年に背中を叩かれてひう、と声をもらし、ようやくおずおずと娘は顔をあげた。  アンリエッタはとりあえず安心させるように微笑んだ。とたんに娘は元通り下を向いてしまう。  今のアンリエッタは女王らしからぬ格好なのだが、それも娘にとっては「女王陛下と向き合っている」事態からくる緊張をやわらげる助けにはならないらしい。  アンリエッタはそっと話を切り出した。

「お父君を含めたあなたたち家族のことだけれど」

「は、はいっ」

「あなたがたにはこの国のどこにでも住む権利があります。ただ、この土地からは離れたほうがいいわね。王都などいかがでしょうか。  お父君は怪我を負いましたが、心配はいりません。二週もあれば完治して、その後は健康に働くことができます。  参考までに、王政府系列の銀行では事業をおこす元手を低金利で貸しつけるようにしていますから、いつでも利用なさって」

 よどみなく言ったアンリエッタは、娘が上にあげた顔が呆然としているのを奇異に思った。

「どうしたの?」

「あの、女王陛下……それだけ、なのですか?  父さんの罪は咎められないのですか」

「……やむにやまれず、と聞いています。それにすでにこの件は丸ごと忘れる、とカンシー伯爵に言ってしまいましたから。  ただお父君のこれまで築いた財産のうち、法に背いて手に入れた部分は没収させていただきますが」

 最初の一瞬だけアンリエッタは逡巡の色を見せたが、すぐ言葉をつむいだ。  すました表情を浮かべている。

「他にも。目の見えない弟君のことですが、よい環境を望むならトリスタニアの施療院に預けてみてはいかがかしら?  いえ、あなたが弟君と離れがたいというのなら、同じ施療院で看護婦になってみるという手もありますよ。  これもまた王政府肝いりの施療院で、従来の施設より質の向上をはかっています。人手はいくらでも欲しいの。あなたのような子が来てくれればと思うのだけれど。  トリスタニアはいいところよ」

「あ、はい、ええと、こ、この人が来てくれるなら行きます」

 次から次へと突然の話に目をまわしかけている行商人の娘が、村役人の袖を引っぱってうろたえきった様子で口走った。  村役人の青年が冗談じゃないとばかりに目をむく。

「おいこら、なんで俺が関係あるんだ!? おまえは事あるごとに俺を巻きこむ癖でもついてるのか!」

 アンリエッタのそばに来ていたアニエスが小さく、「サイト並みに鈍い奴もいたもんだ」と呆れ声でつぶやいた。  女王が「隊長殿」と呼ぶと、彼女は静かな目で主君に近寄り、耳になにかをささやいた。  アンリエッタの体が微妙にこわばる。銃士隊長はひとつうなずいて女王から離れ、一歩前に出た。  平民二人の肩を抱くようにして歩かせる。

「それでは、陛下のおおせでお前らをとりあえず村に送る。  あと貴様に言っておくが、この子くらいの年頃でもレディは侮るべからずだ……いや、説明はしてやらん」

 背を向けて去っていく彼らを見送ったアンリエッタは、息を吐いた。  瞳を伏せる。

(アニエスには気づかれていた)

 銃士隊長はこうささやいたのである。

『……陛下、あまりお気になさらぬよう。『法を厳格に』と私は申しましたが、あれはひとつの意見です。  厳格に法を適用することが、つねに最善とはかぎらないという事例を私はいくつも見てきました。現に目の前の二人は、陛下の判断で救われております。  あのときは治安をも考える者としての立場で、まず一応は申しあげたまでですから』

 ――今回は多くの者が、法を守っていなかった。  最後には女王である自分自身も。  それがアニエスの言うような「最善の判断」だったとしても、アンリエッタは知っている。自分は情に流されたのだということを。

 見も知らないほとんどの民には、王の名の下に法を徹底させる。一方でたまたま縁があった者には情けをかける。それでいいのだろうか。  この行いは女王として、ほんとうに正しい行為だっただろうか?  よく悩むことではあるが、今もそれがアンリエッタの心に、一抹の影を落としていた。アニエスはそれを見抜いたのである。

(……もう考えないようにしましょう。わたくしには、他にもっとましな決着は思いつかなかったのだから。  関係者全員の罪を公にすれば、あの娘を泣かせ、カンシー伯爵の面目をつぶすことになったでしょう。それは「正しい理」ではあっても「賢明な政治」ではない、はず)

 政治。この場合はカンシー伯爵のような、一筋縄ではいかない貴族たちを束ねる技術。  貴族にとって大切なのが「家門」と「名誉」である以上、そこに触れないと約束してやれば彼らとて、女王の不興を買うような真似をあえてすることはないのだ。  むろんこちらが強い立場である以上、ごり押しで全面的にこちらの言い分をのませることも出来ただろうが……やはり賢明な方法とはいえなかった。

(賢明、などと……)

 アンリエッタはまたしても自己嫌悪を感じる。  政治的な駆け引きなどといっても、要するに恫喝と譲歩を組み合わせて、相手の妥協をひきだすだけではないか。  そんなことを覚えたかったわけでは、決してない。それでも覚えなければならなかった。  いつでも敢然と自らの正義をつらぬけるルイズがまぶしい、とアンリエッタはこのようなときに思う。

「姫さま」

 呼びかけられて、びくっとアンリエッタは反応した。  当のルイズが数歩離れたところに立っている。  最近すっかり大人びてきた親友は、はっきりした声で述べた。

(あ、そういえば)

 アンリエッタはもじもじと両手の指先をからみあわせ、はにかみ気味にルイズを上目づかいで見た。

「あの……それならものは相談なのだけれど、今日明日サイト殿を借りる時間をもう少し延ばしてもらえないかしら?  お昼からのごたごたで、まだ街に入ってさえいなかったんですもの」

「いえ、それは当初の約束どおりの刻限までで……」

 ルイズの態度は、一瞬にして氷河もかくやという冷然たるものに切り替わっている。  『そっちの話なら別』と主君ではなく、幼なじみ兼恋敵に対する目で語っていた。

 ここからが肝要だわ、とアンリエッタは息をととのえる。  なにしろ自分は、新年すぐあちこちの行事にてんてこまいに飛びまわり、七日目にして旅先ながらようやく束の間の自由を手に入れたのである。  いつものように才人をルイズから借り、せっかく見慣れない土地に来たのだから二人で街見物でもしよう、と思ったらいきなり大きく時間がつぶされたのだった。

 問題発生で失ったやすらぎの時間を、少しでも取りもどしたい。

「ルイズお願い、そこをちょっとだけ譲歩して?  あなたは今日までの降臨祭のあいだ、ずっとサイト殿の手をとっていられたじゃない。少しくらい」

「言っときますが、アレはわたしの使い魔です。基本わたしに属します。一緒にいるのが当然のイキモノです。  陛下におかれましては、臣の所有物に手をかける行為をつつしまれては如何と具申しますが……」

 慇懃なイヤミを駆使することも覚えたルイズだった。  幼いころの二人ならこのあたりで喧嘩に発展しそうなところだが、アンリエッタも今となっては粘りづよく交渉することを覚えている。  まして才人の貸し借りに関する交渉はいつも難航するので、この程度は慣れっこになっているのだった。

 女王と貴族の本日二回目の駆け引きは、これからが本番になりそうである。

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 一方。  かなり弱まってきた風雪のなか路傍の石にこしかけ、少女たちの応酬を離れたところで聞きながら、才人はデルフリンガーを布で手入れしている。  そのしゃべる剣が揶揄するような笑い声をたてた。

『相棒、こんなときいつも俺の相手してくれるのはいいが、ひんぱんな現実逃避はよくないぜ』

「…………待つ以外、俺に他にどうしろって言うんだよ?」

 彼は彼で、悩みが尽きないのだった。  マリコルヌならずとも、一般の目から見るとつい刺したくなるような悩みではあったが。

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