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アニメ会社紹介(作オタ視点)/す~そ


作オタによるアニメ会社紹介のページです。
更新が少ないため、記載されてる情報が古い可能性もあります。ご注意ください。
所属アニメタ欄記載のアニメーターには、継続的にその会社に席を置いているフリーアニメーターも含まれています。
輩出アニメタ欄に関しても、他社へ移籍した動画からの生え抜きや社員アニメーターに加えて、他社へ席を移したフリーも含めての記載となっています。
社内に席があるフリーか、外注のフリーか不明な場合は関連アニメタ欄に記載お願いします。

アニメ会社紹介(作オタ視点)/あ~さ行
アニメ会社紹介(作オタ視点)/た~わ行

 


 

■スタジオ絵夢
・アニメーター朝倉隆が主宰するアニメスタジオ。主に日本アニメーション制作作品を中心に活動。
・後述のスタジオ絵夢とは別のスタジオ。設立年はこちらのほうが早い。
・主な参加作に『ミームいろいろ夢の旅』『宇宙船サジタリウス』『グリム名作劇場』など

関連アニメタ:朝倉隆、野崎温子


■スタジオ絵夢
・宇治光夫(宇治昌光)ともう一人のアニメーターがネオメディアから独立して設立。
・当時ネオメディアの東中野スタジオに在籍していた大城勉、安藤義信も付いていく形で絵夢に移籍した。
・先述の朝倉隆主宰のスタジオ絵夢とは別のスタジオ。設立年はこちらのほうが遅い。
・80年代に大城、安藤の両者に代表される、棒状のハイライトを用いたシャープなメカの描写と山下調の暴走作画で頭角を現す。
 この時期の代表的な参加作品に『忍者戦士飛影』『マシンロボ クロノスの大逆襲』『マシンロボ ぶっちぎりバトルハッカーズ』
 『機甲戦記ドラグナー』『超音戦士ボーグマン』がある。特に『バトルハッカーズ』の参加回(トランス・アーツのグロス回の作画をアニメ浪漫と共同で担当)は必見。
・ネオメディアの富士見台スタジオに席を置いていた磯光雄は、絵夢のメンバーと交友があったため、絵夢所属ではないものの、絵夢に作業用の机を置いて出入りしていた。
 舛舘俊秀がスタジオ座円洞を離れて絵夢に加入した際に、舛舘から座円洞の話を聞いた磯が興味を持ち、ネオメディアから座円洞に移籍した。
・作画のスタイルに関しても80年代の大城、安藤の作画は磯と近い部分がある。
 90年代以降の作品でも大城(特に90年代前半)、安藤や、後に絵夢に加入した黒柳賢治の煙作画は非常に磯のスタイルと近い。
・絵夢参加回では『桃太郎伝説』や『からくり剣豪伝ムサシロード』といった90年代初期の作品においても磯光雄と似たタイプの煙作画が見られることが多い。
「第135回アニメスタイルイベント 磯光雄の作画を語る!」によれば吉成曜は大城、安藤の両氏の煙作画の影響を受けていたとのこと。
・『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』1話の北極基地襲撃シーンは磯の手伝いで大城、安藤の両氏が参加している。
・代表作に『SDガンダム外伝』『夢のマロン社・宇宙の旅』といったSDガンダムのOVAシリーズ、『魔宮戦場2』『絶対無敵ライジンオー』『超特急ヒカリアン』等がある。
・『ダッシュ!四駆郎』『からくり剣豪伝ムサシロード』では、トランス・アーツのグロス回の作画を前身にあたるネオメディアと共同で担当している。
 ネオメディアからは先述の黒柳賢治が絵夢に移籍しており、『疾風!アイアンリーガー』『勇者指令ダグオン』等数多くの作品に安藤らと共に参加している。
・エルドランシリーズで安藤と共に活躍した近藤高光、菊池晃、城前龍治らとの繋がりが深い。
・スタジオケルマディック(2017年に活動停止)のグロス回には絵夢のメンバーが参加することが多かった。
・会社組織ではなくフリー集団である。現在も存在しており、近年では『モンスター娘のいる日常』で水野佳樹がスタジオ絵夢所属としてクレジットされている。

関連アニメタ:宇治光夫(宇治昌光)、安藤義信大城勉舛舘俊秀、佐々木真哉、吉木正行阿部正実黒柳賢治、水野佳樹


■スタジオOZ(スタジオとめ)
・過去に存在したフリーアニメーターの集団。
・プロダクション・ルーズから独立した古川達也(代表)、岸義之、上妻晋作、池上裕之、増子修が1982年に結成。しばらくしてスタジオNo.1を脱退した山下将仁もここに加わる。
・当初、スタジオ名は決まっていなかったが、喫茶店にあった『オズの魔法使い』のポスターから名前をとって「スタジオOZ」とした。
・後に仕上げ会社に同名のスタジオOZが発足し、間違い電話が多くかかってきたことからスタジオ名を「スタジオとめ」に変更した。
・北久保弘之のask.fmによれば、元々「Studio To Me」に変更予定だったものを山下が「とめ」とローマ字読みしたことがスタジオとめの命名の由来だそう。*
・スタジオとめ時代には新房昭之もアニメーターとして在籍していた。新房の友人の漫画家の高橋和希や、No.1で動画時代の山下の教育係を務めていた高橋朝雄もスタジオに出入りしていた。
・『うる星やつら』で山下が原画を担当した回には、上妻をはじめとしたOZ(とめ)のメンバーや高橋朝雄が、手伝いで参加(ノンクレジット)することがあった。

関連アニメタ:岸義之、古川達也、池上裕之、増子修、上妻晋作山下将仁、新房昭之、新坂恵一

■■スタジオワンパターン(スタジオわんぱたん、スタジオ王破綻)
・スタジオとめが解散した後、1984年に山下、上妻、新房がスタジオワンパターン(後に"わんぱたん"と改名)を結成。高橋和希も漫画の仕事の合間に出入りしていた。
・ワンパターン(わんぱたん)には、カナメプロから独立した佐野浩敏、佐野により紹介された松尾慎、国際映画社の経営危機により所属スタジオのP.C.Nが解散し、フリーとなった高橋朝雄らが後に加入した。
・わんぱたん時代は佐野や、金田伊功の弟子筋の山下、高橋朝雄、佐野や山下に強い影響を受けた松尾といった金田調のアニメーターが在籍していた。
・演出の浦田保則もわんぱたんに席を置いていた。また瀬尾康博や当時グラビトン所属の合田浩章もわんぱたんに出入りしていたそう。
・『マシンロボ クロノスの大逆襲』のパイロットフィルム、およびOPにはその場にいたわんぱたんのメンバーほぼ全員が参加している。

関連アニメタ:上妻晋作、山下将仁、新房昭之、芥川義明、佐野浩敏松尾慎高橋朝雄瀬尾康博、金井誠

■■EDGE
・わんぱたん解散後、佐野浩敏、松尾慎、高見明男、仲盛文らによってフリーアニメーターの集団「EDGE」が結成された。
・川元利浩、堀川耕一、石田敦子も席を置いていたとのこと。*
・アニメージュ1990年6月号の記事によれば、取材当時のメンバーは佐野、高見、川元の各氏に、中島伸二、演出家の浦田保則を加えた5人。

関連アニメタ:佐野浩敏、松尾慎、金井誠、高見明男仲盛文川元利浩堀川耕一石田敦子、中島伸二


■スタジオKAI
・ADKエモーションズの完全子会社として2019年に設立。同年にGONZOから一部アニメ制作事業と知的財産権の管理・運用に関わる権利義務を継承した。
・設立時よりアニメーター、演出家の正社員登用を推進しているアニメ制作会社。
・同社に所属するアニメーター、演出家、プロデューサー、制作進行の多くは『戦姫絶唱シンフォギア』シリーズの主要スタッフ陣であり、同社作品に参加するスタッフもそのシリーズに参加経験のあるスタッフが多い。
・『ウマ娘 プリティダービー Season2』よりテレビ元請作品の制作を開始した。
・設立後間もない新鋭の会社だが、上記の通り、サテライトの主力勢が大半を占めるため同社作品の作画品質は比較的高水準な物が多くを占める。
・制作プロデューサーの増尾将史が担当する作品は、演出、作画監督、原画内製率が高い傾向にある。
・ちなみに代表取締役の柴田邦彦はアニメプロデュース会社である日本アドシステムズ(通称NAS)の代表でもある。
・2024年、金子Pを中心として和-NAGOMI―を設立、サテライト移籍組のトップの独立となり人員に大きな変化が予想される。現時点では藤本・今西・ハニューの3名が移籍した。
・最新作は『ウマ娘 プリティダービー Season3』『キャプテン翼シーズン2 ジュニアユース編』『ループ7回目の悪役令嬢は、元敵国で自由気ままな花嫁生活を満喫する』。

所属アニメタ:椛島洋介式地幸喜光田史亮、中島順、佃泰佑、小畑賢、井上英紀、長田好弘、坂本俊太、福田佳太、冨永一仁、畑智司、木村和貴、挽本敦子、桐谷真咲、坂友加里、谷口りつ子、寺井佳史、國松聖士、土井田竜健、大森亘、西山優衣、小田悠希恵、米井大稀、森島未紗紀、白濱穂積、木下あすな、舩倉悠羽、山本恭将、福江あゆ、井上和、野津駿兵、田中大地、中島裕樹、亀田捷紀、平山雄都
関連アニメタ:宗圓祐輔、吉田亘良阿蒜晃士長森佳容蛯名秀和徳田大貴黒崎隼人木曽勇太、小松原聖、鈴木光、小谷杏子、福元陽介、伊藤幸、夜桜さくら、芝田千紗、上田彩加、橋口隼人、安達祐輔、坂井久太豊田暁子栗西祐輔
輩出アニメタ:藤本さとる、今西亨、ハニュー


■スタジオCAM
・1984年設立のフリーアニメーター集団。元ネオメディアの和田卓也、田村英樹がスタジオMAXから脱退後に結成。
・和田、田村両氏のスカウトで、当時草間アートに在籍していた菊池通隆もフリーアニメーターとなりCAMのメンバーとなった。
・80年代の田村英樹、菊池通隆の所属スタジオとしてよく知られている。『北斗の拳』等の作品では和田卓也が濃い目のキャラクター作画で活躍した。
・スタジオ名の読み方は『マシンロボ クロノスの大逆襲』、『ドリームハンター麗夢 惨夢、甦る死神博士』でのクレジットによれば「スタジオキャム」。命名の由来は和田の好きなタバコの銘柄がキャメルだっとことから。
・原画マンだけでなく、動画マンも席を置いており動画でクレジットされている作品もある。
・メンバーが揃って同じ作品に参加することは少なかった。(一部のメンバーがまとまって参加した作品は多数ある)
・主な参加作に『戦国魔神ゴーショーグン 時の異邦人』、『魔法のスター マジカルエミ』、『北斗の拳』、『Mr.ペンペン』、『ガルフォース ETERNAL STORY』、『マシンロボ クロノスの大逆襲』、『マンガ日本経済入門』などがある。

関連アニメタ:和田卓也、田村英樹菊池通隆、飯島傑、木村光雅、杉浦幸次、大森貴弘


■スタジオグラビトン
・1984年設立のフリーアニメーター集団。設立時のメンバーは増尾昭一、庵野秀明、西島克彦、伊藤浩二。*
・ガイナックス設立後、庵野は掛け持ちでグラビトンに机を置いていた。その他何名か机を借りに来るアニメーターも居たとのこと。*
・合田浩章がメンバーに加わった後、『プロジェクトA子』を機に、高木弘樹、平田智浩、摩砂雪、窪岡俊之が参加。
・『ふしぎの海のナディア』への参加を機に摩砂雪が脱退。その欠員を埋める形で鈴木俊二が『新世紀エヴァンゲリオン』の放映前まで席を置いた。*
・庵野秀明がガイナックスと掛け持ちで参加していたため、ガイナックス作品に参加したメンバーも多い。
・後に参加したメンバーも含め、出身スタジオの垣根を越えて80年代当時の若手実力派アニメーターが在籍していた。
・メンバーにはアニメ版の『うる星やつら』の原画を担当した経験のあるアニメーターが多い。
・メンバーが揃って同じ作品に参加することは少なかった。(一部のメンバーがまとまって参加した作品は多数ある)
・代表作は『プロジェクトA子』、『クラッシャージョウ』のOVAシリーズ、『無責任艦長タイラー』など。
・グラビトンのメンバーがメインのスタッフとなって制作した『プロジェクトA子』は80年代屈指の作画アニメである。
・『夢幻戦士ヴァリス』のPVはサンライズからグラビトンが請けた仕事で、監督の庵野、キャラクターデザインの西島をはじめ殆どのメンバーが参加している。
・漫画家のチャーリーにしなか(増尾、摩砂雪とは東デ時代の同期*)も一時期グラビトンに出入りしていた。*
・年を重ねる毎にメンバーの出向が多くなり最終的に閉める事となったとのこと*。2000年代前半までは存続していた模様。

関連アニメタ:増尾昭一庵野秀明西島克彦伊藤浩二合田浩章高木弘樹、平田智浩、摩砂雪窪岡俊之鈴木俊二村田峻治本谷利明


■スタジオコクピット
・1978年にスタジオエイトから演出と作画が独立して設立されたプロダクション。
・創設時メンバーは演出の山口秀憲、山吉康夫、川田武範と、作画の高橋英吉、河村信道、松村啓子、加藤良子、上野茂々子、多田康之、三原武憲、椎名繁、多田信の計12名。(アニメージュ1993年11月号より)
・数多くのアニメのグロス・作画を担当した信頼の厚い下請け有限会社である。90年代以後の仕事は特に評価が高い。
・78年頃、小曽根孝夫、森山雄治、板野一郎ら元スタジオムサシのアニメーター達がコクピットに加入した。
・前身のスタジオエイトが解散した際に、エイトに在籍していた森利夫、深谷英作、長縄宏美らがコクピットへと合流した。
・87年頃、スタジオアトンの解散により、アトン所属だった夏目久仁彦らがコクピットに加入している。
・91年頃、玉川達文、馬越嘉彦、香川久を筆頭にムッシュオニオンから多数のスタッフがコクピットへと移籍した。
・馬越嘉彦の参加回はスタジオ潮風(馬場、西位、加々美、中村章子)の面子がセットになることが多く、作スレにおいて馬越軍団と呼ばれている。
・現在は太いパイプを生かして総作画監督・キャラデザを担当するアニメーターが多い。
・召集がかかると一定期間拘束されるアニメーターも多く、現在はグロスとしてクレジットに載ることは稀である。(『ポケモンBW』以降での岩根玉川案浦回では久々に作画協力コクピットが復活している)
・姉妹会社にスタジオピーコックがある。
・2016年3月31日をもって解散。4月にはコクピットゆかりの人物の何人かが社屋を訪れた。6月には解散式が執り行われた。
・岩根氏の掲示板によれば、ポケモングロス班は小規模な新団体「こくぴっと」において引き続きポケモンを担当するとのこと。
・コクピット解散後のメンバーは、フリーで自宅作業をする者、別の会社に机を借りる者、あるいは数人でマンションを借りてフリー集団として仕事を続ける者など様々だそうである。
・岩根雅明お絵かきチャンネル(Youtube)にスタジオコクピット関連の動画がアップされている。

関連アニメタ:高橋英吉、河村信道、松村啓子、加藤良子、上野茂々子、多田康之、三原武憲、椎名繁、多田信、小曽根孝夫、浜津守、吉永尚之、森山雄治板野一郎、清野浩美、南友子、鈴木弥生、飯田浩美、 小野順三、藤岡正宣、森利夫、山崎唯文、深谷英作、増田信博、井上弘子、斉木美恵子、原則子、高橋のり子、北野由美子、鈴木陽子、高田和子、村松尚雄、須藤昌朋、植木貴子、大村まゆみ、杉山典子、長縄宏美、榎本冨士香、小曽根陽子、川端良子、林和男、松下清志、泉都、堰口永子、岩柳恵美子、梨本さつき、栗原一哉、岡野秀彦、水野祥司、村井広宣、吉田雅一、新城真、中尾貴美子、大島明子、河副富美子、気仙美恵子、河原井敦子、坂詰かよ、上野千夏、小沢俊幸、川島由美子、望月頼子、渡辺幸枝、柳原雄一、増永計介岩根雅明、豊岡督、北野幸広、音泉貴英、桑原幸一、小出茂鐘、木村知英、安留雅弥、杉本功、須藤千夏、小坂裕稀、大橋名緒子、夏目久仁彦、井硲清高、駒井良美、松下敦子、香川久馬越嘉彦伊藤(玉川)達文、秋元勇一、池平千里、佐藤美智子、森円美、松本裕一郎、海谷孝男、玉川明洋、吉川美貴、牛来隆行、鈴木晃子、佐藤雅将、大島嘉代、田上志乃、神長春江、高橋博信、清水博明、中田正彦、本館耐、鈴木靖史、高野和史、加々美高浩、浅井義之、金石知也、鈴木洋美、西尾公伯、村松さつき、松本丈寛、西位輝実、相川真理子、吉野満純、甲斐紀子、勝部智道、鵜飼悠紀、森出剛、管綾香、馬場充子、案浦達哉、宮川智恵子、井本良子、山中正博、船本優美、小林由美、北田麻記子、薗部あい子、井野真理恵、田中立子、伊藤典子、須賀美幸、今西亨、跡部美穂、濱口明、池みさき、武田寛子、松野裕衣、酒井裕未、津々木尭史、村田理


■Studio五組(スタジオごくみ)
・元GONZOの制作プロデューサーであった柴田知典がGONZO第5スタジオの一部スタッフと共に独立する形で2010年5月に設立。
・主に日常系・萌え系の作品を手掛けており、傾向が同じ動画工房とは比べられる事もしばしば。
・2021年まではオリジナル作品も頻繁に制作されており、その中でも『結城友奈は勇者である』は名実とともに同社の代表作である。
・近年は同社の元第2スタジオであるAXsiZとの共同制作が多いが、その場合、五組はあまり関与せずAXsiZ主体で制作される傾向にある。
・ちなみに同じ敷地内にはufotable東京スタジオ(本社)が隣接している。

所属アニメタ:酒井孝裕、庵奥亮太、田中翼、室井誠、趙禮琳、高村遼太郎、嘉村有一郎、斉藤靖徳、赤坂玲菜
関連アニメタ:谷拓也、世良公太、永山恵、濱崎徹、田邉博、中島大智、小菅洋、安達祐輔、向川原憲、清水博幸、迫江沙羅、栗原基樹
輩出アニメタ:澤田謙治

■■AXsiZ(アクシズ)
・スタジオ五組第2スタジオが社名を付けた上で、2011年7月7日に設立。
・設立当初は他社制作の下請け業が主だったが、2016年からはスタジオ五組との共同元請を中心に活動している他、単体での元請作品もある。

所属アニメタ:小関雅、福島健太、ラウホイン、菅谷大輝、髙橋葵、森脇妃菜、新田涼穂
関連アニメタ:竹上貴雄、山内尚樹、鐘文山、田津奈々子、名村英敏
輩出アニメタ:島本勇太、二川剣治、冨田稜介


■スタジオコロリド
・2011年8月22日に設立。
・フジテレビの著作権部に所属していた山本幸治Pが代表取締役を務める。
・コンテンツ企画会社「ツインエンジン」の映像製作会社の一社。
・石田祐康や新井陽次郎が中心となり、若手の人材が活躍している。
・TVアニメよりも劇場作品や短編CMやWeb配信型のアニメーションを中心にしている。
・グロスとして参加した際は、作画的見所のあるアニメーションを提供してくれる。
・最新作映画は『雨を告げる漂流団地』、最新CMはJRA CM 『今日、わたしの物語が走ります。』。

所属アニメタ:石舘波子、石田祐康、加藤ふみ、栗崎健太朗、坂口歌菜子、篠田貴臣、チョン・インソン、永江彰浩、間崎渓、村山正直、柴山智隆、刈谷仁美、加藤万由子
チームヤマヒツヂ所属アニメタ:川野達朗
チームクロマト所属アニメタ:山下清悟
関連アニメタ:工原しげき
輩出アニメタ:新井陽次郎、水谷汐里、松本さり


■STUDIO G-1 neo
・1993年設立、2000年法人化。
・大張正己を代表とした制作会社。所属アニメーターは俗に言う大張系と呼ばれる人が多い
・成人向けアニメを手掛けたりしていたが、2010年代以降はスタジオ自体での大きな動きは少ない。
・主にオープニングアニメーションを制作している。

所属アニメタ:大張正己大籠之仁、江端里沙、上田真弓、河野さち子、浜崎賢一
輩出アニメタ:山根理宏高谷浩利中澤一登石田敦子、ことぶきつかさ、反田誠二、中山岳洋宇野真崔ふみひで金子ひらく斉藤良成椛島洋介牟田口裕基


■スタジオジブリ
・1985年設立。
・アクションから地味な芝居まで並ぶものなき、おそらく日本で一番有名なアニメスタジオ。
・劇場ばかりと誤解されがちだが、暇なときは普通にTVアニメの下請をやってたりする。しかしながらグロス請けに関しては非常に稀、というか無い。(ジブリ参加として有名なエヴァ11話は原画のみ)
・作画スピードは、1人1週間で4秒分程度と言われる。(TVアニメではあり得ない時間のかけ方)
・近年スタジオを増設し計7スタジオ(ただし≠制作ライン)となり、これにより短編複数+長編2本の平行制作も可能な体制を整えている。
また実写部門である(はずの)スタジオカジノでも百瀬監督によるPVアニメを制作している。
・輩出したアニメーターや社内作品が動いていない所属者の多くはサンライズやボンズ作品への参加率が高い。
・愛知県のトヨタ社屋で新スタジオ(西ジブリ)を開設し、20人ほどの新人アニメーターを囲って養成したが、わずか1年半で閉鎖し本社へ合流。
・2010年、生え抜きである米林宏昌が初めてジブリ作品の監督を務めることになったが、鈴木Pが「ジブリは宮崎と高畑の会社」と言うように、後継者が居ないという大きな問題があり(喜文さんが居れば…)、
 成長した研修生の流出や西ジブリの閉鎖、それ以降のスタッフ募集見送りなど人材育成の環境が不安定という弱点を持つ。
・かぐや姫やマーニーでは外部の人材を中心とした制作が試みられ、長らくジブリを離れていた安藤雅司や笹木信作が久々に参加するなど変化もみられた。
・2014年、宮崎の長編引退(後に撤回)を切っ掛けに制作部門の解体を発表
・解体に伴い所属アニメーターを解雇。他社とは比較にならない予算が掛かる長編制作についてはしばらく休業する見込みのようだ。
・余談だが制作解体に伴い作画机が一斉に出されスタジオ地図やシグナル・エムディへ渡った。
・短編アニメ「毛虫のボロ」の制作を挟み、2017年、宮崎駿監督が新作長編『君たちはどう生きるか』の制作準備に入り、事実上、引退を撤回。これに伴い、同年に動画と背景美術のスタッフ募集を行った。

所属アニメタ:宮崎駿、本田雄、井上俊之
関連アニメタ:篠原征子、遠藤正明、二木真希子、田中敦子、賀川愛、金田伊功、前田真宏、庵野秀明、高坂希太郎、丹内司、大塚伸治、河口俊夫、近藤勝也、森友典子、大谷敦子、近藤喜文、山川浩臣、佐藤好春、大平晋也、田辺修、磯光雄、稲村武志、箕輪博子、清水洋、古屋勝悟、山下明彦、森田宏幸、百瀬義行、山田憲一
輩出アニメタ:村田俊治、安藤雅司、吉田健一、笹木信作、桑名郁郎、小西賢一、芳尾英明、山森英司、松瀬勝、米林宏昌、田村篤、大橋実、佐藤雅子、奥村正志、小田剛生、室井康雄、新井陽次郎


■スタジオジャイアンツ
・1975年に、日動新プロ出身の角谷哲生が安東信悦らと原画作業を行なうスタジオとして設立。
・1976年に動画部門をスタジオライオンズ(雷音頭)とした。
・土田プロダクションとその後身のスタジオコメット、葦プロダクション、XEBECの仕事を主としていた。
・前社長の角谷哲生が東京デザイナー学院の講師だった関係で同校出身者が多い。
・ちなみにコンテでクレジットされる「土蛇我現」「どじゃがげん」「DOJAG-A-GEN」はジャイアンツのハウスネーム。
・角谷哲生が急逝した2012年以降は息子の角谷浩が後を継ぎ、現在は作画グロスのみではなく、社長が進行を兼任し制作グロスも行っている。
・2021年8月31日をもってアニメーション制作事業部を廃止。2022年2月2日付で東京地裁において破産手続きの開始決定を受けた。
・2021年7月に設立した株式会社エレファントが、同社のアニメーション制作事業を引き継いでいる。

輩出アニメタ:安東信悦、鈴木篤哉(大渡力)、摩砂雪(山口正幸)、高橋ナオヒト(音無竜之介、結城司)、増尾昭一(ぬるちひるこ)、日下直義、志田正博(志田ただし、広田正志、金津賀博)、武藤公春、深沢幸司、入好さとる(入好悟)、新岡浩美(寿限無)、勝亦祥視、鈴木俊二、和田伸一(菜明)、二瓶勇一(椎名真知夫)、鶴巻和哉(八塚ひろし)都留稔幸伊藤岳史(新羽高一浪、新羽こういちろう)、佐藤淳、土田一也(池田聡美?、池田好美?)、大坪幸麿、武内宣之千羽由利子斉藤英子、牛来隆行、佐藤和巳、松野利晴、井野口有里、奥澤明裕(奥沢明裕)、石野聡木崎文智、中島里恵、 遠藤省二、松本卓也、高橋照夫、後藤有宏、佐藤陵、段雄一、江上夏樹、西部師経、江森真理子、畑伸幸、亀井治、池上太郎、内田孝、津田崇、小林哲也、桜井正明、藤田和行、新井淳、金田栄二、澤田譲治、清水泰夫、川面恒介、野本正幸、山崎淳、黒田幸生、田中基樹、高橋徳詔、大高雄太、龍輪直征、岩崎安利、藤井辰己、萩原省智、永田全、野田智弘、川村裕哉滝山真哲川村幸祐、濱口頌平、有我洋美、重松佐和子、天野由梨恵、佐々木萌、小見川美穂、神谷望夢

■■エレファント
・スタジオジャイアンツの映像制作事業部廃止につき2021年7月に設立。

所属アニメタ:広瀬佑樹、戸川克洋、近藤未歩、鹿内華怜、夏目琴巳、井上静乃、濱本響
関連アニメタ:勝亦祥視、佐々木萌、小見川美穂


■スタジオシルバー(SILVER)
・1999年設立。「stシルバー」、「スタジオシルバー」とも表記される。
・主にアダルトゲームのアニメーション制作を担当している。近年は作画部門のグロス請けでスタッフが参加することが中心であったが、2018年には伊集院いづろ氏がキャラクターデザインとして選ばれた。
・セブン・アークスとの繋がりがあり、『魔法少女リリカルなのは』シリーズや『WHITE ALBUM』、『セキレイ2期第0話』などではシルバーのアニメーターが多数参加している話数は非常に見所。
・所属アニメーターが非常に豪華な事でも有名。近年はメンバーに若手のアニメーターも増えている。

1st所属アニメタ:奥田泰弘佐々木政勝松竹徳幸山本浩憲吉成鋼
2st所属アニメタ:守岡英行、伊藤浩
3st所属アニメタ:磯野智、櫻井祐哉、小堤悠香、苗木陽子、栗原美樹
所属アニメタ:田中佑季、後藤京志郎、安岡連斗、河西睦月、松永颯太、右田愛
輩出アニメタ:伊集院いづろ、山崎玲愛、晶貴孝二


■スタジオZ
・70年代~80年代の活躍で名を馳せた作画スタジオ。金田伊功の在籍していたスタジオとしても有名。
・初代とZ5を除くスタジオの系譜には諸説ある。
・Z5解散以降長きにわたって系譜の途切れたスタジオだったが、2014年1月26日付で亀垣一、飯島正勝、鍋島修、平山智、飯島由紀子の5名の立ち会いのもと、佐藤千春が6代目代表として受け継いだ。
 それに伴い、金田伊功の作画資料の保存を目的とした法人「金田伊功ARCHIVE」を設立した。レイアウト、原画、タイムシート等金田氏の資料の所在に心当たりのある方はstudioz-officialページよりご連絡されたし。
・下記はスタジオZに関連するアニメスタジオ。

■■初代スタジオZ
・1971年に荒木伸吾が自宅の2階(後に練馬のマンションに移転)を使って作画グループの作業場(初代スタジオZ)を作ったのが設立のきっかけ。(アニメージュ1979年7月号より)
 この時期に『正義を愛する者 月光仮面』『魔法使いチャッピー』等の制作に参加した。(同上)
・新人時代の金田伊功は、同期の布告文の誘いで東映動画から初代Zに移籍し(動画王vol.1より)、荒木に師事した。
・絵本の挿絵画家として活動していた貞光紳也(金田と布の専門同期で友人)も初代Zに出入りするようになり、後にメンバーとなった。
・後に金田達と共に改めてスタジオZを結成する富沢和雄は、当初制作進行のアルバイトとして初代Zで働いていた。(スパロボアニメ支援イラスト集「スパロボでGo!Go!」より)
・1973年春に荒木は初代Zを後にして『キューティーハニー』のキャラ設定を手掛ける。(アニメージュ1979年7月号より)
・「まんだらけZENBU41号」のアベ正己インタビューによれば、先述の荒木の脱退、『ど根性ガエル』のような作品への参加を希望していたアベと、新人の富沢和雄の両氏によるグループ、金田、貞光の両氏が動画工房へ移籍といった形で、3つに分かれる形で初代スタジオZは解散したとのこと。
・「スパロボでGo!Go!」掲載の富沢によるエッセイにも“「キューティーハニー」の放送開始前、金田くんが数点キャラを描いていたと思いますが―――見たいですネ。
 それで初期スタジオZは終わりを告げ、小生たちは冒険の海へ飛び出していく訳です…!!”とある。

関連アニメタ:荒木伸吾、アベ正己(安部正巳)、神宮慧(神宮さとし)、布告文、中村清、金田伊功、貞光紳也、富沢和雄

■■スタジオNo.1(旧)
・『ミクロイドS』『ドロロンえん魔くん』辺りの時期に野田卓雄と生頼(おうらい)昭憲が、東映動画より独立して設立したスタジオ。(まんだらけZENBU No.52より)
・東映動画の争議やロックアウトの余波で、東映社内で仕事がし辛い雰囲気が出来ていたことが独立の一因である模様。(同上)
 労働争議に関しては、「WEBアニメスタイル アニメーション思い出がたり[五味洋子] その42」に当時の状況が記されている。
・スタジオ名の由来は、設立者の野田と生頼(おうらい)のそれぞれの頭文字NとOの組み合わせである。(同上)
・生頼が絵コンテ、演出を、野田が作画を担当。東映から移籍した新人も原画を担当し、野田がその作監も担当するという役割分担だった。(同上)
・ハウスネームに『大空魔竜ガイキング』『一休さん』で使用された「南波一」がある。No.1(新)でも野田や越智一裕がペンネームとして使用した。

・『えん魔くん』(1973年10頃)の辺り、野田が金田伊功、貞光紳也に動画を依頼。『ゲッターロボ』からは金田が原画も担当するようになる。(まんが映画家@越智一裕のblog 2009/08/11付の記事より)
・『ゲッターロボG』の最終回辺りもしくは『ガイキング』辺りからは、野田、金田の両氏が2人で一本の作品をほぼ半分づつ描くという形で作画が進められた。(「今だから語れる70年代アニメ秘話~テレビまんがの時代~」より)
・この時期の金田作画に関して“金田くん自身のなかでも、ドンドン才能があふれてきた時期じゃないですかね”と野田がコメントしている。(同上)
・『惑星ロボ ダンガードA』参加後、金田、貞光、鍋島修、飯島正勝が独立。
 『ガイキング』で金田の動画を担当した平野俊弘(後にビーボォーの前身へと移籍)はNo.1(旧)に残留した。
・金田達の独立後には動画マンとして高橋朝雄が加入している。

関連アニメタ:野田卓雄、生頼昭憲、田代和男、小林義輝、小湊昇、飯岡真理子、成川裕子、金田伊功、貞光紳也、田辺由憲、鍋島修、飯島正勝、平野俊貴(平野俊弘)高橋朝雄

■■スタジオZ
・1977年の5月ごろに結成。代表は富沢和雄。(ランデヴー第6号 スタジオZ突撃インタビューより)
・各メンバーが元々の所属スタジオを離れフリーになる予定の時期が重なったため、
 これを機会にまとまって好き勝手にやろうと考えたのが設立のきっかけとのこと。(同上)
・設立メンバーの中に初代スタジオZのメンバーが多く居たため、スタジオ名を“スタジオZ”とした。(同上)
・概ねこのスタジオZが2代目もしくは3代目とされる。
・ファンの間で単に「スタジオZ」と呼称されている場合はこのスタジオZのことを指す場合が多い。

・『無敵超人ザンボット3』『無敵鋼人ダイターン3』でのグロス回では、アニメファン強烈な印象を残した。この2作の金田伊功の作画には業界人にも根強いファンが多い。
・結城信輝が「WEBアニメスタイル もっとアニメを観よう 第11回 結城信輝・千羽由利子対談」で当時のスタジオZの作画について語っている。
・『ダイターン』の12話では、初めて(作画では)一切の外注をせずに全ての原動画をスタジオZが担当した。(ランデヴー第6号 スタジオZ突撃インタビューより)
・78年当時はスタジオの中に机が無いメンバーも含めると10数名が在籍。女性のスタッフも4人ほど籍を置いていたそう。(同上)
 スタジオ内には、富沢、金田、貞光伸也、内山正幸、長崎重信、亀垣一、平山智、佐藤(美代子)、杉村(季見子)が席を置いていた。(同上)
・78年頃は富沢、金田、長崎、貞光、鍋島、飯島が『ダイターン』、内山が布告文と共に『SF西遊記スタージンガー』を担当(後にラストハウスとして独立)するといった体制がとられている。
 富沢は同時期に『家なき子』や『宝島』といった東京ムービーの制作作品にも参加した。
・「月刊OUT1978年9月30日号増刊 ランデヴー第6号」に特集記事「スタジオZ突撃インタビュー」が掲載されている。取材は伊藤秀明と氷川竜介によるもの。
 恐らくこの記事がアニメ関係の書籍で金田伊功とその仕事を紹介した最初のものになると思われる。(氷川竜介ブログより)

・『機動戦士ガンダム』の11話以降のスタジオZグロス回は作監として富沢和雄(大泉学)がクレジットされているが実際には作画監督は不在だった。
(機動戦士ガンダム公式Web STAFF思い出コメントより)
・結成から2年後に解散。(金田伊功Specialより)

関連アニメタ:富沢和雄、金田伊功、貞光紳也、内山正幸(白鳥剣)、長崎重信、布告文、鍋島修、飯島正勝、亀垣一平山智、佐藤美代子、杉村季見子、富田邦、久仁茜子、越智一裕

■■ラストハウス
・スタジオZより独立した内山正幸が、井内秀治(内山のタイガープロ時代の同僚)、布告文と共に設立したスタジオ。
 初期の参加作は『SF西遊記スタージンガー』『銀河鉄道999(TV版)』など。
・アニメージュ1981年8月号「スタジオZ5の若き獅子たち」、studioz-officialページのプロフィールでは3代目のスタジオZとされている。
・80年代~90年代にかけては『Dr.スランプ アラレちゃん』『ドラゴンボール』シリーズ、『スーパービックリマン』等の東映動画(東映アニメーション)制作作品を中心に活動した。
・『ドラゴンボールZ』『ドラゴンボールGT』のグロス回はマニアの間ですこぶる評判が悪いが、一部にコアなファンも存在する。
 『ドラゴンボール』シリーズのラストハウス回では小原太一郎、志田直俊といった実力派の原画マンが内山の下で頭角を現した。
・00年代にも三輪和宏をはじめとした優れたアニメーターを輩出している。

関連アニメタ:内山正幸、布告文、井内秀治、川越淳、高梨光夫、増田清美、白須順子、佐藤和香子、片田亜起夫、金田康宏、小原太一郎、門田英彦、三柴直樹、佐野哲郎、鈴木初枝、志田直俊、水梨ひとみ、望月啓史、中村まゆみ、伊東美奈子、清水博明、松田千織、新井洋子、玉井志保、佐伯哲也、末田久子、石原哲、杉本光司、三島利佳、瀬川みずほ、月岡英明、平山宏美、田中裕治、山本智代、三輪和宏、酒井強至

■■スタジオNo.1
・1979年結成。
・スタジオZ解散後にフリーとなった金田伊功班が、野田卓雄の個人事務所となっていたスタジオNo.1に仕事場を間借りする形で合流して結成された。
・「スタジオZ5の若き獅子たち」、studioz-officialページのプロフィール、まんが映画家@越智一裕のblogの2009/4/18付の記事では4代目のスタジオZとされている。
・『太陽の使者 鉄人28号』『六神合体ゴッドマーズ』では鍋島、飯島、越智、山下といった金田の弟子筋が金田調の派手な作画で活躍。
 対して金田本人は80年代初頭より『ヤマトよ永遠に』『さよなら銀河鉄道999』『幻魔大戦』等、次第に活動の主軸を劇場作品に移していく。

・フリーアニメーター集団としての傾向が強く、野田も「あくまで仲間という感じですね。たまたま仕事場が同じということであって、
 決してプロダクションというわけじゃないです。もちろんこの中では、金田くんを中心として仕事も遊びも一緒にやってるというのですけど」と、
 マイアニメ1982年2月号の特集記事でコメントしている。
・プロダクションのようなシステムがないため、原則として新人の採用はしていなかった。(マイアニメ1982年2月号より)
・同じくスタジオZから分派したスタジオZ5との関係は良く、『鉄人』『ゴッドマーズ』『ルパン三世 PARTIII』など共同で担当した作品も多い。
・まんが映画家@越智一裕のblogの2009/05/16付の記事によれば、漫画家の那州雪絵は、
『学園特捜ヒカルオン』辺りの時期、連載の準備をしながらスタジオNo.1に席を置いていた。

関連アニメタ:野田卓雄、金田伊功、貞光紳也、長崎重信、田辺由憲、鍋島修、飯島正勝、松原京子、高橋朝雄、越智一裕、山下将仁、金田牧子、那州雪絵

■■スタジオZ
・前述のスタジオZ(2or3代目)の解散後に設立された富沢和雄主宰のスタジオZ。
・アニメージュ2001年11月号「この人に話を聞きたい第37回 本橋秀之 前編」や「アニメポケットデータ2000」では4代目のスタジオZとされている。
・メンバーは亀垣一と平山智で、後に荒木プロから独立した本橋秀之も加入。当時No.1(新)所属だった金田伊功は在籍していない。(「この人に話を聞きたい第37回 本橋秀之 前編」より)
・本橋の加入の1ヶ月後にこのスタジオZは解散した。(同上)

関連アニメタ:富沢和雄、亀垣一、平山智、本橋秀之

■■スタジオZ5
・4代目とされる富沢和雄主宰のスタジオZの解散後、本橋秀之、亀垣一、平山智が結成。(「この人に話を聞きたい第37回 本橋秀之 前編」より)
・スタジオZ5という名称は荒木伸吾の初代スタジオZから数えて5代目のスタジオという意味である。(同上)
・本橋が荒木伸吾調、平山が杉野昭夫調のキャラクター描写を、亀垣が金田調のアクション、メカニックの描写を得意とした。
 また、初期の仕事では本橋や平山もメカ修正やメカアクションを担当していることがある。
・『宇宙戦士バルディオス』の29話(Z5グロス回)の作画は作品ファンからの人気が非常に高い。
・『六神合体ゴッドマーズ』では本橋がキャラクターデザイン、全話作監を担当し、女性ファンを中心に絶大な支持を得た。

・Z5はフリー集団でありながら新人の採用を行っていた。(アニメーターとして生きる 「作画スタジオ」ってなんだ?より)
・金田伊功がスタジオZ5在籍だったと勘違いされることもあるが、当時金田はスタジオNo.1(後にスタジオのんまると)所属であり、Z5には在籍していない。
・金田を始めとしたNo.1のメンバーとは仕事以外の交流もあり、よくNo.1のメンバーがZ5に出入りしていた。(アニメーターとして生きる 【訃報】 金田伊功さんの思い出 【追悼】より)
・Z5が輩出した人材の中には佐藤千春や渡部圭祐といった金田の影響が色濃いアニメーターも存在した。
・2000年時点では、演出家として西村純二がZ5に席を置いている。(「アニメポケットデータ2000」より)
・2003年、スタジオZ5を改組する形でXEBECの制作スタジオ「XEBEC M2」が設立された。

関連アニメタ:本橋秀之、亀垣一、平山智、中川一郎、伊藤富士子、長屋侑利子(長屋由利子)、佐藤幸一、江山梨恵、長岡康史、奥野元子、佐藤千春、仙波隆綱、細山正樹、今井美和、牟田清司ふくだのりゆき(福田紀之)、菅原なみ子、中山洋子、飯飼一幸西澤晋、大倉雅彦、依田正彦渡部圭祐、大浪太、村上晴美、宮崎なぎさ、中瀬潤、西桜順、鶴田有陵、椛島洋介、森田奈苗、齋藤寛、奥谷周子、清水美友紀、桃原大幸

■■スタジオのんまると
・90年代に金田伊功ら元スタジオNo.1のアニメーターが在籍していたスタジオ。
・『うる星やつら』の途中でNo.1を脱退した山下将仁も、スタジオわんぱたん(80年代中盤~後半にかけて山下が所属)解散後に金田の誘いでスタジオのんまるとに加入している。
(WEBアニメスタイル animator interview 山下将仁より)
・のんまるとの所在地は元々STUDIO4℃が入っていた保谷の民家だった。当時STUDIO4℃のメンバーだった黒沢守は、4℃の引越し後もそのままこの民家に残り、のんまるとの一員となった。
(WEBアニメスタイル β運動の岸辺で[片渕須直] 第56回 色々と再出発より)
・『八神くんの家庭の事情』の3話では黒沢守も含めてスタジオNo.1としてクレジットされている。
・1998年に金田、山下、黒沢が世界初のフル3DCG映画『ファイナルファンタジー』制作のためにハワイのスクウェアUSAに入社。その後のスタジオの動向は不明。
 「アニメポケットデータ2000」の鍋島修の項目の所属スタジオ(2000年時点)にはスタジオのんまるとが記載されている。

関連アニメタ:金田伊功、鍋島修、飯島正勝、松原京子、越智一裕、山下将仁、黒沢守


■スタジオダブ → バンダイナムコピクチャーズいわきスタジオ
・1983年設立。
・福島県いわき市の本社や東京スタジオの他、関連会社に「ソウルダブ」「上海ダブ」「スタジオダブサイゴン」がある。
・以前はサンライズ、XEBECの仕事が中心であったが、現在はサンライズから分社したバンダイナムコピクチャーズや、東映アニメーションがメイン。
・仕事の速さには定評があり、しばしば無茶なローテーションを組まれることも多い。
・その速さ重視の社風の為、その時の状況でクオリティに差が出る。
・テレコムなどと同様に早い段階からペンタブレットによるデジタル作画を取り入れており、
 クレジット上では2005年の時点で全ての原画をデジタル原画で描かれていた作品もあるようである。現在は全ての原画・動画をタブレットで描いている。
・2019年10月よりバンダイナムコピクチャーズへの経営権譲渡のため「バンダイナムコピクチャーズいわきスタジオ」になった。*。吸収合併ではないため社名含めて会社としてはそのまま残ってる模様。

所属アニメタ:佐久間信一榎本勝紀高橋晃、和田喜彰、藤井芳徳、田中希果、中澤あこ、川島太郎、曽根悠貴、小宮山弥生、遠藤香、志賀祐香
輩出アニメタ:古泉浩司(在籍中に逝去)、西村誠芳阿部美佐緒、太田克己(高山瑞穂)、山口晋津幡佳明伊東伸高佐光幸恵、橋本英樹、南義昭外崎春雄赤尾良太郎、冨永和代、斉藤玲子、石川てつや西尾公伯原将治小野和寛前田清明松井章稲留和美、川久保圭史、佐藤利幸、林直孝、小栗さつき、児玉亮、高原修司、佐々木文恵、武市直子、野澤吉樹、芳賀さより、吉岡彩、河村涼子、菊田史子


■スタジオ地図
・2011年4月設立、細田守作品専門スタジオ
・会社の事業内容からジブリ同様劇場制作に特化していると思われる。

所属アニメタ:細田守、山下高明、青山浩行、尾崎和孝、濱田高行


■スタジオ鐘夢
・1987年2月1日、『赤い光弾ジリオン』制作のために石川光久が結成したタツノコ制作分室を間借りする形で結成。スタジオ名は「ちゃいむ」と読む。
・似た名前のスタジオに「スタジオ童夢」「スタジオ待夢」があるが、別の団体である。
・タツノコ制作分室を間借りする形ではあったが、タツノコプロとはまったく別個の組織であった。
・『赤い光弾ジリオン』に演出、作画で参加していた他は、『タッチ』『きまぐれオレンジ☆ロード』『エスパー魔美』『めぞん一刻』等のタツノコ制作以外の作品に参加していた。
・1987年12月15日、『ジリオン』制作終了と共に解散予定だったタツノコ制作分室と鐘夢を統合させる形で、有限会社アイジータツノコ(現・Production I.G)が石川光久と後藤によって設立された。*

関連アニメタ:後藤隆幸、数井浩子、小林哲也、四谷光宏、尾関和彦、華房泰堂、武田一也、谷澤泰史


■スタジオドリアン
・押山清高が代表取締役となり、設立した作画スタジオ。
・『フリクリ オルタナ』『フリクリ プログレ』が正式な初仕事となる。
・2019年、押山監督による短編映画『SHISHIGARI』を公開。
・『スタジオドリアン添削室』『アトリエドリアン』といったアニメ制作以外の活動も行っている。

所属アニメタ:押山清高


■スタジオディーン
・1975年設立。創業者はサンライズで仕上げを担当していた長谷川洋。
・歴史と伝統あるスタジオ。輩出したアニメーターや本スタジオでの活躍で名を上げた人物も多い。
・ディーンラインという言葉があるように、ディーン作品のキャラクターデザインは線が少ない物が多い。輩出アニメタ欄を見ればなんとなくわかる。
・制作数は業界トップクラスの大手で、かつては1シーズンに2本以上が常だった。
・設立してからしばらくは仕上げ会社として活動。アニメージュ1984年9月号によれば昭和57(1982)年より作画・演出・仕上げ部門を設けている。
・制作部門立ち上げ後は、『パーマン』『銀河漂流バイファム』『うる星やつら』等をグロス請けで担当。
・制作部門立ち上げ直後はスタジオムサシ(長谷川の兄が社長)とのつながりが強く、ディーンのグロス回をムサシが孫請けすることもあった。
・アニメージュ1984年9月号によれば『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を中心となって制作したことによって、制作スタジオとして一本立ちしたとのこと。
・1980年代~90年代初頭は主にキティ・フィルム作品の実制作やシンエイ動画、サンライズの下請けとして活躍。
 シンエイ作品では『プロゴルファー猿』『美味しんぼ』等、サンライズ作品では『機甲警察メタルジャック』といったディーンが実制作を担当した作品もある。
・1990年代は『逮捕しちゃうぞ』『るろうに剣心』『ハンター×ハンター』等の人気作を手掛けたほか、当時はまだマイナーな存在だった深夜アニメ作品も多数手がけている。
 特に『逮捕~』『るろうに~』のOVA作品は非常に完成度が高い事で知られ、作画的見どころも多い。
・2000年代は幅広い作品を手掛けており、アクション・ラブコメ・SF・美少女もの・ニッチ系などなんでもござれなスタジオだった。
・2010年代は女性向けアニメを中心に制作(薄桜鬼、世界一初恋、昭和元禄落語心中、純情ロマンチカ、ヘタリア等多数)。男性向けでも『この素晴らしい世界に祝福を!』では、金崎監督の起用、菊田幸一のキャラデザが受け、好調なBlu-ray・DVD売上を叩き出した。
・近年では『伊藤潤二「コレクション」』『霊剣山シリーズ』等、それまではほとんど無かった他社へ制作を丸投げする例も出てきているなどかつてほどの体力は無いものと思われる。
・古参だけに横の繋がりが強く、フリーのアニメーターだけでなく声優や作曲家にも強い影響力を持つ。
 大手の中でも雇い入れが少ない難関であり、専門学校などではディーンに受かると大題的に宣伝されるほど有名になれる。
・2023年現在は所属アニメーターが他社作品に参加することがよくある。

所属アニメタ:河南正昭、石原恵(治)、石川洋一、清水博明、水村良男、森本浩文、田頭しのぶ
関連アニメタ:中嶋敦子わたなべひろし岡真里子、岡戸智凱、斎藤哲人、小島正士、数井浩子、なかじまちゅうじ西田亜沙子番由紀子、江森真理子、菊地洋子、中山岳洋、堀越久美子、ウクレレ善似郎佐々木政勝、阿部卓司、松本憲生沼田誠也坂井久太、門智昭、松島晃外崎春雄萩原弘光菊田幸一下谷智之前田明寿、金崎貴臣、吉川知希、高橋しんや村田俊治
輩出アニメタ:やまざきかずお、叶内孝行、古橋一浩、青木康直、平田智浩、富田悦子、岩永しのぶ、藤川太、門脇孝一、武田和久、関原美奈子、小須田ひろみ、一ノ瀬美鈴、佐藤祐一、川嶋明、米田宏、丹澤学、西島克彦、大久保政雄、三枝直、都築真、荒木英樹、大森貴弘、飯島傑、金子勝典、松竹徳幸鈴木博文奥田泰弘藤井まき小泉初栄、尾尻進矢、小坂知、平馬浩司、森下昇吾、大河原烈、土屋圭、田畑壽之、富田浩章、中野圭哉山田歩、小野可奈子、浅利歩惟、本吉晃子、杉田柊、菅原裕幸、澁川大祐、豊田涼


■スタジオバインド
・『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』のアニメ化にあたり、企画を継続的に進行する体制を設ける為、アニメ制作会社のWHITE FOXとアニメプロデュース会社のEGG FIRMが共同出資し、2018年11月に設立した。
・『ヤマノススメ』でアニメーションプロデューサーを務めた大友寿也が代表取締役に就任し、そのカリスマ性で各所の優秀なアニメーターを集めている。
・2023年3月、本社を東京都杉並区荻窪5丁目26番13号 Daiwa荻窪ビル3階に移転した。同階の隣にはCloverWorks荻窪スタジオが運営している。
・制作実績は『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~』『お兄ちゃんはおしまい!』の2作品とまだ少数だが良質なアニメーションを手掛けている。
・最新作は『無職転生 ~異世界行ったら本気出す~(第2期)』

所属アニメタ:邱家和、新井はるか、和久田晃弘
関連アニメタ:平野宏樹、藤井慎吾今村亮濱口明、みやち、島本勇太、萩尾圭太、西野佳佑、田中彩、勝谷遥、中村倫子、反田誠二、世良公太、榊原大河、重原克也、菊池有騎、力徳欽也、内山玄基重次創汰田中宏紀佐藤利幸三宮昌太、みとん、Kay Yu、西谷衆平、中井杏、太田悌記、二宮奈那子、町野倫大、フクロウP、わた、秋山泰彦TOMATO、西原大樹、黒崎隼人、ヘイン、沖浅利、髙橋瑞紀、孫弘志、滝本賢児、大田和寛、谷口繁則、五十子忍
元関連アニメタ:高嶋宏之、杉山和隆松隈勇樹、吉田亘良、彭佩琦、山﨑匠馬


■スタジオぱっく
・かつて存在したアニメ制作会社。メンバーには元ビーボォー所属のアニメーターが多い。
・80年台後半に『機動戦士Ζガンダム』、『機動戦士ガンダムΖΖ』や、AICのOVA作品群で活躍。
・1984年秋に有限会社スタジオぱっくとして設立。社長はビーボォーから同年9月に独立した北爪宏幸。
・設立して間もない1985年に北爪を中心として『機動戦士Ζガンダム』でメインの作画スタッフを務めた。
・『機動戦士ガンダムΖΖ』開始時のメンバーは北爪宏幸、わたなべぢゅんいち、仲盛文、越智博之、岩滝智、恩田尚之と、山田浩之、山田真史兄弟に、当時AIC出向中の本猪木浩明(大上浩明)を加えた9人。(B-CLUB4号より)
・北爪がキャラクターデザインを務めた『機動戦士ガンダムΖΖ』の制作時に、ビーボォーから数多くのアニメーターが、ぱっくへと移籍。同年、山田兄弟と本猪木は、ぱっくからスタジオ夢民へと移籍。

関連アニメタ:北爪宏幸、わたなべぢゅんいち(渡邊淳一、渡辺淳一)、仲盛文越智博之、宮原隆男、もといぎひろあき(本猪木浩明、大上浩明)岩瀧智(岩滝智)恩田尚之、山田浩之、山田真史、大森英敏(金剛寺弾)、ところともかず(所知一、所智一)、宇佐美皓一山下明彦小曽根正美(水田麻里)さとうけいいち(佐藤敬一、室井聖人)山形厚史

■■アトリエ戯雅
・1987年3月、スタジオぱっくが社名をアトリエ戯雅と変更し株式会社化。同年3月12日には設立祝賀会が行われた。
・設立時のメンバーは、北爪宏幸、大森英敏、恩田尚之、わたなべぢゅんいち、ところともかず、宇佐美皓一、仲盛文、越智博之、岩滝智 、山下明彦、小曽根正美、さとうけいいち、山形厚史、高橋陽子に、当時新入社員の小黒晃、後藤圭二、中落功一、中澤欽哉、永谷恒二を合わせた19人。(アニメージュ1987年5月号より)
・大森英敏、山下明彦は第2スタジオにて新入社員の指導にあたった。
・80年代当時、スタジオMINなどの若手のフリーアニメーター集団が数多く存在したが、若手だけで株式会社を運営するという試みは他に例がなかった。
・アニメージュ1987年5月号にて設立当時のアトリエ戯雅の特集記事が組まれている。
・諸事情により戯雅は程なくして解散。元請けとして制作した作品は『レリックアーマーLEGACIAM』のみ。
・戯雅としては元請けの『LEGACIAM』以外にも、『機甲戦記ドラグナー』、『ブラックマジックM-66』、『プロゴルファー猿』(ぱっく時代から引き続き参加)などの作品に作画として参加している。
・戯雅としての活動期間は短かったが、オグロアキラ(小黒晃)、後藤圭二、本田雄といったアニメーターを輩出している。
・戯雅解散後のスタッフは、主にAICやプロジェクトチーム・ムー(後のフェニックス・エンタテインメント)に活動の場を移した。
・アダルトアニメ『超神伝説うろつき童子』シリーズは代表作の一つ。

関連アニメタ:北爪宏幸大森英敏(金剛寺弾)恩田尚之、わたなべぢゅんいち(渡邊淳一、渡辺淳一)、ところともかず(所知一、所智一)、宇佐美皓一仲盛文越智博之岩瀧智(岩滝智)山下明彦小曽根正美(水田麻里)さとうけいいち(佐藤敬一、室井聖人)山形厚史、高橋陽子、オグロアキラ(小黒晃)後藤圭二(佐原亜湖)、中落功一、中澤欽哉、永谷恒二、本田雄、内智昭(門智昭?)、岡村正弘


■スタジオパストラル
・ジャパンヴィステック、アクタスの制作出身である菅野雄二が2004年に設立。
・シャフトとの関わりが強く、2000年代後半のシャフト作品には必ずと言っていいほどグロス参加していたが、
 パストラルが現場として制作していた『劇場版 魔法先生ネギま! ANIME FINAL』でスケジュール崩壊を起こした。
 シャフトや有力アニメ会社の協力を得ながらも結局一部未完成のまま公開。それ以降シャフトとの関係は途絶えている。
・その後はAICやXEBECを取引先とし、2023年現在はJ.C.STFF鈴木班、スタジオエルからのグロス請けが中心。
・「スタジオパストラル」「パストラル」「stパストラル」の名義で表記され、法人ペンネームとして田園 太郎、田園 幸望を使用することもある。

所属アニメタ:森義博、山内則康、鈴木捺世、服部一郎、牧鮎未、山田朝日
元関連アニメタ:大森英敏、小林利充、中澤勇一、実原登、前田達之、岩永遼太、木下由美子、猿渡聖加
輩出アニメタ:山村洋貴、古川英樹、大久保修、牛島希、小澤和則、井手上義英、石原直也、茂木眞一、左近充杏華


■スタジオ・ブーメラン
・戸澤稔氏が設立した作画下請け会社。
・トムス・エンタテインメントの作品のグロス請けが主。
・歴史は長く『魔法の天使クリィミーマミ』からグロス請けをしており、『フランダースの犬 ぼくのパトラッシュ』『疾風!アイアンリーガー』『とっとこハム太郎』等を数多くのアニメのグロスを請けてきた。
・現在は『名探偵コナン』のグロス請けが中心。2010年以降は深夜アニメ作品に関わることは少ない。
・戸澤氏は代表取締役社長ではあるが、原画として参加することもある。

所属アニメタ:大原淳、柏原英里花、濱啓之、北山創基、久木理恵、髙橋ひとみ、川崎真穂、瀬戸優貴、黒沢裕一、戸澤稔、谷口昌彦、長田秀明
輩出アニメタ:赤尾良太郎、増永麗、鵜池一馬、阿部望、広中千恵美


■スタジオへらくれす
・略称「へらスタ」。「スタへら」ではない、決して。
・制作会社ではなく、フリーのアニメーターの集団。
・結成時のメンバーは渡部圭祐、石野聡、山田誠の3人。(HISTORY OF HERCULES Vol.14より)
・所属しているアニメーターは全員業界でも随一の実力を持つ。全員が揃うことはかなり稀。
・彼らが原画に居る回はそれだけで作画回を意味する。OPやバンクなどに登用されることも多い。
・現在のメンバーでコミックマーケットに長年参加しており、彼らが参加した作品の原画集を拝むことが出来る。

所属アニメタ:渡部圭祐石野聡木崎文智大塚健斉藤久千葉道徳深澤学(ふかざわまなぶ)小船井充
輩出アニメタ:山田誠紺野直幸、石川慎亮


■スタジオMIN
・1982年秋に結成されたフリーアニメーター集団。1991年に解散。
・当時内田順久が結成した「スタジオMAX」を意識して「スタジオMIN」と命名されたのだそう。
・メンバーには、元々ネオメディアに在籍していたアニメーターが多い。
・北久保弘之曰く、森山雄治と北久保が共同の仕事場を借りようとしたところに、後乗りで田村英樹、福島喜晴、市川吉幸が参加したことが結成の経緯とのこと。*
・若手時代の磯野智もスタジオMINのメンバーの一人であった。後に川名久美子、二村秀樹、結城信輝、森川定美らもメンバーとして加わった。
・東京に家がなかった時期の庵野秀明がスタジオMINに居候していたことがある。
・森山が北久保との思い出として、スタジオ(恐らくスタジオMIN)が新築マンションに引っ越しした時、
 パーティ用のスプレーで北久保が壁一面にラムちゃんを描きだしたが、スプレーが壁にくっついて剥がれず、
 北久保が雑貨屋で剥離剤を買ってきて無理やり剥がしたというエピソードを挙げている。(アニメージュ1995年10月号より)
・当時のファンの間でも人気が高いスタジオディーン制作期の『うる星やつら』の森山作監回にはMINや元ネオメディアのメンバーが参加することが多かった。
・フリーアニメーター集団であったため、メンバー個々人での活動が多かったが、
 森山がメインスタッフとして関わった『うる星やつら3 リメンバー・マイ・ラブ』や、『プロジェクトA子』シリーズ、『めぞん一刻 完結篇』にはMINのメンバーが多数参加していた。

関連アニメタ:もりやまゆうじ(森山雄治、森山ゆうじ)福島喜晴田村英樹北久保弘之、市川吉幸、川名久美子磯野智、二村秀樹、結城信輝、森川定美


■スタジオ4℃
・1986年設立
・読み方は「すたじお よんどしー」
・アーティスティックで独特な作画のアニメを制作する(マインドゲーム、鉄コン筋クリート、Genius Praty等)。それ故、TVシリーズで名前を見かけることは稀。

所属アニメタ:二村秀樹、西見祥二郎、芦野芳晴、清水保行、千葉ゆみ、田中孝弘
関連アニメーター:森本晃司、福島敦子、田中達之、青木康浩、久保まさひこ、伊東伸高、黒沢守、浦谷千恵、中山大輔、野村和也


■スタジオライブ
・1976年7月17日設立。元々は有限会社であったが1994年に株式会社化。虫プロに所属していた芦田豊雄らが、虫プロ倒産後に有志で結成したグループ「換気船」「もどきプロ」がその前身となっている。
・初代社長の故・芦田豊雄はJAniCA(日本アニメーター・演出協会)の発起人の一人。現在は、長年ライブでチーフアニメーターを務めた神志那弘志が社長を継いでいる。
・サムシング吉松の所属スタジオ。キャラクターデザイナー経験者が非常に多い。
・代表作は『銀河漂流バイファム』、『魔神英雄伝ワタル』シリーズ、『魔動王グランゾート』、『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』、『空想科学世界ガリバーボーイ』など。女性のファンも多い。
・『魔法のプリンセス ミンキーモモ』、『ハイスクール!奇面組』などの作品で担当したグロス回はファンからの人気が高い。
・元請けから制作を担当した作品に『成恵の世界』、『変身3部作』、『グレネーダー ほほえみの閃士』、『BLACK BLOOD BROTHERS』がある。(他社との共同制作を含む)
・ライブ所属のアニメーターがキャラクターデザインを担当する際、社内の複数のアニメーターでチームを組みキャラクターデザインを分業する体制がとられることが多かった。
『超獣機神ダンクーガ』などのキャラクターデザインを担当した「いんどり小屋」や、『魔神英雄伝ワタル』のゲストキャラデザインなどを担当した「まんどりるくらぶ」がこれにあたる。(メンバーは作品ごとに変わる模様)
日テレ版『HUNTER×HUNTER』でも「いんどり牧場」として複数のアニメーターがキャラクターデザインを共作した。(ライブ在籍者以外がメンバーとして参加することもある)
・『美少女戦士セーラームーン』の21話(ライブグロス回)にはスタジオライブをモチーフにしたアニメスタジオ「スタジオダイブ」や、
 松下浩美、只野和子夫妻をもじった松野浩美、只下和子というゲストキャラが登場した。
・演出家としては、竹下健一が籍を置いている。西村聡をはじめ、アニメーターから演出や絵コンテマンに転向したメンバーも多く在籍している。
・コクピットと同様に近年戦力が他社へ散っているため主力が集まることは稀。
・玉川達文が自身のブログで『アイドルマスター XENOGLOSSIA』当時の若手を解説している。是非。
・公式のニコニコチャンネル(スタジオ・ライブ☆チャンネル)があり、定期的に生放送を行っている。

所属アニメタ:神志那弘志山内則康吉松孝博、藤沢俊幸、西村聡、竹内浩志、宮司好文、工藤誉寿治、菅野利之、福士真由美、石渡清美、大島美和、江夏由結、原将治、高橋美香、平山貴章、湯川純、板岡錦吉川博明、真壁誠、石井舞、中野繭子、博多正寿、森智子、鈴木理彩、唐澤雄一、田中沙希、中島絵理、牧内もも子、川口百合恵(河口千恵)、若狭賢史、坂口実穂、宮島彩、久保山誠士、関口紫織、河野俊希、ノノセ亜里音、鈴木希穂、松本明子
輩出アニメタ:芦田豊雄(在籍中に逝去)、海老沢幸男、白土理徳、楠田悟、野館誠一、酒井明雄、望月敬一郎、野田拓実、谷田部雄次、宍倉敏、高島鉄雄、豊里勝彦、木口準、丸山政次、わたなべひろし、長谷川桂子、新留俊哉、西島克彦松下浩美、只野和子、齊藤格、臼井孝二、斉藤純一郎、宮嶋堅、近永早苗(小林早苗)、近永健一、松村靖之、戸倉紀元、平岡正幸、相田和彦、矢野淳とみながまり、下坂英男、上杉恵美子、和田浩一、西川秀明(まみやこまし)、飯田倫也、宮本淳子、三浦辰夫、上野宏治、蛭間大介、山根宰、牛来隆行、吉原正行青木康浩井上英紀、菊池愛、倉田綾子、諏訪可奈恵、井ノ上ユウ子(井上優子)、青山孝、谷藤朋子、井上邦彦、阿部達也、岡真里子、佐野恵子、中島健志、木村友美、小泉初栄薮本陽輔吉田大輔、吾郷絵美、堺美和、山口真未、竹内杏子、長町英樹、林祐一郎、倉狩真吾、小野田将人、寺尾洋之、矢野和彦、佐野勝、早川加寿子、渡辺敦子、中村諒子、永田亜美、滝澤初美、佐藤智子、渚美帆、佐野誉幸、丹波未樹、馬場証一、杉田建、山田睦、稲垣宏


■スタジオワンパック
・1993年設立。
・関西の作画スタジオで一時期は100人を越す規模だったこともある、輩出したアニメーターも多い。
・発足時のメンバーにはプロジェクトチーム・ムー(ムーフィルム)大阪スタジオ(スタジオムーとは異なる)に在籍していたアニメーターが多い。
・某社には「ワンパックは全修」との張り紙があるほど、グロス時の低調な作画で有名だった。
・一時期はA-Line、サンシャイン、神楽などの作画グロスを中心に頑張っていた。
・過去には第二作画部、朱雀班、山崎班が存在し原画マンを振り分けていた。
・2006年前後からAIC宝塚、サテライト大阪、バンビーノと立て続けにスタッフが引き抜かれた。その後しばらくAICとサテライトからは仕事を請けなくなっていた。スタジオトイボックスは分家にあたる。
・2008年の黒塚においてはその年の新人(宮井加奈)が作監をするという出来事もあった(動画マンとしてスタート後わずか半年程度とみられる)。
・2018年1月2日に代表の山田浩嗣が死去。解散まで法人化はされず、あくまで山田が率いるアニメーターの仕事場であったことから、2月28日をもってスタジオを解散することとなった。

輩出アニメタ:山田浩嗣(在籍中に逝去)、石川慎亮、中井準鷲北恭太番由紀子、石田啓一、藤本篤史、別所正直、河野安弘、ハネダヒロシ、牧瀬良裕、 加藤文、名和誉弘、日高真由美、池下博紀、山本善哉、岡田武士、松尾聡美、 本家裕実子、日下部有実、酒井康文、岡本秀康、木下陽方、有澤寛、松川哲也、岡崎伸浩、清水貴子、丸岡功治、西川佳広、桂佳子、石原彩子、荻原康浩、笹原武史、石田賢治、金田康秀、加賀谷次朗、翁ちはる、松浦剛至、谷口伸一、岩崎光洋(イワサキ)、井元一彰、福住崇志、齊藤緑、藤田雄己、寺野勇樹、横峯克昌、足高秀典、金澤英美、甘利高史、中武英雄、金島由衣、中嶌美恵、神山裕子、小島美穂、井上恵美、榊原智次、藤田麗子、佐々木宏、内田孝行、大艸夏美、大倉佑介、大澤和宏、下鶴翼、矢野雄大、大本朋香、杉生祐一、岡島千代、田中梨絵、山口紘子、岡田真奈、谷口健太(ビート)、山田千城、菓子野新一、富家真弓、和田昌子、若野哲也、中村佳史、片山義昭、坂本龍典、仁田野圭介、西川貴史、浅田英一、向井優子、諸正麻実、岩本貴玲、澤田貴秋、河本ひろみ、東野貴臣、中村美幸、上田橋諒子、扇多恵子、間宮幸江、山崎正和、佐藤天昭、小島美穂、谷川亮介、山口昌悟、山村俊了、久保田麻友、吉田真、香川知子、木村興陽、玉置典彦(モエモエ)、荒木裕治、木内千鶴、谷口純基、岡崎玲旺奈、小林美里、寺山晃平、柏純志、田井彰人、荷川取量耶、柿木信人、武田亮、橋本友樹、次橋有紀、石井ゆみこ、池田智美、池田広明、簾畑由実、熊田亜輝、山内亜紀、新子太一、岩田芳美、杉浦圭一、林奈緒子、本多みゆき、山田香央里、岩田紘明、斎藤弘樹、牛ノ濱由惟、江戸春馬、北野久美子、楠木智子、たなかみほ、萩原正人、船越麻友美、星野玲香、松木泰憲、宮井加奈、森下智恵、吉井碧、和泉志郎 、今田茜、室山祥子、早瀬真紀子、逢坂望美、木下由衣、阪本望実、高橋みき、竹本佳子、松浦大樹、岸寛毅、倉谷亮多(DELF)、白石創太郎、曽我部智紗、釣船一美、中重俊祐、中曽根詩織、中谷未樹、西谷駿、野中美希、山田俊太郎、鷲尾侑紀、梶原悠里、川崎沙瑛、久保田美沙、柴田知波、関崎昌也、高良祐里、田中千皓、糠野智加、馬場可奈子、平田彰子、福島陽子、南原孝衣子、山田将司、湯本紗也可、秋泰介、大西麻衣子、高力大地、小牧容子、西道拓哉、佐々木綾、島亜里紗、背戸亜味、高井誠太郎、田原寛之、田中歩美、栃谷早紀、名越淳、新見ちひろ、野崎彩加、藤林美咲、本田毬子、眞鍋和宏、三谷高史、山田まさし、吉田早貴、髙木啓明、松井京介、山田佳奈莉、山本貴則、岩井志菜、槌谷凌雲、中俣由貴乃、橋本コウヘイ、藤原健太、阿部咲夜、石本紗綺、伊藤弘樹、井上翔太、入江充、小田早織、金田菜々美、寒川顕一、北川知子、北村由佳、久保唯奈、小林陽奈、久間みらい、小村柚葉、坂本美樹、鷺島優香、佐藤瞬、瀬川とも子、田中ゆきの、田中美砂、芝軒侑人、畑敦也、花澤友梨、藤本航己、坊農歩実、松尾俊亮、宮崎公輝、宮澤菜緒、村上依理菜、山岡聖、山下世里香、寺本彰、昌山愛、泉尾壮亮、大垣裕基、酒井悠樹、仲座寛世、松本健利、森岡優博、吉澤洸二、青木香菜、内田有紀、白澤佑佳、高橋万帆、鶴田愛香


■スタジオゑびす
・1989年6月28日設立。舛成孝二をはじめとした国際アニメーション研究所の出身者を中心に結成されたフリー集団。
・最初期のメンバーは岸田隆宏、菅沼栄治、松原秀典、大河原晴男、竹内敦志、吉田英俊、岩田幸大、石倉敬一、舛成孝二の9人。
・実力派のアニメーターが揃っており、結成当時(若手時代)から高い作画力を誇った。
・初期の代表作に『NG騎士ラムネ&40』『機動警察パトレイバー the Movie』『バブルガムクライシス8 SCOOP CHASE』などがある。
・結成以前からAICのOVA作品や、『夢次元ハンターファンドラPartII デッドランダー編』、『マシンロボクロノスの大逆襲』や『闘将!!拉麺男』のスタジオルック回など、一部のメンバーがまとまって参加している作品が存在する。
・OVA『ジョジョの奇妙な冒険』旧3話(10話)は必見。
・初期の舛成孝二演出、監督作品にはメンバーがまとまって参加していることも多い。
・石浜真史曰く「いや、なんかゑびすの人って全般的に基準違うんですもん。大変って部分を、やって当たり前っていう人ばっかですからね。死ぬほど大変なことを」(漫画版R.O.D2巻巻末の座談会より)
・季刊エス2005年10月号 アニメ原画の世界第6回かみちゅにおいて、舛成が「今ここに入っている若い連中(竹内哲也、藪野浩二など)は、鈴木博文、都留稔幸(『NARUTOのOP演出』)、僕のグループで奪い合ってるんです。僕ら同じスタジオでして」と発言している。
 上記の発言中のスタジオがゑびすのことを指しているかどうかは不明だが、鈴木、都留の両氏はスタジオゑびす関連の作品に参加することも多かった。
(「アニメポケットデータ2000」によれば、2000年時点での都留の所属スタジオはゑびすとなっている。)
・『ふしぎの海のナディア』『おたくのビデオ』の終了後、GAINAXを一時期離れた本田雄がゑびすの席を借りていた時期がある。
・現在は解散している模様。*

元関連アニメタ:岸田隆宏菅沼栄治松原秀典大河原晴男竹内敦志竹内志保、吉田英俊、岩田幸大、石倉敬一、舛成孝二、都留稔幸鈴木博文合田浩章本田雄




■ステイプルエンタテインメント(Staple Entertainment)
・2020年2月、フッズエンタテインメントで制作プロデューサーを務めた植田慎也がフッズの所在地に設立。これに伴い、フッズの活動が停止した。
・元々フッズで活動していたアニメーターをそのままに、他ゆめ太カンパニーのアニメーターである関崎高明が中心的に活動している。
・異世界を舞台とするアニメを手掛ける傾向にある。

所属アニメタ:山崎千絵、磯部信人、阿部文雅、小野将、森田さくら、林りこ
関連アニメタ:直谷たかし、立石聖、関崎高明、小美戸幸代、大塚八愛、扇多恵子、小林利充、青野厚司、森悦史、吉岡勝、中林蘭子、古俣拓磨、冨樫彩菜、中曽根詩織、奥野浩行、河村涼子、川上泰斗、粉川剛、小松温、池田佳織、高井浩一、今野博司、小澤和則、佐々木文恵、飯飼一幸、南伸一郎、岡田雅人
輩出アニメタ:飛田裕基、藤田宇円


■スノードロップ
・2011年10月24日設立。
・AIC宝塚の閉鎖に伴い、同スタジオの主力アニメーターである日下部智津子とAICデジタルの福家日左夫を中心に設立したアニメ制作会社。代表は福家。同じく兵庫県に本社がある。
・アナログ作画のみではなくデジタル作画にも注力しているとのこと。
・作画、仕上げを部門として持っており、パートグロスや1話まるまるの作画グロスを請け負うことも。
・『やがて君になる』第7話ではすべてデジタル作画(主にCLIP STUDIO)で行ったとのこと。

所属アニメタ:日下部智津子、安藤昂輝、栗原裕明、佐伯直実、境隼人、鳥井聖美、中野友貴、松林志穂美、森下愛美、原野奈津子、伍々葵、辻本健太、眞倉朱里、元木万那未、髙宮平、小林里菜、佐々木輝星、中務汐梨
輩出アニメタ:森本翼、高田浩美、本谷愛、大津りか


■ゼクシズ(ZEXCS)
・J.C.STAFFのプロデューサーを務めた川﨑とも子が1998年1月に設立。
・あらゆる方向に挑戦的な作画でやや硬派な作品を制作する傾向にある。
・2015年9月に本社をfeel.とAssez Finaud Fabric.が入居しているパピルスプラザ501に移転した関係により、同社元請作品をその2社の協力のもと、制作することがある。

所属アニメタ:新田靖成、松本翔吾、大久保麻衣、落合祥、細間菜瑠、廣澤治嘉、堀尾鉱
関連アニメタ:酒井智史、光田史亮、島沢ノリコ
輩出アニメタ:忍田雄介、村田陽祐


■ゼロジー(ZERO-G)
・前身のゼロ・G・ルームから再分離によって設立。設立当初の代表はねぎしひろし。
・その後、元AICのプロデューサーであった先川幸矢が代表取締役に就任。
・『バッテリー』にて初の元請けを開始。最新作は『ぼくらのよあけ』。
・作画的にはスケジュール管理が甘いためか『バッテリー』『DIVE!!』では低調なアニメーションが続く回が多く、作画監督を4~7人投入する回が常にあるという状況だった。

所属アニメタ:草間英興、中原清隆、山下敏成、越智博之、横田和彦
関連アニメタ:植田洋一、桜井正明、谷津美弥子、山根理宏、小川浩、名村英敏
ゼロ・G・ルーム輩出アニメタ:松尾慎、斉藤卓也

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最終更新:2024年04月22日 09:20